第122話 朝議、場違いな寵姫

「これより、朝議を始める」


 宮廷、玉座の間。

 当代皇帝ファルマス・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴの宣言と共に、ずらりとそこに並んだ重臣たちが頭を下げた。

 これは、月に一度行われる宮廷の重臣全員が揃った朝議である。当然ながらそこには、宰相であるアントン・レイルノート、財務官として抜擢されたサミュエル・レージー、落ち着いてきた周辺諸国との対処から戻ってきた八大将軍など、様々な面々の集ったものである。そして、その全員がかっちりとした正装で直立している。

 ファルマスは政治の決定権をファルマス一人に与えるのではなく、皇帝であるファルマスが不在であっても問題なく仕事のできる宮廷を目指している。つまり、よほどの重大なことでない限りは、現場の判断にその選択を任せているのだ。そして、この一月の間に行われた政治に関する事柄において、選択を間違えていないか確認をするのである。

 もっとも、ここに揃うのは悪臣が排除された、清廉な家臣たちだ。彼らのことを信頼しているがゆえに、ファルマスは月に一度の報告だけで済ませるのである。


「財務の方は」


「は。軍需費用の方にかなりの負担を強いられておりましたが、このたびアルメダ皇国との講和が成りましたら、大幅削減できる見通しとなっております。三国連合との諍いは未だ続いておりますが、国内は戦争が終わると意気揚々としております。そのため、商人たちも景気よく商売をしているのだとか。来年度から、納税額も一割ほど上昇しそうです」


「良かろう。支出の方は」


「は。リファール王国とは未だに火花を散らしている状況ですので、こちらの国境に砦を建設する予定となっております。こちらは公共事業ということで、国内の業者に競合を行わせる予定です。予算としましては……」


 財務官サミュエルが真面目な報告を行い、ファルマスがそれを真面目に聞く。そして、問題がありそうな部分はファルマスが指摘する。その繰り返しだ。

 それが財務、外交、軍部、生産管理、教育――様々な分野で行われる。問題点を即座に導き出し、対処法を議論し、その上で最善な方法を提案するファルマスは、この国の全てが頭に入っているかのようだ。


 そんな朝議の光景を見ながら、思う。

 何故、ヘレナがここにいるのだろう。


「……」


 理由は分かっている。

 それは昨夜、ファルマスから「そなたも明日の朝議に出席せよ」と言われたからである。特に気にすることもなく、まぁファルマスが出ろと言うなら出るか-、くらいの気持ちで宮廷へやって来て、端っこの方で参加しているのだが。

 まさか、こんなにも真面目な場だとは思っていなかった。

 重臣たちの言っていることの半分も理解できずに、ただただ混乱しているだけである。


「生産量は、もう少し増やせるのではないか?」


「いえ、陛下。それは……」


「外交大臣、アルメダ皇国との講和において、向こうの領地をどれほど削ることができる? 無論、こちらもそう簡単には折れぬぞ」


「は。三分の一とまではいかずとも、四分の一は貰い受けましょう。既に向こうも疲弊している状態です。それで向こうが講和を拒否した場合、再び戦火を交えることになりますが」


「良い。騎士団は常に出撃できる準備を整えておけ」


「はっ!」


「領土を割譲されれば、そちらにまず軍を派遣しろ。それから国民を移住させ、生産に取りかかれ。さすれば、麦の生産量も上がるだろう」


「承知いたしました」


 重臣たちが、揃って頭を下げる。

 外交関係や国内生産量まで全て頭に入っているファルマスは、どれほど頭がいいのだろう。もしもヘレナがファルマスの立ち位置であれば、全ての項目に「良し」と即答する自信がある。分からないことは任せるのが一番なのだ。


「よし。それでは、報告は以上だな」


「以上にございます、陛下」


「ではアントン、例の準備にかかれ」


「は」


 どうやら、小難しい報告ばかりの朝議は終わったらしい。

 ヘレナにしてみれば、眠気を我慢するのが大変な時間だったけれど。それでも、ファルマスが敢えてヘレナに「朝議に出席せよ」と言ったのだ。

 何かしら、ヘレナに関する発表でもあるのだろうか――そう思っていたのだが。


 玉座に腰掛けるファルマスの前で、小男――『紫蛇将』アレクサンデル・ロイエンタールが膝をつき、頭を下げた。


「陛下、この身に『紫蛇将』という過分な地位を与えてくださったこと、心より感謝いたします」


「うむ」


「されど、此度は縁あってアントン・レイルノート宰相閣下に師事を受けることとなりました。次代の宰相候補として、粉骨砕身陛下をお支えしてゆく次第にございます」


「良かろう。期待している」


 ファルマスがそう告げると共にアレクサンデルは頭を上げ、それから腰の剣に手をやった。本来、玉座の間は武器の持ち込みを禁じられているのだが。

 その剣は、柄の部分に紫の蛇が巻かれた、『紫蛇将』にのみ与えられる宝剣。

 ちなみに他の将軍も、同じように柄の部分が加工された宝剣を与えられている。『赤虎将』ヴィクトルは赤い虎の横顔が描かれた宝剣を、『青熊将』バルトロメイは青い熊の爪痕が刻まれた宝剣を、『銀狼将』ティファニーは銀の狼の牙が彫られた宝剣を――など、これを持っていない将軍はいない。

 もっとも、これは将軍の証でもある決して傷つけてはならない宝物であるため、授与された将軍は自宅で厳重に保管しておくらしいのだが。

 ヘレナも一度、ヴィクトルに「いいだろー」と自慢されたから見たことがあるくらいだ。


 これは。

 将軍であるアレクサンデルが、その将軍位を返還するという儀式。

 つまり、次に行われるのは――。


「では次に、ヘレナ・レイルノート。御前に」


「は、はっ!」


 アントンの言葉に、手足を一緒に前に出しながら、ファルマスの前に向かう。

 そしてアレクサンデルがやっていたように、膝をついた。

 聞いていない。

 こんなことをするとか、ファルマスから一切聞いていない。

 そんな風に、少しばかり恨みがましい目でファルマスを見やると、まるで悪戯が成功した子供のように笑みを浮かべていた。


「ヘレナ・レイルノート」


「は、はっ!」


「軍におけるそなたの功績を、余は賞賛しよう。そなたはガングレイヴの剣となり、盾となり、そしてこの宝剣に刻まれた紫の蛇が如く、他国を睨めつけよ。ガングレイヴに仇なす敵国における、毒となれ」


「はっ!」


 そしてファルマスが立ち上がり、ヘレナへと歩みを進める。

 その右手に持った、鞘に入れられたままの宝剣で、ヘレナの肩を叩き。

 それから、くるりと宝剣を回して柄をヘレナへ向ける。

 恐る恐る、ヘレナはそれを受け取って。


「そなたに、今後は『紫蛇将』を名乗ることを許す」


「ありがたき、幸せ」


 その重みに、その言葉に、この身に走る歓喜に、体が震えた。

 ファルマスめ、途轍もない悪戯をしてくれたものだ。ぱちぱちと周囲で巻き起こる重臣たちの拍手に、頬に熱が走る。


 ずっと、この日を待っていた。

 後宮に入るよう言われたあの日、諦めてしまっていた夢。

 だけれど今、叶ったのだ。


 今日、この日。

 ヘレナ・レイルノートは、将軍になった――。

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