第211話 後宮の戦-アンジェリカ-

「あー、もう……」


 後宮の中庭に入り込んできた賊徒どもへ向け石を投げつけてから、皇帝ファルマスの妹姫アンジェリカ・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴはそう悪態をついた。

 最高の武器だと信じて疑わなかった銀食器(シルバー)だったが、残念な弱点がここで露呈してしまった。それを自覚してしまい、アンジェリカは不満に唇を尖らせる。

 威力は申し分ない。ちゃんと刺さるし、先が丸まったナイフでも殺傷力はある。現実、アンジェリカのナイフとフォークが喉に刺さって、悶絶して倒れこんだ敵兵も何人もいるのだ。

 ならば、何が問題なのかというと。


 残弾である。


「せっかく特注したのになぁ……」


 アンジェリカの太腿には、銀食器(シルバー)を持ち運ぶためだけに装着されたガーターベルトが巻かれている。それを片方の太腿につき三本、合計で六本巻いているのだ。そして、一つのベルトに装着できるのは銀食器(シルバー)二十本であり、右がナイフで左がフォーク、と徹底しているのだ。

 合計で百二十本。それがアンジェリカの持ち運べる、銀食器(シルバー)の限界数である。

 そしてアンジェリカの特技は、その両手の指の間に三本ずつ構えて、そして一気に投げるということだ。六本を一度に目標に向けて投擲することで、避ける場所を与えない、というのが一番なのである。


 単純計算で、六本を投げることができる回数は二十回。

 その時点で、アンジェリカの残弾は全て尽きてしまう――その事実に気付いて、愕然とした。


「ま、いっか」


 ひゅんっ、と石を投げて、それが敵兵の顔面に当たる。

 頭は残念ながら兜を被っているため、当たったところで大した衝撃はない。そのため、アンジェリカはできる限り顔面を狙うように心がけていた。フランソワのように眼球を狙うことも考えたのだが、石ではどうしても視力を完全に無力化できないし、どうしても細かい命中制度は弓に劣るのだ。そのため、少しばかり的を大きめに投げた方が効果的だと思った。

 既にアンジェリカの特注した銀食器(シルバー)たちは、折り重なる敵兵の屍の一番下くらいに刺さっているのではなかろうか。結構高いのだけれど、また発注しなければ。国庫負担で。


 新しい武器を考えなきゃなー、などと思考を斜め上にやりながらも、その投擲は一撃一撃を致命的な位置へと当てる。

 これも全て、アンジェリカという皇女が持つ投擲の才能そのものだろう。


「アンジュ!」


「はいはーい! やぁっ! 伝説の右ぃーっ!」


「ぐあっ!」


 シャルロッテがそう叫ぶと共に、アンジェリカはその近辺にいる敵兵へ向けて石を投げる。

 後宮の中庭はそれなりに整備をされているため、あまり石は落ちていない。その代わりに、中庭の端には花壇が作られており、その花壇との境目を石を並べて区画整理しているのだ。

 アンジェリカが今投げているのは、まさにそれである。一つ一つがアンジェリカの拳よりも大きいそれは、顔面に当たればそれなりに痛痒を与えるらしい。

 先程投げたのは、うまく顎のあたりを揺らしてくれたらしく、敵兵が倒れるのが分かる。


「あぁ……わたくしも、それを浴びたいですわ……」


「クリス、あんたはとりあえずあたしを守りなさい」


「でも、このあたりにはあまり来てくれませんの……」


「来てくれない方が助かるのよ、こっちは」


 アンジェリカはフランソワと同じ、完全な遠距離攻撃要員だ。

 そしてフランソワが近接距離における弓格闘術をそれなりに嗜んでいることと異なり、アンジェリカは投げることにしか特化していない。近付かれる前に投げる、と徹底しているのだ。

 そのために、アンジェリカの選んだのは完全な二人一組(ツーマンセル)。

 アンジェリカが後方から投擲を行うにあたって、その周囲の警戒をクリスティーヌに任せているのだ。そして、アンジェリカに与えられそうになった攻撃を、クリスティーヌが自ら盾になって当たる、というわけである。

 そして、アンジェリカはというと。


「はぅん!」


「な、なんだこいつ!」


「ふんっ!」


「ぎゃあっ!?」


 クリスティーヌの気持ち良さそうな声が聞こえてくれば、そちらに向けて石を投げるのである。

 どうしてこれほど被虐趣味になったのかはさっぱり分からないが、一撃を与えられただけで石を投げつけられ、昏倒した敵兵を見ながら、クリスティーヌが不満そうな表情を浮かべる。

 いつだったかの、クラリッサによる腹への一撃は耐えられなかったようだが、あれからクリスティーヌは何故か物凄く頑張ったのだ。アンジェリカがいつも投げつけるスプーンではなく、もっと重いものを、もっと強いものを、と熱望するようになった。そしてアンジェリカもそれに応え、現在投げているような石を投げた日もあった。

 そして、その結果。

 多少の攻撃は完全に快楽にしかならないようで、今も尚嬉しそうな顔を浮かべている。完全な努力の方向音痴だが、本人は多分気付いていない。


「きゃあっ!」


「クレアさん!」


「て、てめぇら! おとなしくしろ! こいつがどうなってもいいのか!」


 と――そこで、唐突にアンジェリカの視界の端で起こった、突然の出来事。

 賊徒の一人に、後ろから拘束されているのはフランソワの部屋付き女官、クレアだった。喉元にナイフを突きつけられながら、涙目で捕まっている。何をしているのだ、と軽く溜息が口から零れた。

 そして、そんなクレアの状態に、フランソワの弓が僅かに下ろされ。

 にやっ、と賊徒が笑みを浮かべたところで。


「ふんっ!」


「ぐあっ!?」


「ひっ! あ、ありがとうございますっ!」


「いいわよ、もう捕まらないようにね!」


 あっさりとアンジェリカは石を投げつけ、その顔に当てると共にクレアを救出する。

 人質というのは、それを誇示するように見せつけるからこそ効果がある。つまり、人質を取られた場合は、即断即決で敵を始末した方が、結果的には被害が少なくて済むのだ。

 もっとも、アンジェリカはそこまで考えてやったわけではない。アンジェリカにしてみれば、適度に当たりそうな距離に適度に隙だらけの顔があったから投げただけである。


「ふひぃ……」


 だが、だいぶ腕がだるくなってきた。

 既に花壇の境目にあった石を、何発投げたのか自分で把握できていない。恐らく百は超えていると思うけれど、それだけ負担は右腕にかかっているのだ。

 新兵訓練(ブートキャンプ)の成果もあり、体力はそれなりにあるつもりだ。だが、石はそれなりに大きく、それを毎回全力投球しているので、どうしても負担は大きいのである。

 右腕を軽く振ってから、さらに次の石を花壇から取り出し、用意する。


「あー、もう!」


「どうしましたの? やっとわたくしに当ててくれる気になったのですか!?」


「違う。黙れ」


「……しゅん」


 クリスティーヌが思い切り沈んだが、そんなもの関係ない。

 ひとまず、アンジェリカは前方――前衛として戦うシャルロッテたちに向けて、叫ぶ。


「ロッテ!」


「何ですの!」


「もし当たったらごめん!」


「ごめんではすみませんの!」


 よし、許可は得た。

 だるい右腕は、これで封印である。

 つまり、ここからは左。


「いくぞーっ! 幻の左ぃーっ!」


「先程は伝説の右とか言ってませんでした?」


「うるさい!」


 左腕での投擲は、威力をさして変えずに敵兵の顔面に当たる。

 元々、両手で銀食器(シルバー)を投げていたのだ。石だからといって、左で投げられない理由はない。そのコントロールは右と変わることなく、当然のようにそれは的に当たるのだ。

 もっとも、さすがに利き腕でない投擲にあまり自信がなかったので、先にシャルロッテから許可を得ておいたのだけれど。


「さぁ、どんどんいくわよぉーっ!」


「うぎゃあっ!」


「ぐはっ!」


「うりゃりゃりゃりゃーっ!」


 アンジェリカは笑いながら、石を投げ続ける。

 敵兵にとって、これほど脅威であることはないだろう。正確無比な軌道に加えて、威力も高いそれは、戦場に投石機が一つあるようなものだ。加えて残弾も無限という、まさに悪夢のような存在と言っても過言ではない。


 皇女アンジェリカ・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴ。

 彼女は。


 その腕も心も、ただ投擲にのみ捧げる、武姫である――。

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