第109話 傷だらけのシャルロッテ
「意味が分かりませんの」
「いえ、どう考えてもお嬢様の自業自得かと」
ふん、と唇を尖らせながら、シャルロッテは自室の寝台に横になっていた。
別段、シャルロッテに謹慎が言い渡されたわけではない。そして同時に、悪いことをしたからちょっと謹慎しておこうと考えるほどにシャルロッテは度量の大きい人間ではない。
では何故、毎日午前中に行われるヘレナの弟子たちによる鍛錬に参加していないのかというと。
「う、ぐ……あ……!」
「無理に体を動かさない方が良いですよ。宮医の見立てでは、二、三日もあれば動けるようにはなると言っていました」
「くつ、じょく、ですの……!」
「まぁ、面白いくらいぼっこぼこにやられてましたからね。這ってでも排泄の補助を拒むのは、まぁさすがと申しますか」
「おむつ、など、しませんの……!」
理由は極めて単純。体が動かないのである。
シャルロッテは実戦経験こそ少ないが、それなりに鍛えている身だ。ゆえに、それは疲労ではない。単純に、ディアンナ相手にぼっこぼこにされたことが原因だ。
腰は激痛が走り、足は重く、ぐわんぐわんと鐘が鳴り続けているかのような偏頭痛すらする。寝返りをうつことさえ、全力を尽くさなければできないという完全な怪我人だった。
シャルロッテの侍女、エステルは嬉しそうに「おむつをお持ちしました」などと言っていたが、さすがにそこは花の十六歳女子。這いつくばって必死に向かった。いくら気心の知れた侍女であったとしても、下の世話までされたくはない。
「これでは、終わりませんの……!」
「おや。何かまたろくでもない……げふん、ろくでもないことをお考えですね」
「何故言い直しましたの!」
「言葉を飾る必要はないと感じましたので」
「最近、あなたの態度がひどいとわたくし思いますの……」
動かない体で、態度の悪い侍女に頭を抱える。
残念ながら下半身は激痛ゆえに動かないが、両腕は問題なく動く。これは全て、ディアンナの攻撃が打突や蹴りではなく、投げ技であったことの反動だ。
何度床に転がされ、腰を強かに打ったか分からない。それでも必死にシャルロッテは立ち上がり続けたが、最後にはもう立てなくなった。体幹である腰を痛めつけれると、もう体全体が動かなくなるのだと初めて知った瞬間だった。
「ただ、お嬢様」
「……何ですの」
「ディアンナ様は、手加減をしていらっしゃいました。お嬢様の体に、後遺症が残らないように配慮してくださったのはお分かりですよね」
「……」
エステルの言葉に、シャルロッテは無言で唇を尖らせる。
銀狼騎士団補佐官ディアンナと向き合ったとき、シャルロッテは心から昂揚した。真に、軍人として高みにいる存在と戦い合えることが、心から嬉しかったのだ。
徹底的に嬲られ、転がされ、痛めつけられた結果はあるけれど、それでもシャルロッテは真の軍人と戦うことができたのだ。
だが、シャルロッテは最後まで気付かなかった。
ディアンナはあくまで『ご令嬢の戯れ』として相手にし、シャルロッテの体に傷も後遺症も残らないように手加減をしていたのだと。
シャルロッテに対しては、「骨の一本や二本は覚悟してもらうよ」などと言っていたというのに。
「つまり今のお嬢様は、ディアンナ様の本気を出す必要もない程度の相手ということです」
「……」
「足元にも及ばないということです。そもそも、一等騎士と同じ程度の力量と言われましたからね。それも高く見積もって、とも仰っていましたし、実際のところは銀狼騎士団でも二等騎士程度の実力かと存じます」
「……」
「つまりディアンナ様からすれば、ゴミです。ゴミクズです。くしゃっとしてぽいっとする程度の相手です」
「あなたもう少し言葉を選べませんの!? ふぐぅっ……!」
あまりにも度を越した侍女の言葉に、シャルロッテは叫ぶ。
そして叫ぶと同時にびきぃっ、と腰痛が響いた。
叫ぶという行為は、案外重労働なのだ。
「さて、お嬢様。そろそろ昼餉のお時間ですが」
「……いりませんの。どうせ、今日は寝るだけですの」
「それでもお食事は摂ってもらわないと。怪我を治すのに最も効く薬は休息と栄養です」
「……寝たままでも食べられるものを用意しなさい」
「承知いたしました」
これ以上、この侍女には口で勝てない――そう悟ったシャルロッテは、頷く。
実際のところ、腹が減っていないわけではない。ただ、食事をするにあたって体を起こさなければならないのが嫌なのだ。腰の痛みは激しく、宮医も「数日は起き上がるのも一苦労するでしょうな」と言っていた。
寝たままで食べられるものがあるなら、それでいい。サンドイッチとか。
「それでは、厨房の方に言って参ります。何か寝たままでつまめるものを出してくれと」
「ええ」
「では……」
取ってきます――そう続けようとしたエステルの言葉を、こんこん、と叩かれた扉の音が阻む。
今日は、特に来客などの予定はなかったはずだが。というか、来客の予定があることなど滅多にない。せいぜい、女官長が定期的に見回りに来るくらいのものだ。
最初は「少しばかり侍女の数が多くはありませんか?」などと言っていたが、父が爵位を失いただのシャルロッテになった時点で、エステルを除く侍女は解雇した。以来、やってくるたびに「人手が足りないときには仰ってくださいませ。女官を手配したします」と百八十度態度が変わったことは記憶に新しい。
「失礼……出てきます、お嬢様」
「ええ」
まぁ、恐らく女官長だろう。
この部屋は後宮勤めの女官を配備しておらず、本来女官から入るべき情報が女官長まで届かないのだ。
「はい、どちらさま……」
「あら……エステル、ロッテは在室かしら?」
「少々お待ちくださいませ」
随分と、聞いたことのある声が聞こえた。
それはほとんど毎日、鍛錬を一緒にしているのだから当然のことだ。
マリエル・リヴィエール――かつては敵対しながら、今は最も手合わせを多く行っている相手と言っていいだろう。
「お嬢様」
「聞こえていましたの。マリー……どうせ、噂を聞いてわたくしを笑いに来ましたの」
「そのようなことはないと思いますが……どうしましょうか?」
「わたくし、体調が悪いとお伝えして」
「承知いたしました」
方便だが、体調が悪いのは事実だ。現実、寝台から立ち上がることもできないのだから。
本来、部屋の主は客をもてなすものだ。それが寝台から動けないとなれば、もてなすこともできない。ゆえに、体調が悪いと追い返すのは珍しくもないことである。
それは本来、貴族令嬢であれば「あら、そうですか。では次の機会に……」と去るのが常識だ。
常識、なのだが。
「ロッテ、邪魔するわよ」
「……マリー。わたくし、体調が悪いと伝えたはずですの」
「そんなもの関係ないわよ」
当然のように、部屋に入ってくるマリエル。ちゃんと追い返すように言ったはずなのに。
そして同じく、次々と部屋の中に入ってくる面々。
「シャルロッテさん! 大丈夫ですか!」
「お邪魔します……えっと、ごめん。なんか大勢で押しかけて」
「わたくしが来てあげたわよ! 泣いて喜ぶのが当然でしょう!」
「いやー、それはどうですかねー。あ、大丈夫ですかー?」
「あらあら……寝ておられましたたの? まだ昼間だといいますのに」
「いや、体調悪いって言ってんだから当たり前でしょ」
「ああ、わたくし、その辛さを変わって差し上げたいですわ……はぁん……」
「ロッテ姐さん! こんにちはっす!」
「あ、こ、こんにちは……その、すみません……」
「大丈夫? 色々、お話は聞いたわよ」
フランソワ、クラリッサ、アンジェリカ、エカテリーナ、カトレア、レティシア、クリスティーヌ、ウルリカ、タニア、ケイティ――そこに揃っているのは、中庭の鍛錬メンバー全員である。
恐らく、午前の鍛練が全員終わったばかりなのだろう。それぞれ、額にいい汗を流している。
何故、全員がここに――。
「ロッテ」
「……何ですの、マリー」
「ちょっとは、嬉しいと思いなさいな」」
「はぁ?」
マリエルの言葉に、眉を寄せるシャルロッテ。
突然、先触れもなくこんなにも大勢やってきたことに、何を嬉しいと――。
「みんな、あなたを心配して来たのよ。大丈夫かしら、って」
「……」
マリエルの言葉に。
シャルロッテにできたのは、照れ隠しにシーツを被ることだけだった。
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