第32話 隠密護衛

 騎士団には時折、『護衛対象に認識されずに護衛を敢行する』という命令が下される。

 文面だけでは意味の分からない任務だが、割と頻度は高いものだ。


 例えば、他国の要人に対するもの。

 これは例えば、砂の国のようなあまり交流のない国からの使者である場合、国内で何かが起こった際に国際問題に発展することもあるからだ。かといって、帝国の方から護衛を寄越す、と言えば砂の国の騎士団の面子が潰れるものとなる。それほどまでに我が国の騎士団は脆弱に見えるのか、と。

 国同士であるがゆえに、そんな面倒なことが起こり得るのだ。

 ゆえに、使者が国境を通過するまで、付かず離れずの距離で護衛を行うのである。そして、同時にそれが他国の騎士にも看破されてはならない。


 だがこの任務において、最も多いのは『要人のお忍び』に対する護衛だろう。

 貴族というのは、生まれたその血筋が貴族としての己を示すものとなる。ゆえに貴族は、その職務を終えようとも貴族であることを辞めることができない。貴族である己を失う日があるとすれば、それは己が死ぬその日だけなのだ。

 だからといって、毎日のように肩肘を張って過ごすことも、また貴族にとっては大変なことである。ゆえに若い貴族の子息や令嬢は、己の身分を偽って街に繰り出したり、夜の街で飲んだり、そういう『お忍び』をすることが多いのだ。

 だが、本人はばれていないと思っているつもりでも、そのような行為は当然ながら家中では知らない者などいない。かといって制限することで鬱屈が溜まってゆくのであれば、知らない振りをして見逃してやる、というのも親心である。だが、その際に子息に危険が及ばないように、と騎士団に依頼されるのだ。

 そして、その際に選ばれるのは『実力を伴った』『街中に溶け込みやすい』者でなければならない。いくら腕が立つとはいえど、『青熊将』バルトロメイ・ベルガルザードのような個性的な見た目であれば、隠れて護衛をすることなどできないのだから。

 ゆえにそんな任務は、基本的に女性だけで構成されている銀狼騎士団に振られることが多い。

 純粋に女性であるがゆえに、市井の女性の格好をすれば溶け込むことができるからだ。


 メリアナ・ファーレーンも、そんな護衛任務は何度かやったことがある。

 ちなみにティファニー曰く、「十五年くらい前にはよくルクレツィア様がされていたから困ったものでした」とのことである。背が低く子供のように見えるティファニーは、当時よくそんな護衛を行っていたらしいのだ。


「……」


 奇妙な藁でできた衣装に身を包みながら、限りなく呼吸を抑えつつ観察する。

 自身も所属する『ヘレナ様の後ろに続く会』――帝国でも最大規模の勢力を誇るそれにより、最上の存在とされているヘレナ・レイルノート。メリアナはそんなヘレナに、サバイバル訓練における隠密護衛を命じられた。決して護衛を悟られてはならず、しかし適度なタイミングで襲いかかるように、という謎の要求である。

 そんなメリアナが護衛対象としている相手――それが、『才人』フランソワ・レーヴン伯爵令嬢である。


「すー、すー」


「……」


 木の幹にもたれかかり、寝息を立てているフランソワを見守る。

 だが決して油断しているわけではなく、その両手にはしっかりと弓を抱えたままだ。右手など弓の弦に矢の端を添えており、何かあればすぐに矢を引くことができるだろう。事実、そんな風にフランソワに撃退され続けて今に至るのだ。


 末恐ろしい――素直に、そう思う。

 メリアナとて、このサバイバル訓練はやったことがある。というか、この訓練コースは基本的に新兵訓練ブートキャンプの後に行われるもので、現役の軍人で経験のない者はいないだろう。一本杉という明確な目標があり、しかし一本杉は視認できても行くためのルートがなかなか見つからないというこの地形は、他に存在しないものなのだから。

 当時はメリアナも、泣きながら蛇や兎を、空腹の境地に至っては草すらも食みながら過ごした覚えがある。

 それを、まさか貴族令嬢が受け入れることができるなんて。


「むにゃ……バルトロメイ様ぁ……」


「……」


 何故、そこで熊親父の名前が出てくるのだろう。

 ここ数日、延々とフランソワを追っているメリアナだ。その名前を聞いたのも、一度や二度ではない。何度か「バルトロメイ様に相応しい妻となるために!」とか言っていたのも聞こえている。

 何故後宮で過ごしているはずの貴族令嬢が、四十代未婚の熊親父の妻になることを夢見ているのだろう。


「……」


 ゆっくりと、メリアナは歩みを進める。

 被っているのは、謎の衣装だ。何故かヘレナから渡され、襲撃時には必ず装着するように言われている。正直に言って、恐ろしく暑いし息苦しいから脱ぎたいというのが本音だ。

 そして武器は、決して傷つけてはならないということで紙を畳んだものを渡された。


 隠密護衛――決して、存在を悟られないように。

 だけれど同時に、襲撃者として容易な睡眠を摂らせないように。

 メリアナはさらに歩みを進めて、ゆっくりとフランソワへと近付いてゆく。

 一歩、二歩、三歩、と次第にその距離は縮まってゆき。


「――っ!」


 その距離が、フランソワと自分の間に十歩の距離に迫った時点で、フランソワが目を見開いた。

 それと同時に、まるで流れるような動きで弓を構え、矢を番える。その先に鏃はついていないけれど。


 この訓練が始まって、まだ四日目だ。

 初日の夜は、ひどいものだった。ヘレナに翻弄され、野犬に翻弄され、醜態を晒していた。

 二日目の夜も同じく、まともに対応できていなかった。別の令嬢と一緒に過ごしており、全く眠れないことに強いストレスを感じているように思えた。

 変わったのは、三日目の夜からだろうか。

 いかにして睡眠をとるか、いかにして体を休めるか――そのあたりを、調整できるようになってきたのだろう。


「はぁっ!」


「――っ!」


 ひゅんっ、と飛んできた矢が、メリアナの頰を掠める。

 まだ姿を見せておらず、茂みに隠れたままだというのに。気配だけでメリアナがいることを察知して、こちらに向けて放ってきたのだ。

 しかも、さらにメリアナがいる方向を警戒しながら、弓を下ろそうとしない。これで姿を見せれば、その瞬間に矢が再び飛んでくるだろう。


「そこにいるのですねっ! ヘレナ様っ!」


「……」


「むっ! こちらですかっ!」


「……」


「はうっ! ヘレナ様が二人おられますっ!」


「……」


 恐らく、フランソワの逆方向から寄ってきた男――『紫蛇将』アレクサンデルの気配を察したのだろう。

 何故かヘレナが二人いる、という謎の勘違いをしてくれてはいるが、気配を察知する能力は一級だ。たかが四日で、これほどまでの成長を見せるとはメリアナにしても想定外だった。

 じわじわと、今度は退く。

 音を立てずに、フランソワから目を離すことなく、距離をとる。枯れ枝を踏まないように慎重に、じわじわと。


 そして、メリアナとフランソワの距離が、最初の位置に戻った時点で。

 ふぅ、と小さく胸を撫で下ろしてフランソワが弓を下ろした。

 下ろしながらも、しかし警戒は全く解けていないけれど。すぐにでも撃てるように、矢は番えたままである。


「……もう、おられませんね! ではわたしは寝ます!」


「……」


 宣言されても。

 そのままフランソワは木の幹に体を預けて、目を閉じた。すー、すー、と程なくして寝息が聞こえてくる。


 これだ。これが、末恐ろしいのだ。

 確実に睡眠をとりながら、しかし脅威に対しては自動的に体が動く――それが、一流の戦士だ。その才覚に、目覚めつつあるということ。


「……ヘレナ様、どれだけの化け物を育てているのですか」


 メリアナは聞こえないようにそう呟いて。

 少なくともこの四日目の夜――フランソワへの襲撃は、矢の一本二本は受ける覚悟が必要だな、と気を引き締めた。

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