第2話 ファルマスの思惑
「ふぅ……」
「ファルマス様、どうぞ。お茶です」
「む……ああ、ありがとう」
午前の鍛錬に、宣言通りファルマスは参加した。とはいえ、さすがに皇帝であるファルマスがここにいて、全く同じ訓練をさせるわけにもいかないために、基本的にはヘレナが指導することにした。
他の令嬢たちに対して施すものよりも随分甘く、量にしては半分にも満ていないけれど、それでも疲労感を見せていた。
やはり皇帝という職についている限り、書類仕事で忙殺されて、体を鍛える暇もないのかもしれない。
「凄まじいな……」
「はい?」
「あやつらだ……余はただ、これだけでへばっているというのに……」
「まぁ、彼女らはずっと自己鍛錬ばかりしておりますので……」
基本的にやることのない後宮で、ただただ鍛錬ばかりしている他の令嬢たちと、比べるのも難しいだろう。
ただでさえその背にはガングレイヴ帝国という巨大国家を背負うファルマスだ。そんな彼が、執務を無視して鍛錬ばかりの日々を送られては国が混乱してしまう。
それゆえに午前中だけなのだろうけれど、それでも疲れ切っては午後の執務に差し障りがあると考えて、それなりに甘い訓練にしたのだ。
「はぁっ!」
「そんな矢など当たりませんの!」
「隙ありぃ!」
「くっ……!」
「うるぁぁっ!」
「もっと! もっとわたくしに苦痛を!」
「もうお前ほんと気持ち悪い!」
既に基礎訓練を終え、現在は模擬戦を行っている令嬢たちを見ながら、小さくファルマスが嘆息する。
勿論、模擬戦を行っているのは二期生までだ。まだ始めたばかりの三期生は、現在もマリエルの指導を受けながら体力作りに励んでいる。
「ヘレナよ」
「はい?」
「そなたは……こうなると、思っていたのか?」
「どういうことでしょうか?」
「『月天姫』は徒手格闘の達人。『星天姫』は槍を持たせれば無双。『才人』は百発百中の射手であり、『歌人』は男でも動けぬ
「それは……まぁ」
ヘレナにしてみても、そうだ。
シャルロッテがあれだけの徒手格闘の腕を持つとは思っていなかったし、これほど戦闘狂になるなど考えていなかった。
マリエルの槍の才能など、今まで鍛えてきた誰よりも光ると思えるものだ。これで偏愛がなければ最高である。
フランソワの弓は、まさに神業とさえ言っていい。将来的には大陸随一の弓手であるリクハルドにも及ぶことだろう。
クラリッサはまさに努力に努力を重ねて、あの重量溢れる
アンジェリカの正確無比な投擲は、まさに一流の投擲兵にも及ぶものだ、戦場で一人いるだけで、投石機が一つあると考えても良いほどの戦力である。
カトレアの足技は、元よりあった柔軟性からなすものであり、しかも強気である本人の性質とも上手く噛み合ったのだろう。
エカテリーナの万能性は、戦士として他の誰よりも優秀だ。武器を自在に変えることができ、距離を選ばないその戦力は貴重である。
レティシアはヘレナからすればまだまだだが、それでも一生懸命に頑張っているし、双剣という武器も本人に合っていると思われる。
クリスティーヌは……まぁ、置いといて。
ヘレナにしても、これほど彼女らが成長するとは思っていなかった。
だが――彼女らには、間違いなく戦士としての資質があったのだろう。
本来ならば、良家の子女として生まれ育まれた彼女らが、決して得ることのできなかった才能だと思う。
後宮において、ヘレナに師事を受けたからこそ、開花したものなのだ。
「ゆえに……思ったのだ。余が知らぬだけで、これほどの才能を持つ者が、我が国には溢れているのではないか……とな」
「あの、ですが、ファルマス様……」
「よい、そなたの懸念も分かっている」
ヘレナの言葉に、そう笑みを返すファルマス。
特に意図を悟られる発言をしたわけでもないのに、そんなヘレナの考えなど分かっている、とばかりに。
「誰しもが、これほどの才を持つなどとは思っておらぬ。ここにいる面々は、特別だ」
「……そうですね」
ヘレナは何度となく、
それも、現状のような少人数でなく、一度に五十人ほどを指導したことも珍しくはない。それも、彼女らに施した一月の
だが、余程の才能を持つ者は一度の訓練において、一人見つかるか見つからないか――その程度のものだ。こんな風に、誰もが卓越した才能を持つことなどあり得ないのだから。
「だが、それでもどこかには、持ち得る才が開花していない者がいるかもしれない。そして、そのような者がいるならば、我が国にとっては有益だ」
「まぁ……それは、その通りですが」
「ゆえに、余は新たな政策を打ち出した。今のところは、グレーディアとアントンくらいにしか言っていないがな……ノルドルンドの失脚において、あやつの領地は皇族の直轄に戻し、その上で屋敷にあった隠し財産は全て没収した。おかげで、皮肉なことに国庫が潤っておる。多少、新たなことに挑戦する機会を得たのだ」
「はぁ……」
何を言っているのか、よく分からない。
だが、とりあえず何かやるつもりなのだろう、くらいは理解した。もっとも、ファルマスが何をしようとも後宮にいるヘレナには何の関係もないのだけれど。
そんなファルマスは、にやりと不敵に微笑んで。
「学院を作ろうと思う」
「……学院をですか?」
「そうだ。現在も帝都立学園はあるが、あれは貴族の子息しか入れぬし、主に宮廷における官職に就くための教育を行っておる。だが、同時に女子は入学することができないのも事実だ。加えて、戦争もこれより小康するであろう。そうなった場合、これより後の将軍はろくな経験もない貴族がなるかもしれぬ。ゆえに、第二の学園を設立することにした」
「軍人の、養成所ということですか……?」
「その通りだ」
なるほど。
確かにファルマスの言うことにも一理ある。実際のところ学園は、そこに所属している貴族の子息とコネを作るためだけの場であり、行われている教育もろくなものではないと噂に高い。しかも、大貴族の子息が権力を盾に好き勝手振る舞っているという話すら聞くものだ。
レイルノート家からは兄リクハルドが入学したが、早々に「意味がない」と言って退学したほどである。
「既に、アン・マロウ商会とも話をしている。ある程度出資をしてくれるらしくてな。帝立リヴィエール軍学高等学院という名をつけるよう条件はあったが、たかが名前をつける程度ならば、安いものだ」
「あの、それが……」
「ここからが本題だ」
ファルマスは、真剣な眼差しでヘレナを見据える。
そう。
こんなときのファルマスは、大抵ろくなことを言ってこない。経験則でそれを理解し、つい身構える。
多分、きっと、厄介な案件――。
「そなたに、学院長を務めてもらいたい」
「はぁぁぁぁっ!?」
予想の。
斜め上を遥かに超えたそんな言葉に、ヘレナは絶叫した。
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