その後……

第1話 後宮に入れたはずの娘が脳筋になって帰ってきた実家の話~フランソワ編~ 前

 皇帝ファルマス・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴが、皇后ヘレナ・アントン=レイラ・ガングレイヴを娶ったことは、ガングレイヴ帝国中に流れた。

 ただ一人の若き皇帝が、周辺諸国との諍いもある程度落ち着いたこのとき、結婚式を挙げる――それは少なからず経済の活性化に繋がり、祝いと称して長き戦争で疲弊した民たちへの還元が行われた。

 具体的には国を挙げての祭りとし、特に帝都では全ての飲食店が全ての国民に対して、無償で食べ放題を提供したのである。


 国民たちには、ただで腹一杯食べることができる環境を用意し。

 飲食店には掛かった金の全てを、提供価格で帝国から支払う――そう告げたのだ。

 その結果、帝都は大いに盛り上がり、食べ放題飲み放題に国民たちは騒ぎ、そして若き皇帝と姉さん皇后の誕生を祝ったのである。


 そして、その翌日。

 これは国民全員というわけではなく、あくまで関係者だけに通達が行われた。


 皇帝ファルマスの後宮を――解体する、と。














「あなた、もうそろそろ帰ってくる頃ですよ」


「おお……そうか、今日か」


 帝都の西に小さな領地を持つ、レーヴン伯爵家。

 領民全員の名前を、領主である伯爵自身が言えるくらいに狭いレーヴン伯爵領だ。村が五つしかなく、経済の発展する場所も特にないレーヴン領は、ガングレイヴ帝国内でも下から数えた方がいいくらいに税収が少ない。

 そんなレーヴン伯爵領の領主を務めるのは、当代伯爵であるハミルトン・レーヴンである。


「しまったしまった。明日だとばかり思っていて、今日はウルーノの村に向かう予定を立ててしまっていたよ」


「あら? 何かあったのですか?」


 ぽりぽりと頬を掻くハミルトンに対して、そう尋ねるのは妻のエリーである。

 娘――フランソワを産んで既に十五年にもなるが、よくフランソワとは姉妹に間違われていたほど、幼い顔立ちの妻だ。これはレーヴン家の血でもあるらしく、エリーの母である先代伯爵夫人も、ハミルトンより遥かに年上なのに可愛らしかった。

 比べてハミルトンの方は、彫りの深い顔立ちだ。そのため、結婚前にエリーと会っていた頃には、幼女を誑かす不審者と思われたほどである。


「いや、特に用事はないよ。でもゲン爺さんがこの前、腰が痛いと言っていたからね。農作業の姿勢が悪いんじゃないかと思って、少し様子を見に行こうと考えていただけさ」


「はぁ……相変わらずお人好しですねぇ」


「幸い、今日は患者もいないからね。明日は何人か来る予定だけれど……」


「空いたのでしたら、是非とも貴族家当主としてのお仕事をなさってほしいものですけど」


「ははは……」


 エリーの言葉に、そう苦笑を返すハミルトン。

 ハミルトン・レーヴンは医者だ。そして、元々貴族家の生まれというわけではない。あくまで平民の医者に過ぎなかった。

 元々は帝都で診療所を営んでいた師から、独立するように告げられて派遣されてきたのが、このレーヴン伯爵領だったのだ。村が五つしかなく、医者にかかるために他の領地に向かわなければならない、いわゆる無医領だった。そのため先代レーヴン伯爵が師に頼み込んで、ハミルトンが向かわされることになったのである。

 その後も色々とあったが、患者としてやってきた当時の伯爵令嬢エリーがハミルトンに一目惚れし、結果的に結婚するに至ったわけだが。

 だけれど、結局のところレーヴン伯爵領は無医領のままであったため、ハミルトンが伯爵位を継いだ現在も、医者として領民たちの健康を診ているのである。


 勿論、伯爵として行うべき仕事は多い。

 税収の管理だったり、領民たちの仕事内容の改善だったり、盗賊などが現れた場合はその討伐を行ったりと、仕事は多岐にわたる。そして特に多いのが、帝都に対して提出する書類の作成だ。

 現在、この書類作成を主に行っているのはエリーである。ハミルトンは医者としての仕事が忙しいために、全部エリーに任せているのだ。


「しかし、ようやくフランソワが帰ってくるんだねぇ」


「ええ。あの子、後宮で変なことしなかったかしら……少し前に、ヘレナ皇后陛下が夜会でお声をかけてくださったけど」


「あれは僕も驚いたなぁ。まさか、フランソワが皇后陛下と仲良くなっているだなんて」


「私は、不安ばかりでしたよ。あの子に、まともな教育もしてあげられていませんし……」


 はぁ、と大きく溜息を吐くエリー。

 フランソワを産んで二年ほど経ってから、エリーの父である先代伯爵が急死した。そして、すぐに当代伯爵を継いだのがハミルトンだった。

 しかし現在もそうだが、ハミルトンは医者としての仕事に忙殺されている。その結果、領地の管理だったり書類の作成だったり、そういった仕事を行うのは全部エリーになってしまった。

 そしてレーヴン伯爵家は決して裕福な家というわけでなく、使用人を雇うほどの懐の余裕がなかった。そのために、二歳からフランソワは、領民の一人――子供を産んだばかりの者に、預かってもらったのだ。

 結果、どうなったかというと。

 貴族令嬢としての教育など何一つ施されることなく、原っぱで遊び回る子供が完成したのである。


「いつか、嫁入りする家が決まってから教育しようと思っていましたけど、まさか後宮入りすることになるなんて、思っていませんでしたからね……せいぜい、幾つかパーティに連れていって、立ち振る舞いについて注意するくらいしかできませんでした」


「仕方がないよ。僕もまさか、フランが後宮に入るなんて思っていなかったし」


「でもあの子、ベルガルザード家のパーティに連れていったときから、『バルトロメイ様のお嫁さんになりたいです!』って何度も言っていましたよ……まさか、後宮でも同じ事を言っていない……ですよね? さすがに、陛下の後宮でそんなことを言うのは不敬になりますし……」


「うぅん、どうだろうね……」


 フランソワは馬鹿だ。

 それは、両親共通の認識である。大いに、それが忙しすぎてフランソワに構うことができなかった自分たちのせいだということも、理解はしているけれど。

 だからこそ、フランソワが後宮に入ってから今まで、不安だった。何かやらかしはしないかと。

 それこそ、皇后陛下に「フランソワの両親だな?」と問われたその瞬間に、「うちの馬鹿娘が本当に申し訳ありません!」と頭を下げたほどに。


 と、そこで。


「ただいまなのですっ!!」


 ばぁんっ、と激しく玄関の扉が開かれる音。

 当然ながら、その声は生まれて今まで聞いてきた娘――フランソワだ。思っていた以上に早い帰りに、ハミルトンとエリーは顔を見合わせて、玄関まで迎えに行く。

 後宮入りに伴って、持っていった荷物――それを、大きなリュックに入れて背負っているフランソワが、そこにいた。


「お父様! お母様! フラン戻りました!」


「ええ、おかえりなさいフラン」


「おかえり、フラン」


 しかし、ハミルトンはフランソワの右手を見て。

 そこで握りしめている、奇妙なものに首を傾げた。


 フランソワが握りしめていたのは、弓。

 あんなもの、嫁入り道具に持たせただろうか――と

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