第83話 レイルノート三姉妹
「あ、姉さん。久しぶりー」
「探しましたわ。どこにおられましたの?」
アーサーとの対話を終えて、夜会の行われている広間に戻ったヘレナが、そう声を掛けられる。
本来、仮の身分とはいえ皇后として出席しているヘレナに、話しかけることができる者は多くない。それこそ皇族に連なる者か、余程の上位貴族、あるいは国賓。そういったレベルの者でなければ、ヘレナに話しかけることなどできないのだ。
だが、その声には覚えがある。
そして、身分など関係なくヘレナに声をかけてくる人物は、少なからず存在するのだ。
「アルベラ! リリス!」
それは、ヘレナと血を分けた二人の妹である。
アルベラはアロー伯爵家嫡男ドレル・アローの妻であり、リリスはガルランド王国第二王子ラッシュ・アール・ガルランドの妻である。二人とも夫と共に、この場にやってきたのだろう。
このように三人揃うことなど久しぶりであるため、ヘレナも喜色を浮かべて二人に近付く。
「久しぶりね、姉さん。戦場に行ったって報告を受けて驚いたわ」
「ああ、知っているのか?」
「そりゃ、ガングレイヴは同盟国だもの。情報くらい入ってくるわ。リファールが全軍を率いてやって来て、姉さんが禁軍を率いて出陣したって聞いたわよ。それに、小姉さんのことも」
「……あれは、仕方がありませんわ。切迫している事態でしたもの」
「だからって、産後すぐの女が騎馬隊を率いて出陣するのはどうかと思うけど」
じーっ、とリリスが非難するようにアルベラを見る。
そして見られているアルベラはバツが悪そうに、小さく舌を出した。
「リリス、元々は私の方から要請した援軍だ。アルベラを責めるのは違うだろう」
「そうですわ。言ってあげてください、姉様」
「まぁ私も、アルベラがまさか自分で来るとは思わなかったがな。ドレルあたりが率いてくるものと思っていた。ありがたいとは思ったが、産後すぐの女の行動とは思えんぞ」
「……姉様、何故そこで上げて落とすのですか」
「ほら、姉さんも言ってるじゃない」
むすっ、とアルベラが唇を尖らせる。
かつての戦において、確かに援軍として来てくれたアルベラの存在はありがたかったが、それでも産後すぐ動いて良いものとは思えない。少なくともヘレナの知る産褥婦は、最低限の身の回りのことと、育児に専念することが大切だと思うのだが。
それを押してまで援軍に来てくれたことには、感謝するしかないが。
「ま、まぁ、それ以上言うな、リリス。それより、お前たちの夫はどうしたんだ?」
「うちの人なら、今陛下とお話をしてるわよ。ガルランドとより強固な盟を結ぶ件とかね」
「そうなのか?」
「ええ。今も同盟関係はあるけど、もっと強固な繋がりを求めているのよ。そのあたりを、ルシウス陛下から言いつけられていたわ」
「……」
それ、言ってもいいのだろうか。
一応ヘレナは皇后という立場にあるけれど、聞いていいものじゃない気がする。
「あら、でしたら婚姻を結ぶ予定ですの?」
「ルシウス陛下は、そう考えておいでのようだけどね。第三王子のヘリオス殿下と、ガングレイヴのアンジェリカ皇女の婚姻を進めたい考えだと思うけど」
「家格は釣り合っていないと思いますわ。アンジェリカ皇女は、ガングレイヴにただ一人しかいない皇女。失礼な言い方ですが、たかが第三王子に嫁がせるような真似はしないでしょう」
「ええ。わたしもそう言ったんだけど」
アルベラの言葉に、リリスが肩をすくめる。
確かに、ルクレツィア以外と子をなすことがなかった前帝ディールの血を引く存在は、ファルマスとアンジェリカの二人しかいない。
言ってみれば、アンジェリカはガングレイヴの最終手段なのだ。それを、王族とはいえ第三王子という王位継承権の低い存在に嫁がせるほど、ファルマスはアンジェリカを安売りしないだろう。
「ただ、それが国王となると話が変わってくると思わないかしら?」
「……は? 第三王子でしょう?」
「ガルランド王国も、色々厄介ごとを抱えてるのよ」
「どういうことだ?」
「まぁ、そのあたりは、さすがに言えないわ。国の秘密に関わることだから」
リリスが人差し指を、自分の唇に当てる。
血を分けた妹であるとはいえ、現在は他国の要人だ。さすがに、身内とはいえ言っていいことと悪いことがある。
何より、ヘレナはかりそめの存在ではあるといえ、現在は皇后だ。
相手が皇族であるがゆえに、言えないこともまた多くあるのだろう。
まったく、厄介な身分になったものだ。自分も、リリスも。
「ああ、そうだ」
そこで、思い出したようにアルベラが手を叩く。
「それより、姉様。先程の舞踏、見せていただきましたわ」
「……見ていたのか、アルベラ」
「わたしも当然見ていたわよ」
「……それ以上何も言うな。私とて、踊りたくて踊ったわけじゃない」
「それにしては、随分ノリノリだったように思えるけど。あれ、剣舞よね」
リリスの言葉に、ふっ、と笑みを浮かべる。
大多数の貴族たちには、ただの荒々しい舞踏のように見えただろう。だがリリスやアルベラのように武に特化した者にしてみれば、あれが剣舞であると一目で分かるものだ。
「姉様の舞も見事でしたが、陛下の合わせた動きもまた絶妙でしたわ。お二人で特訓をなされましたの?」
「さすがに姉さんの剣舞に合わせるんだから、相当な特訓を積んだんでしょうね。陛下もお忙しいというのに」
「いや……」
ふっ、とヘレナは笑みを浮かべる。
それは、ヘレナが今まで何度となくファルマスと夜を共にしながら、今日初めて知った才能。
ヘレナの育ててきた後宮の美姫たちが、誰一人持ち得なかった才覚。
「私が剣舞をすることは、陛下に伝えていない」
「えっ……?」
「踊れと言われたから、その場凌ぎに剣舞を行っただけだ。下手な舞踏を晒して、恥になっても構わないと思って、な」
「でしたら、陛下は……練習もなく、あのような動きを……?」
「ああ。元『赤虎将』グレーディア様によりある程度鍛えられたとは言っていたが、あれは天賦のものだろう」
「なんと……!」
妹二人が、言葉を失う。
それも当然。それだけのことを、ファルマスはしてみせたのだ。
ヘレナの剣舞は、達人のそれだ。日々剣を振り、鍛えに鍛えて、己の体に染み込ませた唯一無二のものである。
だというのに。
ファルマスは、そんなヘレナの剣舞を初めて見たにも関わらず、鏡合わせに再現してみせた。
それを、才能と呼ばずに何と呼ぼう。
「アルベラ」
「……ええ、姉様」
「帝都に、少しばかり滞在するつもりはないか?」
「わたくし、今日から二ヶ月ほど里帰りして子育てをするつもりでして」
「それは実に奇遇だな」
くくっ、とヘレナは笑う。
ファルマスの中に存在する、確固たる『剣術の才』。
それを伸ばすに、これ以上の師はない。
「お前にも手伝ってもらおう。あれほどの才覚だ。どう育てるか考えてみろ」
「ええ。姉様の期待に応えてみせますわ」
アルベラは、ヘレナを越える剣術の達人。
総合的にはまだ負けるつもりなどないが、こと剣術に関してはヘレナなど足元にも及ばない存在だ。
そんなアルベラが、ファルマスを鍛える――そこには、間違いない成果が生まれるだろう。
「姉さん、悪い顔してるわねぇ」
「才能を持った新兵を見ると、伸ばしてやりたくなるからな」
「ふぅん……姉さんが
「ああ。そうだな……ついでに、お前の夫も鍛えてやろうか?」
リリスの夫――今、ファルマスと談笑しているラッシュ。
細身で、恐らくまともに戦ったことなどはあるまい。剣よりも事務仕事が似合いそうな男である。
才能があるかどうかは分からないが、基礎体力は向上させることができるだろう。
「あ、そう? じゃあ、ついでにお願い」
「ああ、任せておけ」
こうして。
アルベラ・アロー、旧姓をアルベラ・レイルノートが、
ついでに、ラッシュ・アール・ガルランド第二王子の参加が妻の一存により決定した。
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