第112話 苦労人のアレクシア
「本日よりヘレナ様の部屋付き女官となったシャルロッテですの。よろしくお願いします」
「ヘレナ様の部屋付き女官シャルロッテ様の侍女、エステルです。お見知り置きを」
「……すみません。わたしは何をどう突っ込めばいいのでしょうか」
ヘレナの部屋。
本日部屋の主ヘレナは不在である。ヘレナ曰く、「少し軍部の方に行ってくる。ついでに、アレクサンデルの頭も踏んでくる」とのことだ。後半はよく分からなかったが、前半の言葉から察するに将軍となるための云々をするために向かったのだろうとアレクシアは考えていた。
ゆえに、今日は一日不在ということで、細かい部分までの掃除を念入りにやっておくかと、そう思っていたのだが。
何故か、女官長イザベルより紹介されたのは、随分と見知った顔の二人だった。
言っていることは、よく分からなかったが。
「アレクシア、良いですね。あなたに、このシャルロッテ様……ええと、シャルロッテの教育を任せます」
「あの、女官長。どういうことなのでしょうか?」
「本日より、シャルロッテは側室というわけでなく、同じ後宮の女官として働くことになりました。今後シャルロッテに対して敬意は不要です。女官の後輩として、教育を施してください」
「何故……?」
「そもそも、正妃扱いとなる『陽天姫』様のお付きが一人というのも、いささか問題があると思っていました。そこで陛下に相談したところ、こちらの二名を派遣してくださったのです」
「……」
アレクシアの疑問はそこでないのだが、イザベルの言葉には逆らうことができない。
とりあえず、シャルロッテが側室から女官になったという事実は分かった。つまりアレクシアは、他の後輩たちのようにシャルロッテに対して、女官としての教育を施せばいいということである。
今まで敬意をもって対応していた相手であり、やりにくいことはこの上ないが。
「承知いたしました。女官長のご厚情に感謝いたします」
「ええ。しっかりと教育を施してください」
「はい」
「ではシャルロッテ、あとはこのアレクシアに教えを請うようになさい」
「承知いたしましたの」
そう言って、イザベルが部屋を出て行く。
そもそもヘレナのお付きが一人というのは問題があると言っていたが、アレクシアにしてみれば一人で十分なのだが。特に我儘を言ってくるような主人でないため、アレクシアの仕事は主に掃除をすることくらいだ。下手をすれば、掃除も洗濯も炊事まで自分でしてしまいそうなヘレナの側仕えなど、アレクシア一人で十分すぎるのである。
だというのに、今更人員を増やされても――という思いはないこともない。
「さて、ではシャルロッテ様……ええと、シャルロッテ。今後は、わたしが教育係となります」
「ええ。よろしくお願いいたしますの」
「ただ……部屋付き女官に侍女がいるというのは、少しどうかと思いますが」
「私のことはお気になさらず。私はあくまで、私的にシャルロッテ様に仕えているだけですから。具体的には未払いの給料を貰うまでは辞めません」
「はぁ……」
何なのこの主従、と言いたい気持ちを堪える。
まぁ立場が同じになったとはいえ、元は貴族令嬢であり後宮でも最高の地位についていた人物だ。いきなり女官になれというのも難しい話だろう。
「では、色々と教えていきたいと思いますが……」
「承知いたしましたの。エステル、お茶を用意して」
「は」
「いえ、用意しなくていいです」
主のいない部屋のソファに腰掛けて、侍女に茶を要求するシャルロッテ。
教えるといっても、それはあくまで仕事についてだ。お茶を飲みながら優雅に教えるというわけではない。
本気でお茶を用意しようとしているエステルを止め、大きく溜息を吐く。
「いいですか、シャルロッテ」
「はい」
「わたしたちは、後宮の女官です。それは、主である後宮の側室に仕えるということです」
「ええ、分かっておりますの」
「留守中とはいえ、主人が座る場所に座ってはいけません。女官は基本的に、立っているのが仕事です」
アレクシアの言葉に、シャルロッテは首を傾げる。
これは事実だ。女官であれ、侍女であれ、座っていいのは休憩中か、主人に「座りなさい」と命じられたときだけである。
基本的に女官の仕事というのは側に控え、主人が命令したときにすぐに動くことである。
「それは足が疲れますの」
「女官の仕事なめてんですか」
「別にヘレナ様なら、わたくしが多少座ったところで目くじらなど立てませんの」
「……」
事実だから困る。
実際に今シャルロッテがしていることを報告したとしても、「そうか。別にアレクシアも座っていいぞ」とか言い出しそうなヘレナだ。少なくとも、失礼を働いたなどと言い出しはしないだろう。
言わないからこそ、アレクシアが厳しくしなければならない。
少なくとも、こんなにも礼儀知らずな女官を、ヘレナの側に置くわけにいかないのだ。
「良いでしょう」
「え……」
「わたしがきっちりと、女官の仕事を身につけさせて差し上げます。その甘ったれた根性を、叩き直して差し上げます。幸い、今日はヘレナ様も不在……まずは女官としての姿勢から、その身に叩き込んでみせましょう」
「え、どうしてわたくし、震えて……」
「気をつけっ!」
「はいっ!」
びしっ、と背筋を伸ばすシャルロッテ。
そのアレクシアが醸し出す空気に、その雰囲気に、覚えがあった。
それはかつて、彼女がヘレナより受けた最大の試練――
「手は常に前で重ねる! 踵を合わせて揃える! 顎を引いて!」
「は、はいっ!」
「よろしい。では本日は主人が不在であるため、わたしが主人という形で教育を行います。顎が浮いている! 背筋を曲げない!」
「は、は、はいっ!」
ヘレナのソファへとアレクシアが腰掛け、主人に扮する。
ちなみに主人といっても、演じるのはヘレナではない。元より、女官というのはどのような相手にも仕えることが仕事なのだ。
たまたま我儘の少ないヘレナに当たったからといって、ヘレナのような例外の令嬢相手の仕え方など学ばせるわけがない。
「わたしは喉が渇きました。お茶を用意して」
「え、ええ……エステル、お茶を……」
「自分で用意! お茶を淹れるのは基礎中の基礎、お茶を上手に淹れるための温度は、自分で何度も試行錯誤して手に入るものです。渋くて不味いお茶を何度も自分で飲んで、そして覚えるのです」
「えええ……」
「背筋を曲げない!」
「はいっ!」
ちなみに。
この女官ズブートキャンプは、夜遅くにヘレナが帰ってくるまで続けられた。
後日、シャルロッテは「わたくし、もっと侍女に優しくしておけば良かったですの……」と語ったという。
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