第118話 女官アレクシアの受難

「それじゃ、あとは任せるわね」


「はい。承知いたしました、皇太后陛下」


「アレクシアちゃん、あとはこの子から話を聞いてね。この子、うちの侍女長だから」


 暫しの離宮案内が終わると共に、アレクシアはルクレツィアと共に離宮の端――使用人室へと来ていた。

 ここは離宮で働く使用人の更衣や休憩を行うための部屋であるらしい。そして離宮の侍女はほとんどが通いであり、帝都の中にある実家の別宅から出勤してくるのだとか。ゆえに、離宮勤めだからといって宿舎が変わるわけでなく、アレクシアは以前と同じ後宮女官用の宿舎から離れずとも良いらしい。

 もっとも、そう聞くとやはり良い家柄の娘ばかり集まっているのだろうなぁ、と思ってしまう。普通の、少なくともそこそこの貴族家の出自であるならば、ご奉公という形で勤めるのだから。

 少なくとも、侯爵家以上の出自であることは間違いあるまい。


「本日よりお世話になります、アレクシア・ベルガルザードと申します。よろしくご指導、ご鞭撻の程よろしくお願いします」


「……侍女長のマリアベル・レイランドですわ」


「それじゃ、マリアベル。あとは任せるわね」


「はい。お任せください」


 それじゃね、と言い残してルクレツィアが去る後ろ姿を見送る。

 そして残されたのは、侍女長のマリアベルとアレクシアの二人だ。そしてレイランドという家名からするに、現在も家名の残る唯一の公爵家出身だ。恐らく、ヘレナに信捧しているレックス・レイランド公爵の姉妹なのだろう。侍女長という立場の割に随分と若く、二十代前半くらいの年齢に見える。

 もっとも、その視線からは友好的なものを何一つ感じないけれど。


「先程、皇太后陛下より説明を受けたとは思いますが、こちらが使用人室ですわ。出勤したときにはここで着替えをし、仕事の合間での休憩などもこの部屋を使用して構いません」


「はぁ……」


「ここが貴方の物入れですわ。鍵は簡易なものしかついていませんから、貴重品などは持ち込まないように。もっとも、わたくしたちが貴方の荷物など盗むわけがありませんが」


「……」


 マリアベルに言われて確認するのは、いわゆるロッカーである。

 簡易な鍵のついたそれは、人一人が出勤してきたときの荷物を入れるには丁度いい大きさだ。この中に制服などを吊っておき、出勤と共に着替えるのだろう。

 そして、この中で休憩――その言葉が納得できるほどに、使用人室は随分と広い。更衣をする場所は端であり、中央には幾つかのテーブルやソファが置いてある。さらに化粧をするための鏡や、簡素な湯浴み室まである。さらに本やボードゲームまで転がっているという、とても後宮では考えられないものだった。

 そもそも、後宮の女官に休憩時間などないし。


「制服は三着支給されますわ。毎日、必ず新しいものを着るように。仕事が終わったら、そこの籠に入れておけば洗濯係が洗います。また不測の事態などで汚れた場合、必ず着替えてください。それが侍女としての義務ですわ」


「承知いたしました」


 その程度のことは、アレクシアも分かっている。

 無論のことながら、後宮の女官であっても汚れた服で作業をするのはもっての外だ。もっとも、後宮と異なるのは自分で洗濯をしなくてもいいことだろうか。後宮での仕事着は、常に持ち帰って洗濯していたのだから。

 不測の事態があってヘレナの部屋に泊まり込んだときにも、翌日には必ず新しいものに着替えるようにしていた。


「まずは荷物を入れて、それから着替えなさいな。仕事を教えるのは、それからです」


「分かりました」


 後宮の女官としてのお仕着せは、さすがに離宮で働くには安っぽすぎる。それはさすがに、アレクシアでも理解していた。何せ、マリアベルの服は本当にお仕着せなのかと思えるほど、過剰に装飾をされたものだったからだ。

 やはり、皇族に仕える侍女ともなれば、それだけ格式の高い服装を必要とされるのだろう。アレクシアには全く似合うと思えないけれど。


「これが貴方の制服ですわ」


「……ええと」


 だが、そんなマリアベルから渡されたのは。

 何故か、畳まれた真っ白の服だった。

 マリアベルの着用しているお仕着せは、高級そうな黒のシルクワンピース、装いが多すぎると思えるほどのフリルエプロン、そして宝石のついた髪飾りである。恐らく庶民の稼ぎでは手が届かないだろうと思える、高級品ばかりだ。

 だが、アレクシアに渡されたそれは、真っ白。受け取って開いてみると、まるで奴隷が着用するような上下揃った木綿の服である。

 さすがに、皇族に仕える侍女がこんな格好を――。


「あの、この服は……」


「あら。わたくしの選んだ服が気に入らないのですか?」


「いえ、さすがにわたしが、この服を着て皇族に……」


「早く着なさい。話はそれからです」


 話を聞いてくれない。

 そしてここまでのやり取りにおいて、全くマリアベルから友好的なものを感じないのである。マリアベルも、ルクレツィアが案内してくれているときにすれ違った侍女も、全て同じ黒のシルクワンピースだったというのに。

 何故、アレクシアだけがこんな木綿の服を。


「……」


 ひとまず服を脱いで、渡されたそれに着替える。

 当然ながら、肌触りはごわごわで全く落ち着かない。

 そんなアレクシアを見ながら、マリアベルがくくっ、と含み笑いするのが分かった。


「あら。よくお似合いですわ」


「……」


「貴方の浅黒い肌には、木綿の服が似合うと思いました。ほら。市井で売られている奴隷ってそんな格好をしているでしょう?」


「……」


「最初は、離宮の庭の草むしりから初めてもらうことにしましょう。ああ、最初に言っておきますが、その格好で離宮を歩かないでくださいね。皇族の品格に傷がつきますから。貴方には基本的に、屋外での仕事を担当してもらうつもりですわ」


「……」


「同僚には同じように浅黒い奴隷もいますから、寂しくはありませんよ」


 アレクシアは、決して馬鹿でない。

 この服を受け取って、嘲りの目で見られて、その上で「離宮ではこの服を着るのが当然なのだな」と思えるほど頭がお花畑で出来てはいないのだ。

 それに加えて、敵意と嫌悪を隠そうともしていない言葉の数々には、茨も歯が立たないほどの棘が加えられている。


「はぁ……」


 長らく、忘れていた感覚だ。

 本来、女同士というのはこういうものだ。自分よりも相手を格下だと決めつけて、自分が上に立ちたがるのだ。そこに身分や出自、人種といった決定的な何かがあれば、それはより顕著に現れる。

 そしてマリアベルは、レイランド公爵家の出自――この国において、彼女を超える身分の者は皇族しかいないのだ。


「なるほど、承知いたしました」


「は?」


「あなたはわたしの、敵だということですね」


 ヘレナを中心とした後宮にいたせいで、こういう女同士の泥沼を忘れてしまっていた。

 だが元より、アレクシアはかつて魔窟であった後宮にいた者。この程度のことで折れるような、柔な心は持ち合わせていない。


「どういうことかしら?」


「いえ、ただの確認ですよ。歓迎されていないことがよく分かりましたので」


 そしてアレクシアは、強かだ。

 ヘレナのように暴力に訴えるほど、強くはない。マリエルのように金に物を言わせるほど、財力があるわけでもない。シャルロッテのように身分を笠に着るほど、実家の家格が高いわけではない。

 だが、彼女は強かなのだ。南方の血が混じった褐色の肌で、後宮において一定の地位を保っていた程度には。


「敵意には敵意を。嫌悪には嫌悪を。敬意には敬意を。親愛には親愛を」


「……あなた、何を」


「ベルガルザード家の家訓です。まぁ、端的に言うなら代々顔が怖い一族ですので、嫌う相手には構うな、愛してくれる相手がいるなら全力で愛せ、ということらしいですが」


 今は、この家訓に感謝しよう。

 アレクシアの行動は全て、この家訓に基づいたものなのだから。


「わたしに敵意を向けてくるならば、わたしは全力でそれを返すだけです」


 相手が公爵令嬢であろうが、何だろうが。

 ここにいるのは、アレクシア・ベルガルザード。


 後宮最強の女官である。

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