第210話 後宮の戦-クラリッサ-
「は、ぁっ!」
クラリッサは、思い切り全身鎧(フルプレート)の重量を活かして、賊徒が数人まとめてやってきたところへと突撃を敢行する。
ここにいる八人の中で、攻撃に対しての防御手段を持ち得るのはクラリッサだけだ。斬りかかられても、槍で突かれても、強固な鉄でできた全身鎧(フルプレート)には何の効果もない。少々、衝撃で揺れるくらいのものだ。
クラリッサもそれを分かっているからこそ、ひたすらに自身が前に出る。とにかく敵の集中している場所へ、自ら突っ込んで矢面に立っているのだ。
そして、そんなクラリッサの後ろに控えるのは、レティシア。
「レティシアさん! あまり前に出過ぎないように!」
「分かってます! 出る勇気ありません!」
「ならいいです!」
元々はマリエルの相棒(バディ)だった、レティシア。
引き継いでクラリッサが教える、という形で二人で訓練をしてきたが、レティシアはあまり戦士に向いていないな、と実感し始めたのは最近である。
双剣を構えて戦ってこそいるけれど、基本的には常にクラリッサの後ろにいるのだ。そして、時々おっかなびっくり賊徒の頭を叩いて、そしてすぐに引っ込む、という形で応戦している。良く言えば引き際を弁えており、悪く言えばかなり臆病者だ。
もっとも、それだからありがたいのだけれど。
シャルロッテなど、賊徒のいるところに思い切り突っ込んでいるし。ついでにカトレアも。
「ふ、ぅっ……! はぁっ!」
「ぐあっ!」
「ぎゃあっ!」
クラリッサに、武器はない。元々、ヘレナに鍛えられてはいたが、主に行っていたのは全身鎧(フルプレート)を装着したままで十全に動くための体力作りだ。
訓練の甲斐あって、現在は全身鎧(フルプレート)の状態で以前と変わらない動きができている。脱げばもっと速いが、しかし脱ぐわけにはいかないのだ。防ぐことのできるのはクラリッサだけであり、そうでなければ敵の攻撃が、まとめてシャルロッテやカトレアに襲いかかってくるかもしれないのだから。
もっとも、クラリッサの視界の端では、そんな攻撃を受けながら「はぅんっ!」と気持ち良さそうな声を上げるクリスティーヌがいるけれど。
集中力が途切れそうだから本気でやめてほしい。
「はぁ、はぁ……!」
もっとも。
そんな集中力も、割と切れそうではあるのだけれど。
元より全身鎧(フルプレート)であるのだし、クラリッサの顔面を覆っているのは全面兜(フルフェイス)である。どうしても呼吸はし辛く、息が上がりやすいのだ。全身鎧(フルプレート)で動き回ることは問題ないけれど、どうしてもこの、呼吸の問題は改善してくれない。
加えて、初めての実戦だ。
ヘレナから一人前の戦士である、とドッグタグを渡された。それ自体は光栄だと思うし、認めてもらえた、という喜びもある。ようやく戦友たちに並ぶことができた、という実感もあった。
だが元々、クラリッサは多少の運動不足改善のため、くらいでヘレナの訓練を受けていたのだ。
フランソワのように、なんとか様に相応しい妻になるために、という願望はない。マリエルのように、ただヘレナの訓練を受けていたい、という愛もない。シャルロッテのように、ヘレナに対する敵愾心からのやる気があったわけでもない。
ただなんとなく、毎日を享受していただけだ。最初は優しかった訓練が、いきなり新兵訓練(ブートキャンプ)に変わっても、ただクラリッサは享受していただけだ。
だが。
いつからだろう――強くなりたいと、そう思い始めたのは。
――私は言った。クラリッサ、お前を一流の戦士にしてやる、と。
伸び悩み、戦友たちにも置いてかれてしまったような、そんな気持ちだった。
そんな中で、ヘレナに相談して、道標を与えてもらった。そして、それこそがクラリッサの目標になり、そして目指すべき先となった。
将軍。
それこそが、クラリッサの目標――。
――先陣を切る者がいてこそ、その者に続くことができる。では……問題だ。部隊において先頭を駆け、敵陣に切り込むその第一矢となる者……それを、何と呼ぶか分かるか?
曖昧模糊とした、目標だった。
よく分からない、と思っていた。
だが今――クラリッサの後ろには、その後ろには続く者がいる。
臆病で、前に出ようとせず、クラリッサの後ろに隠れてばかりのレティシアが。
――なってみせろ、クラリッサ。将軍に。
「はいっ! ヘレナ様っ!」
「は、はいっ!? ヘレナ様がどこに!?」
「いえ、何でもないですよ!」
ふんっ、と体ごと敵陣に飛び込み、衝撃に数人が吹き飛ぶ。そして、吹き飛んだ者が別の賊徒を巻き込んで倒れてゆく。
先頭を駆ける――それがクラリッサの役割ならば、それに徹してみせよう。
「レティシアさん!」
「は、はいっ!」
「いきますっ! 私の後ろに続いてっ!」
「はいっ!」
クラリッサは、後ろのレティシアと共に敵陣へ飛び込む。
決して、その刃がレティシアに届かないように。全ての攻撃を、全て受け切るのは自分だ、とばかりに。
だが、それでも。
決して、死なないように。
「死ねぇっ!」
「ひっ――!」
そして、そんなレティシアに向けて、賊徒が槍を突き出す。
クラリッサは、襲いかかってくるその攻撃に、対処しようとして――。
「遅いのですよー」
「ぐあっ!」
「カチューシャ!」
そこに、剣を持ったエカテリーナが、乱入した。
先程まで後衛として矢を放っていたはずなのに、どうしたのだろう――そう疑問には思うけれど、しかし聞かない。
エカテリーナは、笑顔。
それは、クラリッサを信頼してくれている証なのだ。
「さてー。クララー」
「うん、カチューシャ!」
「わたしもー、クララの後に続くのですよー」
「うん! 私の後ろに続けーっ!」
後ろにはエカテリーナ、レティシアを続けて、クラリッサは走る。
今この中庭という小さな戦場で、八人という少なすぎる軍で。
それでも――今、クラリッサは間違いなく、将軍だった。
クラリッサは、ヘレナを尊敬している。
その後ろに続きたい、と思える。まさに、ヘレナの持つそれこそが将軍の風格、というものなのだろう。
それほどのカリスマは、クラリッサに存在しない。
クラリッサには、なくても。
「大丈夫……!」
ぐっ、と胸に手をやる。
クラリッサのまとっている、全身鎧(フルプレート)――最早、この重みがないと満足できないくらいに、着慣れたものだ。
きっと、これからも鎧を装着し続けるだろう。後宮を出てから、夜会のドレスなどだと重みがなさすぎて満足できないかもしれない。
でも。
夜会になんて、出なくてもいい。もう、一生一人きりでもいい。
クラリッサには。
愛する人が、そこにいるのだから――。
「私は、最強だぁっ!」
「は、はいっ!? そうなんですか!?」
「私は、いつだって……リクハルド様に包まれているからっ!」
「さすがクララですー」
信じる。
自分を信じる。
愛する人を信じる。
ヘレナを信じる。
――断言してもいい。
その言葉を、信じるのだ。
――クラリッサは今、この後宮において私の次に強い。
ならば。
ヘレナのいない今。
最強であるのは、クラリッサなのだ――。
アーネマン伯爵家の娘にして『白馬将』ルートヴィヒ・アーネマンが姪、『歌人』クラリッサ・アーネマン。
彼女は。
その身も心も、ただ鎧と愛しい男に命を賭ける、武姫である――。
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