第26話 気持ちの変化

「む……」


「お目覚めになられましたか、陛下」


 ゆっくりとファルマスが目を開いた先で、微笑む女性の姿があった。

 やや吊り目ながら、整った顔立ち。しかし『砂の国』と名高いダインスレフ王国の出自であるゆえか、その肌は少し浅黒い。同じくその髪も、砂と日差しに晒されているゆえか色褪せた金髪である。

 アレクサンドラ・エル・ダインスレフ――現在、ファルマスの囲う唯一の側室だ。


「……余は、気を失っていたのか?」


「はい。強かに蹴りを浴びせられたようで、そのまま倒れてしまわれました。ご気分はいかがですか?」


「……腹が痛いな。いや、覚えている。ウルリカの蹴りが、見事に鳩尾に入った」


「はい。見事な蹴りでしたわ」


 中庭の一角。

 そこに寝転がっていたファルマスと、その隣に座っているアレクサンドラ。

 そんなアレクサンドラの視線の先では、未だに戦い続けている六人の姿があった。


「はぁぁぁっ!」


「おらぁっ!」


 それぞれに気合いを放ちながら、その持てる術を余すことなく発揮する――そんな戦いが、目の前で繰り広げられている。

 あの中で、ファルマスとアレクサンドラも共に戦っていたはずだが――。


「……そなたは、戦わぬのか?」


「今、休憩させてもらっています。お恥ずかしながら、いい一撃を貰ってしまったもので」


「ほう」


「いえ……それよりも、驚きました。まさか……人質として来ていた先で、このようなことが行われているとは」


「……」


 アレクサンドラの言葉に、ファルマスは眉を寄せる。

 現在、ファルマスが側室として抱えているアレクサンドラは、ダインスレフ王国から無理を言われた結果としてやってきた王家の次女だ。

 ガングレイヴ王国とダインスレフ王国の間には、既に友好の条約が締結された。今後は、良き隣国として交易を続けることができるだろう。

 だが、今までほとんど交流もなかった二国が、何もなくただ仲良くしましょう、と結ぶことは難しい。特に因縁があるわけでもなく、交戦した経緯も現在のところないが、国交というのは疑心暗鬼の巣窟である。油断をさせておいて兵を退かせ、その隙に攻め入るなんてことも、決して珍しいことではない。

 ゆえに、ダインスレフ王国は王家の次女――アレクサンドラをファルマスの側室として送ってきた。

 いわゆる、人質としての扱いである。


 無論、それを表立って言うことはない。

 表向き、これはガングレイヴとダインスレフの友好にあたり、皇帝ファルマスの第二夫人としてアレクサンドラが嫁いだという形だ。拘束しているわけでも、監禁しているわけでもなく。

 だが、そんな表向きの言葉――全てを排除すれば。

 恐らく一国民ですら理解できる、人質である。


「……そなたは、ダインスレフで軍を率いていたと聞いているが」


「はい。王家直属の第二師団、姫将軍部隊と呼ばれている一万の兵士を従えておりました」


「では、戦場にも赴いていたのか?」


「そうです。まぁ……わたくしが赴いていたのが、本当に戦場かと言われると、疑問ではありますが」


「どういうことだ?」


「ええ……」


 ふっ、とアレクサンドラが笑みを浮かべる。

 その笑みに込められている感情は、寂寥か――それとも、自嘲か。


「かつて大陸を席捲したと言われている、リファール騎馬隊をご存じですか?」


「……知らぬわけがあるまい。ガングレイヴがまだ小国だった頃、最大の敵であった」


「戦場において連戦連勝を重ね、決して負けることがなかった……大陸最強と名高かった騎馬隊です。ですが……その真実と言われているのが、勝ち戦にしか出陣しなかったからだとも言われていますね」


「そうなのか?」


「はい。事前に情報を確認し、優勢である戦場にしか出てこない……それが、リファール騎馬隊でした。かつてガングレイヴの野戦壕を相手に、大敗を喫するまでは」


「ああ……」


 リファールとガングレイヴの諍いは、ファルマスの祖父――先々代の皇帝から続いているものだ。

 当時は大陸においても強国と名高かったリファール王国であり、ガングレイヴは幾つかの小国を併呑こそしていたものの、国力においてはリファールに劣っていた。そのためガングレイヴの持つ南方の肥沃な農地を求めて、リファールが急襲を仕掛けてきたのだ。

 恐らく、リファール王国は負けるつもりなど、微塵も無かったことだろう。

 だが蓋を開けてみれば、当時『赤虎騎士団』を率いていた将軍により構築された掘、壕、馬防柵などの野戦砦を攻めきることができず、兵力に劣っていたガングレイヴ側が見事な勝利をおさめた。

 これは現在でも、語り継がれる偉業である。


「わたくしの率いていた軍も、それと同じですわ」


「ほう……」


「ダインスレフの王家直属軍は、後詰めです。既に勝敗の決まった戦場において、その後処理と威圧のために出陣するだけです。他の軍のように……生きるか死ぬかの戦いを、ほとんど経験しておりません」


「……」


「勝ち戦における後詰めの場を、戦場と呼ぶのであれば……わたくしは何度も赴きました」


「なるほど」


 アレクサンドラの言葉に、ファルマスは溜息を吐く。

 事前に聞いていた人物評において、アレクサンドラは姫将軍と名高い人物だった。三人いるダインスレフ王女の中でも、唯一兵を率いて戦場に赴いていたと聞いている。

 文民統制を行っているガングレイヴにおいて、皇家と軍は完全に切り離された存在だ。皇家は自由に軍を扱うことができず、しかし軍は皇家の命なしに軍を動かすことができない――そういった形で、軍事力を切り離しているのである。

 しかし、ダインスレフで王家の直轄軍を指揮していたアレクサンドラならば、皇家に軍事権を戻すべきだとか面倒なことを言い出しそうだと、勝手に思っていた。

 だが――。


「アレクサンドラ」


「はい、陛下」


「今宵、そなたの部屋に行く。色々と話を聞かせてほしい」


「承知いたしました。身を清めてお待ちしております」


「話を聞くだけだ。夜半には王宮に戻る」


 ファルマスの言葉に、アレクサンドラは眉を上げる。

 それはまるで、本当にただ話を聞きに行くだけ――そう言っているかのような。


「そうだな……そのとき、ついでに聞かせてやろう」


「はぁ……」


「奴らの師……余の正妻、ヘレナの話をな」


 ヘレナ・レイルノート。

 現在の名を、ヘレナ・アントン=レイラ・ガングレイヴ。

 ダインスレフにも、その高名が轟いている軍人――。


「……はい。楽しみにしています」


 ゆえに。

 アレクサンドラは素直に、自分の気持ちをそう言葉に出した。

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