第75話 ヘレナ様は将軍になりたい
「えー……」
ヘレナは唇を尖らせる。
ちゃんと論理的に、順序立てて説明をしたというのに、まるでヘレナの気が触れたかのように言われてしまった。
皇族は将軍になれない。そしてヘレナは将軍になりたい。つまりヘレナは皇族になれない。この論理的思考の、どこに穴があるというのか。
「いえ、ヘレナ様が大抵ろくでもないことを言い出すお方であるということは存じておりますが」
「……私はそれほど信用がないのか?」
「陛下に『腕が太い』と言われてダイエットをしようと言い出したのも、今となっては良い思い出にございます」
「……」
あったなぁ、そんなこと。
よくそんなことを覚えているものだ。そういえばあのときも、アレクシアには「お気を確かに」と言われた気がする。
「以前も申し上げましたが、ヘレナ様が皇后になる件については」
「ああ」
「諦めてください」
「……いや、私は将軍になりたいのだ。そのためには、皇后になるわけにいかない」
そもそも、皇后になることを決意したのだって、アレクシアの言葉があったからだ。
皇后ならば持ち得る権力は高く、八大将軍を九大将軍にすることもできるのではないか、と。そして、その座にヘレナが就任すればいいではないか、と。
その前提が覆ったのだから、ヘレナが皇后になるという道も同じく閉ざされるべきだ。
だが、そんなヘレナの言葉にアレクシアは、大きく溜息を吐いた。
「でしたら、陛下にそう仰っては如何ですか」
「どういうことだ?」
「先のお言葉を、そのまま申し上げるべきかと。皇后になったら将軍になれないのならば、皇后になどなりたくないと、そう陛下に申し上げればよろしいかと存じます」
「……いいのか?」
「陛下は度量の大きい人物です。ヘレナ様の望みならば、叶えてくださるかと」
「ふむ」
ファルマスのことを嫌いというわけではない。だけれど、それとこれとは別問題だ。
そもそもヘレナが正妃扱いとなったのは、ファルマスの言う所の『政治の混乱』とやらを改善するためである。現在はノルドルンドも失脚し、父であるアントンが宰相としてファルマスを能く支えてくれているはずだ。そして宮廷は粛清され、現在は清廉な政治が行われているはずである。
つまり、ファルマスがヘレナを皇后として娶る理由は、どこにもないのである。
ならば確かに、ヘレナからファルマスへとそう言いだして良いかもしれない。
「そもそも、ヘレナ様」
「うん?」
「ヘレナ様は、後宮におられるお方としては、わがままの一つも申し上げませんから。これを機に、陛下にわがままの一つくらいは申し上げて良いかと」
「……わがまま、か?」
「他の側室の方々ならば、陛下にもっと高級な品をだとか、宝飾品の類をだとか、そういう要求をして当然でございます。ですが、ヘレナ様は後宮に入られてから、陛下に何を要求されましたか?」
「……ええと」
確か、ファルマスから貰ったものは幾つかある。
だけれど、ヘレナの方から欲しがったものは、確かに少ない。
「……剣と、鍛錬をするための部屋だな」
「ヘレナ様はそういうお方ですから、今更将軍位の一つや二つくらいお求めになっても、陛下は驚きなどしないでしょう」
「ふむ……確かにな」
うん、と頷く。
後宮の姫らしく、ファルマスにおねだりをしてみよう。私は将軍になりたいのー、欲しいのー、ちょうだいー、と。
……。
自分と『おねだり』という言葉に、あまりの乖離があってヘレナは思わず苦笑した。さすがに、そんな風にファルマスに言えるほど、ヘレナは自分を捨てていない。
だけれど、ひとまずヘレナがやるべきことは分かった。
ならば、それをファルマスに一言一句違わず、伝えるべきだろう。
「分かった。ありがとう、アレクシア」
「……わたしは、陛下のことが不憫でなりませんが」
はぁ、と小さく溜息を吐くアレクシア。
すると――そこで、こんこん、とヘレナの部屋の扉が叩かれる。
「む……」
「失礼いたします、『陽天姫』様」
「ああ、イザベルか」
アレクシアが玄関口に向かい、そのまま扉を開く。
それと共に部屋に入ってくるのはイザベルと、その後ろ――ファルマスの二人だった。
「……ファルマス様?」
「すまんな、ヘレナ。少し、話をしに来た」
「今夜は、宴と聞いておりますが……」
「そのための服を用意した。今宵は、皇后として宴に出席してもらう。まぁ、そのついでだな。少し、話がある。他の者は席を外してくれ」
「承知いたしました」
イザベルが荷物――恐らく、ヘレナの今夜の服なのだろうそれを部屋の隅に置き、そのまま一礼して退室する。それと共にアレクシアも一礼して退室し、扉が閉められた。
これで、ファルマスと二人だけである。
だがこれは、良い機会であるのかもしれない。
今夜は皇后として出席しなければならない――つまり、今夜の宴に出席したら、ヘレナが皇后になる未来は確定されるということだ。
ならば今、ファルマスに皇后になるつもりがないと、そう言えば――。
「お茶を淹れましょうか?」
「ああ、別段長居をするつもりはない。少し、今後の予定を話しておきたいだけだ」
「そうなのですか?」
「ああ……ふむ、何から説明して良いか悩むところだが」
ファルマスが、顎に手をやる。
「此度、将軍の人事異動が行われる。『紫蛇将』アレクサンデル・ロイエンタールを正式に、アントンの下につけて次期宰相として学ばせるつもりだ」
「は、はぁ……」
「そうなると、八将の一つが空席になる。だが現在の副官は、まだ経験が浅い。そこで、経験豊富な新たな将軍を据えることになった」
「……」
かつて、ヘレナは一度八大将軍の候補として選ばれたことがある。それは、アレクサンデルが就任する前の『紫蛇将』だ。
当時、アレクサンデルよりもヘレナの方が経験的にも戦功的にも上回っていながら、八大将軍を中心とした軍上層部により行われた会議によって、ヘレナは将軍として選ばれなかったのである。
理由としては、「ヘレナを将軍にしたら突撃しかしない」と言い出した者がいたとか、既にリクハルド・レイルノートが『黒烏将』に就任している以上、同じ家から八大将軍を出すわけにいかないとか、ヴィクトルが最も信頼する副官を手放したくなかったからだとか、様々な噂はあるけれど、真実はヘレナも知らない。
そんな、かつて就任するかもしれないと期待した『紫蛇将』。
その座に就任する、新たな経験豊富な将軍――。
ぎりっ、と思わずヘレナは奥歯を軋ませた。
「そんな次の『紫蛇将』なのだがな」
「……」
どうするべきか。
ここで、「皇后になるのをやめますから私を将軍にしてください」とか言っちゃってもいいのだろうか。
実際のところ現在の軍部に、ヘレナほどの戦功を重ねた者はいない。少なくとも、どの副官と比べられたとしても、ヘレナは自分の方が将軍に相応しいと言えるだろう。
「ファルマス様っ!」
「……む、む?」
「どうか、無礼を承知で申し上げたいことがあります!」
「……どうしたのだ、ヘレナ」
かつて、母がヘレナに言ったこと。
将軍になれ――それを目指して、ヘレナは必死に戦場を駆けてきた。
ゆえに。
これがどのような不敬に繋がろうと。
これがどのような無礼に繋がろうと。
ヘレナはその心を占める――己の望みを告げる。
「どうか、私を『紫蛇将』にしてください!」
言った。
言ってしまった。
そんな、ヘレナの一世一代の宣言に対して、ファルマスは。
「ああ、そのつもりだ」
「…………………………え?」
そう、物凄くあっさり返した。
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