第96話 試合開始
「ほう……」
「ふむ……」
「……」
中庭の中央で、三者が対峙する。
ガングレイヴ帝国当代皇帝、ファルマス・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴ。
ダインスレフ王国第一王子、アーサー・エル・ダインスレフ。
ガルランド王国第二王子、ラッシュ・アール・ガルランド。
いずれも、それぞれの国における重鎮である。それこそ、平民では目にすることもできないような天上人と呼んでも過言ではない存在だ。
本来、煌びやかな宮廷にて厳かに執務を行っているはずの三人なのだが。
「なるほどな……これが『お披露目』とやらか。アルベラ」
「そういうことですわ、アーサー。あなたの剣を見せて差し上げなさい」
「承知した。貴女の弟子として、見合う戦いを見せよう」
戦意に溢れるかのように、飄々としながらもその目に闘志を燃やして剣を構えるアーサー。
その膨張した筋肉は、それだけ量と質の見合った訓練を施された結果だろう。ただでさえファルマスよりも高い背丈だというのに、さらに大きく見える。
「僕は……僕は……」
「……」
「僕は……ここで……価値を示す……」
敵愾心に溢れた眼差しで、じっとファルマスを睨みつけるラッシュ。
その体についていた贅肉は削ぎ落とされ、全体的に細くなっている印象だ。
しかし、ぶつぶつと何かを呟きながら、視線を泳がせているかのように。以前の柔和な彼とは程遠い、獣のような殺意が垣間見える。
「ふぅ……」
どちらも、簡単に勝たせてくれそうな相手ではない。
だが幸いであるのは、向こうの二人が結託していないということだろうか。三者が三者とも、互いを敵として認定しているのだ。
それだけに、容易く動くことができない現実はあるけれど。
「試合のルールを説明しよう」
「……」
ヘレナの言葉に、誰も答えずに互いを警戒する。
特にラッシュなど、機があればすぐにでも動く――そんな気配を見せているのだ。決して視線を逸らすわけにいかない。
「審判は私が務める。私が致命傷と判断した攻撃が一度、そうでない攻撃が三度、当たった者は死亡と判断する。武器は好きなものを使うといい。以上」
そのルールは、以前に後宮の姫たちが戦ったルールと同じ。
そして、そのルールは徒手ゆえに、手数の多いファルマスに有利と働くものだろう。
リリスより受けた訓練において、体には徒手格闘の真髄が刻み込まれている。
「それでは――」
「……」
「――試合、はじめ!」
「おぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
開始の合図と共に駆け出したのは、まずラッシュだった。
獲物を求める肉食獣のように、激しい勢いで飛び出すラッシュ。敵が二人いるという状況で、彼は迷いもなくファスマスへ向けて突貫してきた。
本来、三人での戦いというのは、漁夫の利を得るのが望ましい。
同等の戦力が三つあるならば、いずれかの二つが激突し潰し合うのを見るのが最善だ。そうなれば消耗し残った方が、無傷の者と戦う結果になるのだから。
ゆえに、できればアーサーとラッシュに潰しあって欲しかった、というのが理想である。
されど、現実はそう簡単にいかない。
「はぁっ!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
訳の分からない叫び声と共に突貫してくるラッシュの一撃を躱し、空いた足元に蹴りを放つ。
リリスから「この程度はできて当然」と言われ、毎日のように角材を蹴り続けていた足だ。ようやく角材を蹴り折ることができたのは、つい二日前である。
痛みは残っているが、それでも。
鍛え抜いたその蹴りは、ラッシュの足の骨など打ち砕く――。
「なっ!」
しかしラッシュは、そんなファルマスの蹴りが来ることを予測していたかのように、一瞬でファルマスの後ろへと回り込んだ。
攻撃のために僅かに歪んだ体は、ラッシュの動きに反応することはできても、そう簡単に修正することができない。足を無理やりに動かし、押し留め、視線だけはラッシュから外さないようにと必死に動く。
そして、それと共に自動的にファルマスの体は動く。
「ふんっ!」
「がっ!」
恐らく、ラッシュには一瞬肩が動いた程度にしか見えなかっただろう。
だが、これはリリスより訓練を受けた徒手格闘の技術――裏拳。
背後にいるラッシュの顔面へと、ファルマスの手の甲が叩き込まれる。
――武闘家であるならば、己の拳が届く距離は、全て射程内よ。
リリスの言葉が脳裏を過ると共に、ファルマスはさらに体勢を整える。
「ぐっ……!」
頰を押さえるラッシュが、さらに向かってくる。
だが、その動きは獣のそれだ。何の技術もなく、ただがむしゃらに向かってきているだけに過ぎない。
そして、それは『対人格闘』を主として教え込まれたファルマスにとって、容易い相手だ。虚実もなく、ただ真っ直ぐに向かってくる相手など恐ろしくも何ともない。
これは、ラッシュの受けた一月の訓練が、ファルマスと全く異なったことが原因だろう。
ラッシュが叩き込まれたのは、『戦場において生き延びるための技術』だ。嗅覚を磨き、感覚を研ぎ澄ませてる。泥臭く、獣のように這いずってでも生きる――そんな訓練を受けてきた。
一対一の戦いにおいては、相手の攻撃の気配を察して動くことができるラッシュの感覚は、ファルマスの攻撃に対応することができる程度には研ぎ澄まされている。
だが、反面。
ラッシュには、格闘の技術は何一つ教えられていない。
「はぁぁっ!!」
ファルマスの腰だめに構えた拳が、ラッシュの胸を撃ち抜く。
ぼきぼきっ、と拳に感じるそれは、恐らく肋が折れたものだろう。筋肉の鎧で包んでいない肋は、拳の一撃で容易く折れるものだ。
「が、はっ……」
ラッシュが胸を押さえて、倒れる。
それと共に、ヘレナが手を上げた。恐らくファルマスの攻撃は、これで致命傷と判断されたのだろう。
体が軽い。
自在に動いてくれるような気がする。
そして何より、敵に勝利した――その感覚に、心が打ち震えるような。
これが。
戦いというものの、本当の楽しさなのか、
「さて……では、これで一対一だな」
「……」
「俺は、そう容易くは負けてやらぬぞ」
ふーっ、と大きく息を吐き、ファルマスはアーサーを見据える。
木剣を構えたその姿に、隙は見当たらない。ただでさえファルマスよりも背が高いアーサーである上に、木剣を持っている状態であるため、リーチは明らかに向こうが上だ。
されど、ファルマスには負けられない理由がある。
ガングレイヴ帝国当代皇帝と、ダインスレフ王国次代国王――その戦いが、今幕開けようとしていた。
「ふむ……さすがに、ラッシュは時間が足りなかったな」
「全部旦那のせいよ、姉さん。そもそも、下地が二人とは全然違うわ。あいつ、毎日晩酌してたしほとんど運動もしてなかったし」
「できる限り、食事制限で毒は抜いたつもりだがな……さすがに、グレーディア様から戦闘訓練も施されていた陛下とは、素の戦闘力が全く違ったか」
「今後は、私が鍛えるわ。これで旦那も思い知ったでしょ。自分がどれだけ弱いか」
やれやれ、と肩をすくめるリリス。
元々筋骨隆々だったアーサーに、細身ながら鍛えられたファルマス。その二人と異なり、ラッシュはそもそもが典型的な王族の体型だった。
もう二ヶ月もあれば、ある程度の技術は叩き込めたかもしれない――そう考えると、どこか残念なところはあるが。
「さて……では、最後だな。私は一抜けか」
「ええ。わたくしの鍛えたアーサーは、そう簡単に負けませんわよ」
「ファルマス様には、私の技術全てを教えたわ。剣になんて負けないわよ」
「ふん。私も、素材が良ければもう少し戦える者に仕上げたのだがな」
「負け惜しみはやめることよ、姉さん」
レイルノート三姉妹。
そのうち、誰が一番強いかという話になると、全員が自分だと言う。
戦場での戦いに特化したヘレナ。
剣術にかけては天才と称されるアルベラ。
徒手においては他の追随を許さぬリリス。
そのうち誰が強いか、判断できる者はいないだろう。
ゆえに。
「わたくしが、三姉妹で最強であることを示してみせますわ」
「いいえ、私が最強だもの。結果が教えてくれるわよ」
この戦いは。
レイルノート三姉妹において誰が一番強いか――その、代替戦争である。
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