後日談

第1話 戻ってきた日常

 アブラハム・ノルドルンド、ならびにディートリヒ・ハイネスは、帝位の簒奪を企てたとして一族郎党斬首に処された。

 その際に、ファルマスが上手く立ち回って他に協力していた、ノルドルンド派の貴族を一掃したらしい。罪の軽い者は爵位の剥奪による平民落とし、罪の重い者は国外追放といった形で処することで落ち着いたそうだ。その後、相国という地位は失われ、ひとまず宮廷における最高位はヘレナの父であるアントンが就く宰相一つにおさまった。

 とはいえ、粛清が終わったのち、嬉しそうにファルマスが話しているのを聞いただけだ。ヘレナにしてみれば、夜会において絶対に殴ると決意していたノルドルンドを殴ることができて満足であるため、特に彼の今後に興味があるわけではなかったけれど。


 何はともあれ、今日も後宮は平和である。


「くぁ……」


 いつも通りに寝台から身を起こし、軽い鍛錬を済ませて汗を流してから、アレクシアの運んできた朝餉を食べる。

 もしゃもしゃと相変わらず冷めたそれを咀嚼しながら考えるのは、今日の鍛練についてだ。いつも通りながら、ヘレナの頭は鍛練以外のことでは特に働いてくれないのである。


「アレクシア」


「はい、ヘレナ様」


「今日のローテは分かるか?」


「はい。把握しております」


 以前からヘレナが提案し、実践させていた相棒(バディ)型の鍛錬は、少しだけ形を変えることになった。

 フランソワの弓の冴え、シャルロッテの近接戦闘の技術、マリエルの卓越した棒術、アンジェリカの人としての限界とさえ呼べる投擲術、クラリッサの全身鎧(フルプレート)で動き回れる筋力――新兵訓練(ブートキャンプ)一期生は全員、何らかの技術に特化している者ばかりなのだ。そんな中で、一人が一人を鍛えていると、どうしても教える技術に差異が発生してしまう。

 これは、エカテリーナを見ていればよく分かることだ。基本的に何でもこなせる万能型のエカテリーナだが、そんな彼女の相棒(バディ)がフランソワだけでは、弓の技術しかしっかり教えることができない。そうなれば、せっかくの万能型が宝の持ち腐れとなってしまうのである。

 ゆえに、ローテーションを組んだのだ。

 今日は誰が誰に教わる、という形である。カトレアがフランソワに弓を教わる日があったり、レティシアがクラリッサと共に体を鍛える日があったり、その形は様々であるが、基本的に二期生が毎日別の一期生に見てもらう形になっている。ヘレナの見立てでは、二期生たちもこの訓練を経て大分成長してきたように思える。


「本日はフランソワ様がカトレア様を、アンジェリカ様がレティシア様を、シャルロッテ様がエカテリーナ様を、クラリッサ様がクリスティーヌ様を、マリエル様が三期生を指導する予定となっております」


「分かった。クラリッサとクリスティーヌは鍛練部屋で行うように伝えておいてくれ」


「承知いたしました」


 そして、最近入ってきたのは三期生である。

 後宮の位において、ヘレナ、マリエル、シャルロッテ、クリスティーヌが『四天姫』という最高位であり、フランソワ、クラリッサ、エカテリーナ、カトレア、レティシアが『九人』の地位にある。そして最近入ってきた三期生は、さらにその下に位置する『二十七婦』に位置する者だ。

 今までずっと中立派として隠れて暮らしていたらしいのだが、ヘレナが鍛えに鍛えたことによって後宮における派閥というのがほぼ名前だけのものとなり、どの派閥に所属しておらずとも特に何も言われることのない現状に感激したそうだ。そして、その要因を作り上げたヘレナに是非とも弟子入りをしたいと志願してきた四人である。

 ゆえに、ヘレナは基本的に監督をすることにして、他の面々に指導を任せることにしたのだ。近々三期生用に少しだけ厳しい新兵訓練(ブートキャンプ)は施そうと思っているけれど、今のところは体力作りから始めさせている。


「……後宮が、これほど変わるとは思いませんでした」


「む? どうした、アレクシア」


「わたし、ヘレナ様が入宮された際に、申し上げた気がします。宮廷は策謀渦巻く魔窟ですが、後宮は女の欲望渦巻く魔境である、と」


「……言われたかな」


「ええ、申し上げました」


 ヘレナに全く覚えはないが、アレクシアが言ったというならそうなのだろう。軍事関係と鍛錬のこと以外に全く働かない頭は、そのあたりの記憶もいい感じに吹き飛ばしているらしい。

 しかし、そんなヘレナの反応に対して、アレクシアが大きく溜息を吐く。


「現在の後宮は、汗と涙と努力の結晶渦巻く筋肉施設ですね」


「……ふむ?」


「まさか、他の側室のご令嬢方まで鍛練を始められるなど思いもしませんでした。ヘレナ様がこれほど伝染するとは……」


「私を病気みたいに言わないでくれ」


 まるで諸悪の根源のように言ってくるアレクシアに、そう唇を突き出す。

 別にヘレナは何もしていない。強いて言うならば、ちょっと新兵訓練(ブートキャンプ)を施したくらいのものだ。

 だが、そんなヘレナに対してアレクシアはジト目で返す。


「……どう考えても、ヘレナ様が伝染したとしか思えないのですけどね」


「私は少しばかり、強くなる手助けをしただけだ。あとは、彼女らが努力をしたに過ぎない」


「いえ、そういう意味ではありません」


「む?」


 アレクシアの大きな溜息に、そう眉を上げる。

 だが、アレクシアはそれ以上何も言ってくれないようで、ただ首を振るだけで答えた。意味深すぎる。


「では、お下げします」


「ああ。お茶を飲んだら中庭に行こう」


「はい。恐らく、もう揃っているでしょうけどね」


 アレクシアの淹れてくれたお茶を飲み、ヘレナは変わらず大剣を抱えて中庭へ向かった。

 ヘレナは全体の監督をしている立場ではあるが、見てばかりでは自分の鍛錬が全くできない。そのため、全員を見ながら剣を振るのが日課なのである。

 最近は、成長した面々が大剣を振らせてほしいと言ってくることもあり、そういう場合には貸し出している。さらにシャルロッテあたりが顕著だが、手合わせを申し込まれたときには受けるのだ。

 つまりヘレナの仕事は全員の監督をしつつ、自分も鍛え、手合わせの相手もするという何気に忙しいものだったりする。


「諸君、おはよう!」


「おはようございます! ヘレナ様!」


 中庭に揃っている面々へ、そう声をかける。

 きっちりと整列してヘレナへ挨拶をする彼女らに向けて、ヘレナは大きく頷いて。

 端から端まで、きっちり全員揃っているか――そう確認して。


 絶句した。


「ふむ……なるほど、このように行っているのか」


「ふぁ……ふぁ!?」


「ああ、余のことは気にせずとも構わん。これから、午前に時間を作るようにしたのだ。余のことはそなたに教わる新兵の一人だと思ってくれ」


「ファルマス様ぁーっ!?」


 後宮の中庭で、まるで当然のように令嬢たちと共に並ぶ。

 この国における最高位の存在――皇帝ファルマスがいたことに、ヘレナはそう絶叫した。

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