第2話 後宮に入れたはずの娘が脳筋になって帰ってきた実家の話~フランソワ編~ 中

「それで、フラン。何日くらい家にいられるんだい?」


「はい! 七日ほどいます!」


「短いねぇ……まぁ、あくまで一時帰還という形だからね」


 夕食の席。

 今日フランソワが帰ってくるという通達は、十日ほど前から父のハミルトン、母のエリー両名に届いていた。そのため、今日は忙しい身であるエリーが作った夕食である。

 フランソワが後宮に入ってから、夫婦二人での暮らしだったレーヴン伯爵家ではあるが、ハミルトンは日々忙しく夜中に帰ってくることも多々あり、エリーはエリーで貴族家当主としての仕事をしている。そのため、ほとんどこうして夕食を囲むこともなかったのだが。


「まったく、この人ったらひどいのよ、フラン」


「むっ! お父様、何をなさったのですか!」


「むむ? 僕は何もした覚えがないけれど」


「昼間、今日は患者もいないからウルーノの村に行こうかな-、とか言っていたのよ。フランが帰ってくる日だから、患者の予約は今日は避けて、って私の方から言ったのに」


「まぁ! わたしが戻ってくることを忘れられています!」


「はは……」


 エリーの糾弾に対して、苦笑いしか返すことができない。

 数日前までは、ちゃんとハミルトンも覚えていたのだ。そのため、緊急でもない用件の患者以外は、今日以外の日に予約を入れておいた。それを、今日に限って忘れてしまっていたのだ。

 ちなみに、そんなハミルトンの職場はこのレーヴン伯爵家の一階を改造した診療室だ。『緊急の患者が出た場合はレーヴン伯爵家のお屋敷まで運べ』というのは、現在レーヴン領に住む領民たちの共通認識である。


「しかし、僕が聞いた話によれば……両親との認識を一致させるための一時帰還なんだって?」


「ええ、そうよあなた。今後の身の振り方を、フランと私たちで考えなければならないの」


 はぁ、と小さく溜息を吐くエリー。

 後宮に入った令嬢は、基本的に皇帝により傷物になったと扱われる。例え純潔を守っていたとしても、一度後宮に入ったという事実を覆すことはできない。

 そのため純潔を求める貴族家に嫁入りすることができなくなり、実質的に未婚になってしまうのだ。

 だからこそ今回、皇帝であるファルマスが、後宮に集められた側室全ての一時帰還を行わせたのである。


「皇帝陛下が仲介してくださる縁談を受けるか、それともお断りするか。本来であれば、皇帝陛下の仲介であるのならば、断ることなどできません」


「……ああ、そういう話だったね。だけれど、これに関しては断ったとしても、何の沙汰もないと公言してくださっているんだったっけ?」


「ええ。中には好いた相手がいながら後宮に入った側室もいますし、そういった者に対しては陛下自らが仲立ちを約束するとも言われています。皇后陛下以外に、皇帝陛下が手を出された側室はいないと言っていましたし」


「ふーむ……」


 皇帝であるファルマスが、手を出していないと公言している。だが、彼女らが後宮にいたという事実は変わりない。

 ゆえに、後宮にいたから純潔とは認められない――そう縁談を渋るような相手がいれば、ファルマス自らが間に立つとそう宣言しているのだ。そして、この国の頂点である皇帝が仲立ちをした縁談を、断れる貴族などいるはずがない。

 そういった形で、集めた側室たちの今後を保証してくれているのである。


 だが、フランソワには残念ながら、元々婚約者がいたわけでもない。縁談が決まっていたわけでもない。

 むしろ、どこに出しても恥ずかしい娘だと思っている。


「まぁ、いいわ。後から考えましょう。まだ七日、フランは我が家にいるわけですから」


「うん、そうだね。フラン、後宮はどうだった?」


「はい! 楽しかったです!」


 ハミルトンの質問に対して、そう元気よく答えるフランソワ。

 しかし残念ながら礼儀作法などは学ばなかったらしく、口の周りには大量のソースがついていた。食事も相変わらず、背筋を曲げて皿にかぶりつくような形である。


「ヘレナ様の弟子になることができましたし、クラリッサやシャルロッテさんやマリエルさんとも仲良くなりました! アンジェリカさんとも仲良くなりました!」


「うん、そうか。良かったね」


 ヘレナというのは新しい皇后の名前だけれど、多分気のせいだろう。ヘレナなんて名前は、別に珍しいものでもないし。

 アンジェリカさんというのは皇帝陛下の妹御だが、こちらも人違いだと思う。さすがに後宮に入っていて、皇帝の妹と知り合いになるわけがないし。


「皆で、いっぱい戦いました!」


「……戦った?」


「はい! わたしは弓を引いて、打ちます! シャルロッテさんは素手なのにすごく強いんです! マリエルさんはすごく棒術が上手です! クラリッサはすごく重い鎧を着て、ぶつかってくるんです!」


「……うん?」


 弓。棒術。重い鎧。

 とりあえず引っかかったのは、この三つである。確かにそういえばフランソワは、嫁入り道具に持たせたはずもない弓を持っていた。


「ねぇ、エリー」


「ええ、ハミルトン」


「僕は、フランソワを後宮に入れたつもりなんだけど」


「残念だけど、私もそう認識しているわ」


 首を傾げる。

 ハミルトンの知っている後宮というのは、皇帝陛下に寵愛される女たちが住む場所だ。決して、そこで戦いなど起こるはずがない。

 一体、フランソワは何を言っているのだろう。


「ヘレナ様に鍛えられた一ヶ月の新兵訓練ブートキャンプは、厳しかったです! 口答えすると腕立て伏せが加えられますし、容赦なく怒られました! でも、そのおかげですごく強くなれました!」


「……」


「一度は、大勢の賊が入り込んできたこともあります! わたし、一生懸命戦って、中庭で矢を撃ちました! あのときわたし、初めて人を殺しました! けど、その前に人を殺す覚悟を決めたことがあったので、躊躇なく撃てました!」


「……」


「あ、森でのサバイバル訓練も楽しかったです! 蛇を捕まえて食べました! 寝ている隙にヘレナ様が襲ってきましたけど、わたしヘレナ様を倒すことができました! あ、でもヘレナ様が何人もいたような!?」


「……」


 そんな、自分たちの娘の言葉に。

 ハミルトンとエリーは、目を見合わせて。


「……フランソワ、軍に入れていたっけ?」


「……いえ、後宮だと思うのですが」


 レーヴン夫妻は知らない。

 女の欲望渦巻く愛欲の園、後宮――そこが現在、いい汗滴る筋肉施設になっていることを。

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