第76話 言葉足らずの皇帝
「え、ええと……?」
至極あっさりと肯定されて、むしろヘレナは戸惑う。
不敬を承知で物申したはずだというのに、ファルマスは特に何でもないとばかりに答えてきたのだ。これで戸惑わない方がおかしいだろう。
そしてファルマスはといえば、うんうんと頷きながら続ける。
「元より、そなたを『紫蛇将』に据えるのは軍の上層部でも決定済みだ」
「……そ、そうなのですか?」
「うむ。余の一存というわけではない。八大将軍を新たに任命するとなれば、残る八大将軍に諜報部長、軍部統括官に総括事務長官といった軍の上層部で会議が行われる。無論、余もそれに出席した」
「……」
初耳である。
そもそもあくまで元副官でしかなかったヘレナは、どのように八大将軍が決まるのか知らない。そして、ヘレナと面識があるのは残る八大将軍くらいのもので、諜報部長や軍部統括官などは会ったこともない相手である。
これは、ガングレイヴの軍の構造にもよるところだ。
戦時において、最前線で戦うのは八大騎士団である。だが、事前に戦地の状況の把握、敵地へ侵入しての情報収集するのは諜報部の役割であり、騎士団が出立すると共に諜報部は戻り、次の戦地へ赴くという役割分担をしているのだ。そして軍部統括官は軍の糧秣や輜重を主に担当する役割であり、その接触は将軍位か騎士団事務員にとどまる。そして総括事務長官ともなれば、基本的に書面での仕事ばかりであるため、ほとんど宮廷から出てこないのである。
軍というのは最前線で戦う者のみならず、裏方に徹する者の活躍によっても成り立っているのだ。
「何人か、候補は出たがな……それでも、就任させるには力不足と言わざるを得ない」
「……そう、なのですか?」
ヘレナ以外の候補となれば、何人か思い当たる。
例えば赤虎騎士団の副官、リチャード・ロウファル。だが正直、同じ赤虎騎士団にいたからという理由もあるけれど、ヘレナにしてみれば力不足の感は否めない。将軍として一軍を率いるには、まだまだ精進が必要となるだろう。
他の騎士団の副官も、似たようなものだ。銀狼騎士団の副官ステイシーであったり、碧鰐騎士団の副官クロイツァーだったり、その実力は現在の八将に比べれば一枚も二枚も落ちる者ばかりである。強いて言うならば、青熊騎士団の副官アストレイ・シュヴェルトはそれなりの実力者だが、『シュヴェルト』という家名からも分かるように、『金犀将』ヴァンドレイ・シュヴェルトの実子である。まだ若年であり、将軍位を与えるにはあまりにも若すぎると言わざるを得ないだろう。
「八将としての重責を担うことのできる軍人は、恐らく一人しかいないだろう……会議においては、そう結論付いた。かつて次の八将と呼ばれていたヘレナならば、問題なく担えるだろう、とな」
「なん、と……」
「余としても、それは問題ないと判断した。これまで所属していた赤虎騎士団とは、また勝手が違うだろうが……それでも、そなたならば将軍として見合った活躍をしてくれるだろう。余はそう信じている」
「……ありがとう、ございます」
言葉が出ない。
ファルマスがそのように認めてくれていることも嬉しく思えば、将軍というずっと目指していた目標に至ることができたことも嬉しい。何より、軍が自分をそのように判断してくれていたことも、堪らなく嬉しい。
後宮に入ったことで、軍籍は取り消された。それはまるで、ヘレナという軍人が最初からいなかったのではないか――そう、感じることもあったのだ。
戦場は、まだ、自分を求めてくれている。
それがヘレナにとって、何よりも嬉しい。
「だがな、少しばかり、乗り越えねばならん問題がある」
「問題……ですか?」
「ああ、別に大したことではない。少しばかり、発表するのが遅れるというだけだ。暫しの間は、アレクサンデルに『紫蛇将』と次期宰相候補としての仕事を務めてもらいつつ、紫蛇騎士団の出動は制限する」
「はぁ……」
何をすればいいのかは分からないが、この人事が間違いなく行われるのならば、ヘレナには何の問題もない。
むしろ、将軍として紫蛇騎士団を率いる日を心待ちにしながら、己の鍛錬を重ねることができる。
それは、ヘレナにとって喜びだった。
「さて……話が逸れたな。今日の要件は、今宵のことだ」
「……今宵は、アーサー殿下とラッシュ殿下の歓迎の宴が執り行われると伺いました」
「そうだ。今回も、皇后の名代として出席してもらう。未だに余は、正妃を発表しておらぬからな」
「は。承知いたしました」
皇后の名代として出席をするのは、あの一周忌の式典以来だろうか。
あの頃はまだ、ノルドルンドの悪党が幅をきかせていた。だが現在は粛清も成り、清廉な政治が行われているのだろう。
あの時ほど、心配する必要はなさそうである。
「うむ。だが、安心せよヘレナ」
「はい」
「このように名代として出席してもらうのは、今宵で最後だ」
「えっ……」
「そなたには、長く苦労をかけてきた。余のかりそめの正妃として振る舞うような、そのような重責を与えていた。だが、そなたは役割を十二分に果たしてくれた。これで、次の段階へ進むことができる」
「は、はぁ……」
特に何もした覚えがないのだが、ファルマスが感謝してくれているのならば素直に受け取るべきなのだろうか。
だが同時に、気になるのはファルマスの言葉――今宵で最後、というその宣言だ。
つまり今後、ヘレナはこういった宴に出席しなくても良いということ――。
「今はまだ水面下で話を進めているが、ひとまず半年後には執り行うことができるだろう」
「……」
「今宵は、アーサー殿下とラッシュ殿下にも出席を要請するつもりだ。やはり、体裁とはいえ他国にも認めてもらう必要があるからな。国を挙げた、大々的なものになるぞ」
「……」
何をするのだろう。
半年後に何が行われるのかさっぱり分からないが、かといって「何をするのですか?」と聞けないヘレナがいる。
何せファルマスが、ヘレナなら全てを分かっているだろう――そんな感じで話しているのだから。
「さて……すまん、長居したな。では今宵、また迎えにくる」
「は、はい。承知いたしました」
「ではな」
ファルマスが立ち上がり、マントを翻させてヘレナの部屋から出てゆく。
そして一人取り残されたヘレナは、こてん、と首を傾げた。
ファルマスが何を言っていたのか、その半分くらいはよく分からないけれど。
「……今宵で最後、か」
小さく、そう呟く。
確かに、ファルマスの言うところの『政治の混乱』とやらは去った。もう、ファルマスは自由に振舞っていいのだ。ヘレナを、かりそめの正妃になどせずに。
少しばかり、寂しいという気持ちが湧いてくる。だが同時に、心の底から高揚する自分がいた。
皇族は将軍になれない。だが、ファルマスはヘレナを将軍にすると告げた。
つまり、その帰結は一つ。
ファルマスは、ヘレナを皇族に――皇后にするつもりなどないのだ。
かりそめの正妃としての役割はここで終え、ヘレナは後宮の姫から軍人に戻ることができる。
「ようやく私は、戦場へ戻ることができるのだな……」
今宵で最後、というその言葉。
ファルマスは『正式に皇后として迎えるから、かりそめの正妃としての役割は最後』と言いたかったものを。
ヘレナは、『役割は終わったから後宮を出て軍人に戻れ』と受け止めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます