第73話 ガングレイヴの今後
「……ふむ、結局、優勝はアンジェリカ嬢ということか」
「そうなりますね。いや、白熱したいい戦いでした」
「俺としては、あの仮面の女こそ優勝に相応しいと思うがな。最初から組んでいたのだろうが、それを気付かせぬ演技というのはなかなかできん。そして、アンジェリカ嬢の一撃が背中に入った最大の理由は、あの女が一人で足止めをしていたからだろうよ」
「僕もそうは思いますが、ルール上仕方ない部分はあるのでしょう。殺し合いではなく、あくまで試合なのですから」
隣で会話をする他国の要人――アーサー・エル・ダインスレフ第一王子ならびにラッシュ・アール・ガルランド第二王子の言葉に、ほう、と小さくファルマスは息を吐いた。
まったくもって、心臓に悪い戦いだった。ヘレナが勝手に出場し、しかも優勝まで掻っ攫っていってしまっては、他国に示しがつかない事態になるところだったのだ。ヘレナ自身にそのような自覚は全くないだろうけれど、もうフットワークの軽い身ではないのだから。
今回の武闘会において、ヘレナは他国の要人アーサーならびにラッシュから、次期皇后として認識されている。
勿論、まだ正式に発表しているわけでもない状況ではあるけれど、皇帝であるファルマスが公共の場に後宮の者を一人だけ侍らせるというのは、暗喩としてそういう意味になるのである。そして勿論、ヘレナ自身もそのことは分かっていたのだろう。
だというのに、強行に出場したその理由はさっぱり分からないが、ヘレナにも何か譲れない点があったのかもしれない。
それでも、危険はあった。
例えば、この場でヘレナが力加減を誤り、弟子である令嬢を殺害した場合。
例えば、ないとは思うが弟子による多対一の戦いにおいて、ヘレナが敗北して絶命した場合。
これが殺害や絶命といった致命的なものではなくとも、重度の障害や重傷を負う可能性もある。そして、それはヘレナのみならず、それぞれに立場のある後宮の令嬢たちにも当てはまることなのだ。フランソワやクラリッサといった伯爵令嬢ならばまだしも、皇族であるアンジェリカや帝国一の商会の娘であるマリエルにそのような事態が発生してしまっては、目も当てられない。
結果としてヘレナが平和的に敗北し、誰にも傷が残ることなく戦いは終えたわけだが、それでも危ない橋であったことには変わりないのである。
「それで、ファルマス陛下。お伺いしたいのですが」
「む……あ、ああ、何だろうか」
「今回の優勝は、陛下の妹君でもありますアンジェリカ嬢となったわけですが……彼女に、将軍位を与えることになるのですか?」
「ふむ……」
ラッシュの言葉に、僅かに思案する。
確かに、将軍位に就けると宣言したのはファルマスだ。そして皇帝として宣言したことである以上、その授与は速やかに行われなければならないだろう。
だが、ファルマスの予想において、アンジェリカの勝利などという未来はなかった。
「……それは、困る。さすがに、余の妹を将軍に据えるわけにはならん」
「やはり、そうですか。ガングレイヴで、皇族の将軍というのは今までいませんものね」
「そうだ。権力分立という形で、皇族と軍部は完全に分立している。我が国が八つの騎士団に分かたれているのも、またそれが理由だ」
ふぅ、と小さく溜息。
元々、ガングレイヴは小国だった時代に、権力の全てが皇帝に存在した歴史がある。
それは名君であれば、間違いのない政治を行うだろう。だが、もしも暴君がその頂点に立った場合、軍による民衆への恐怖政治が行われる可能性があったのだ。ゆえに、ガングレイヴが他国を併呑し、その版図を広げると共に、次第に皇族と軍部の分立が進んでいった。
現在は八大将軍を頂点とした軍部の体制、宰相を中心とした行政の体制、そして皇族による立法といった形で、その権力は分散しているのである。ゆえに、どのような暴君が皇帝の地位に就こうとも、その権力を一手に握ることはできないようになっているのだ。
そして八つの騎士団に分かれているのも、また同じ理由である。
例え三つの騎士団が反旗を翻したとしても、残る五つの騎士団により止められる。一つの騎士団が道を誤ったとしても、残る騎士団でそれに対処できる。
権力を一つに集中させないことで、逆に権力を安定させる――それが、現在のガングレイヴのあり方だ。
「ゆえ、さすがにアンジェリカを将軍にするわけにはいかぬ。此度は準優勝という形で、あの仮面の女に授与するのが角が立たないやり方だろうな……」
「ふむ。しかし、それでは道理が通らないな。優勝者は将軍にすると宣言しておいて、いざ優勝したのがアンジェリカ嬢であったからと前提を覆すような意見は、あまり良い結果を導くとは言えないだろう」
「む……」
「民にしてみれば、どのような言葉であれ、それは『皇帝の言葉』だ。『皇帝の言葉』をこのような公衆の面前で覆してみろ。今後、何を民に告げたところで素直に信じてはくれぬぞ」
「……」
アーサーの言葉に、ファルマスは渋面を浮かべる。
そんなことは分かっている。だけれど、それ以外に方法がないのだから仕方ない。
少なくとも、アンジェリカの役割は違うのだ。皇族の娘としてアンジェリカが行わねばならないことは、将軍として軍を率いることではないのだから。
「ままごとでいいのならば、やらせてやればどうだ。どうせ、最前線には行かぬ兵であろう」
「……確かに、その通りだが」
「アンジェリカ嬢は十二、三といったところだろう。ならば、遅くとも二年か三年だ。その程度、遊ばせてやるのも家族としての愛ではないか」
「……まぁ、な」
アンジェリカは、皇族でただ一人の娘だ。
ならば彼女が行うべきは一つ。結婚、ならびに子を育むことである。
もっとも、まだ具体的にアンジェリカが誰に嫁ぐか、決まっているわけではない。
国交を深めなければならない国も特にいるわけでなく、忠臣への信頼の証として嫁がせる相手がいるわけでもない。強いて言うならばダインスレフ王国とは友誼を深めておきたいところだが、その判断を行うのもまだ尚早だろう。
ならば、そのように皇族の娘として望まぬ婚儀を行うまで、かりそめの将軍として扱っても――。
「あれ、でも……少し、疑問なのですが」
「どうした、ラッシュ殿下」
「皇族は将軍になれないって……先程、ファルマス陛下は仰いませんでしたか? ヘレナ様を将軍にする、と」
「ああ」
ラッシュの言葉に、そう答える。
ああ、確かにそういえば、説明不足だったかもしれない。
皇族が将軍になれないのが事実でありながら、ヘレナは将軍になることが決まっている――それは、確かに不思議な事実だろう。
「別段、おかしなことではあるまい」
「いや、十分おかしなことかと……」
「余は、確かにヘレナを娶るつもりだ。皇后として即位してもらうつもりだ。だが……それに伴う権力は、何一つ与えない」
「え……」
皇后は本来、皇帝に次ぐ地位である。
皇帝であるファルマスが不在であったり、病床にいるときなど、代理で判断を下すのも皇后の仕事だ。あとは、各種の催事に出席したり、他国の弔事に出席したりなど、国の顔として存在することが義務とされるのだ。
だがファルマスは、ヘレナにそのような役割を与えるつもりなど、毛頭ない。
「些事は、ひとまず母……皇太后に全て任せる。ヘレナは皇后というよりは……そうだな、余の妻だ」
「それを皇后というのでは……」
「いいや……ヘレナには、皇后よりも似合う仕事がある」
くくっ、とファルマスは笑う。
近い将来訪れるであろう、そんな未来を思い描いて。
しかし、人差し指を唇にあてて、これ以上は内緒だとばかりにラッシュへ示し。
「悪いが、これ以上は我が国の秘部だ。ここで話すことはできぬ」
「残念ですね」
ファルマスの思い描く、未来絵図。
そこに存在するのは、皇帝として国の頂点に座するファルマスと。
軍を全て統括する『大将軍』として存在する、ヘレナの姿だ。
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