第203話 帰還

 遺言を届けるというのも、上官としての責任の一つである。

 遺体が持ち帰られないのならば、せめて遺髪を。それも厳しいようであれば、せめてその死を身内に伝える――それが上官としての責務なのだ。

 ヘレナとて、何度となく部下の身内に対して戦死を伝えたことがある。何故死なせた、と罵られることもあったし、悲しみにそのまま膝をついた者もいた。そして、そのたびに心が痛むけれど何もできない自分に、無力感など数知れず覚えたものだ。


「……」


 ヴィルヘルムの傷は深い。

 ここから最も近い医者に診せたとしても、それまでに息を引き取る可能性すらある。まだ喋ることができる程度には力があるようだが、それも時間の問題だろう。

 ゆえに、婚約者に対する遺言。

 それを受けるのは、この場における指揮官たるヘレナなのだ。


「どうか……よろしく、頼む。ぐっ……」


「もう、喋らなくともいい……ヴィルヘルム殿」


「では……」


「遺言は、間違いなく伝えよう。私は簡単に動けない身でもあるが、必ずや届ける」


 ヘレナにできること――それは、その遺志を伝えることだけだ。

 どのような娘かは知らないが、既に六十を越えている身であるヴィルヘルムの婚約者だ。ヴィルヘルム・アイブリンガーというフレアキスタの英雄と縁を結ぼうという縁談であり、その少女が本来乗り気でなかったのならば、喜ばれるかもしれない。

 どちらにせよ、ヘレナにできることは――ない。


「だが、ヴィルヘルム殿も生きることを諦めないでほしい。必ずや生きて戻ると、そう心を強く持ってほしい」


「……承った」


「アルベラ」


「はい、姉様」


 ヴィルヘルムの遺言は、必ず届けよう。帝都に戻った後、後宮に再び戻ることにはなるだろうけれど、ファルマスに言ってとにかく届けてみせる。

 それが――どれほど先のことになるかは分からないが。


「ヴィルヘルム殿を、必ず救ってくれ」


「……最善は、尽くしますわ。我が領の衛生兵は、腕が良いですから」


「その言葉を、信じよう」


 ヘレナは膝をつき、ヴィルヘルムに手を差し出す。

 ヴィルヘルムもまたヘレナの意図を受け、その手を握った。

 戦友との、労いの握手。

 それは――再会を誓っての行動だ。


「では、ヴィルヘルム殿」


「今生の別れになるやもしれませんが、な……」


「許しはしない。体を治し、その後は我が国に寄ってほしい」


「くく……ヘレナ殿は、手厳しい……」


 ごふっ、と笑いながら、ヴィルヘルムが血を吐く。

 恐らく、肺の腑が損傷しているのだろう。胸を貫かれているのだから、当然だ。

 幸いにして出血はそれほどでもない。心臓には達していないだろうから、治る可能性は十分にある。

 そう、信じるしかないのだ――。


「ではアルベラ、後は任せた」


「承知いたしました、姉様」


「ヴィルヘルム殿も、また会おう!」


「……うむ」


 ヘレナはそのまま馬――ファルコの手綱を引き寄せる。

 ヴィルヘルムのことは気掛かりだが、それ以上にヘレナは急いで帝都に戻らねばならない。今まさに、帝都ではファルマスの身に危険が及んでいるかもしれないのだ。

 不眠不休で、とにかく急いで戻らねば。


「では、すまない……! あとは任せる!」


「はい、姉様!」


 アルベラの返事を待たず、ファルコに飛び乗る。

 ヘレナは斧槍を背に負い、そのままファルコの腹を蹴った。

 初めて乗った馬ではあるが、体格も良く、また気性も大人しい。しかしながら、走り出した瞬間の速度の乗りは、まさに駿馬そのものだ。


「ヴィルヘルム殿……死ぬな!」


 既に、振り返れば点となっているであろうヴィルヘルム。だが、心からその無事を祈って。

 しかし振り返ることなく、ヘレナは帝都までの方角を、一心不乱に向かい続ける。


 間に合うか。

 できれば、間に合ってほしい。

 ここから帝都まで、平原が続くはずだ。川は一つあるが水深は浅く、加えて橋も掛かっている。橋があれば橋を越えればいいし、橋が見えないようであれば川越えをしても問題ない程度だろう。

 とにかく、直線距離で帝都に戻る。それだけだ。


「ファルマス様、どうかご無事で……!」


 ファルコと共に風になりながら、ヘレナはただただ駆ける。

 今回の騒動――そのからくりは、見えた。


 まずガルランド王国からの援軍、ゴトフリート・レオンハルト将軍の裏切り、ならびに最前線の突破自体が、偽報だった。それにより帝都から北の国境において防衛をしなければならなくなり、ティファニーならびに五千の禁軍がトールの関に布陣することを余儀無くさせたのだ。

 そして、同じ機でリファールにも働きかけ、ヘレナと残る禁軍が出陣せざるをえない状態にした。そして事の途中で偽報である、ということに気付いても、南北に長いガングレイヴ帝国において、トールの関から軍を戻す、というのは容易ではないのだ。

 その全てを裏から操ることのできる者。

 そんなもの、ヘレナの知っている者の中に、一人しかいない。


「アブラハム・ノルドルンド……!」


 でっぷりと肥えた相国を思い出して、唇を噛む。

 今回のことは、決して許せるものではない。ティファニーとヘレナという、二人の武力を帝都から追いやり、何をするつもりなのか、ということなど明白だ。

 間違いなく、起こるのは反乱。

 ならば、ヘレナのやるべきことなど、一つしかない。


「貴様だけは、絶対に殴る……!」


 夜会で不慣れな踊りを二度も披露させられた、という。

 ヘレナの若干ながらの私情も、そこには混ざっているが。

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