第201話 死地にあれど

「ぐ、ぅっ!」


 ヴィルヘルムが、思い切り背後から槍を刺してきた敵兵の首を、薙刀で刈り取る。

 その動きはそれまでの鋭さがなく、鈍重そのもの。体から力が奪われ、口元からどす黒い血が滴り落ちる。まさに、死が目前に迫っていると言えるだろう。


「ヴィルヘルム殿!」


「少々、良いものを貰ってしまいました、な……」


「くっ……!」


 ヴィルヘルムはそれでも、気丈に薙刀を振るい、目の前の敵軍を切り裂く。

 既に二人で、百を下らぬ数は殺しているだろう。だというのに敵の勢いは止まらず、ただ防ぎ続けるのみだ。

 そして、同時に敵も勢いに乗る。


「年寄りはもう半死人だ! ぶっ殺せぇ!」


「うぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


「くそっ……!」


 ヴィルヘルムが毒づくが、しかしその体には間違いなく死神が訪れている。

 技の冴えも既になく、最早残る膂力で薙刀を振るい続けるのみだ。そのような状態でも尚、一般兵など寄せ付けない武がそこにある。

 だが、その体は限界――。


「ヴィルヘルム殿! 撤退を!」


「しかし……!」


「私一人で、どうにか抑えてみせましょう! すぐに撤退し、医者へ!」


「……いや、その必要は、ない」


 ヴィルヘルムは覚悟を決めた眼差しで、ヘレナを見る。

 それだけで、その所作だけで、ヘレナは察した。

 ヴィルヘルム・アイブリンガーという男は、武人にして戦人。

 その命が戦場で尽きるならば本望、とばかりに。

 くくっ、と不敵に、笑った。


「ヘレナ殿、貴方が撤退をしろ」


「だがっ!」


「この、冥府に片足を突っ込んだ年寄りでも、時間稼ぎくらいはできましょう。ならば、儂は帝国の皇后となるべき人物を守り、果てたのだと地獄で自慢しましょうぞ」


「ヴィルヘルム殿っ! 貴公には待っている者がいるのだろうっ!」


「できれば、その者に、儂からの遺言を伝えてやってほしい……幸せにしてやれなくて、すまなかった、と」


「くっ……!」


 ヴィルヘルムの言葉は、正論だ。

 既に胸を貫かれたヴィルヘルムは、重体である。仮に撤退に成功したとしても、医者に診せるまでにかなりの時間がかかるだろう。そうなれば、道半ばでその命が尽きてもおかしくはない。

 ゆえに、どうせ散る命ならば、ここで。

 その言葉は、どうしようもないほどに、正しいのだ。


 ヘレナ一人ならば、撤退することは容易い。既に友軍は撤退を済ませ、殿としての役割は果たしたと言えるだろう。

 だが、ヴィルヘルムには生きて戻り、幸せにしなければならない女がいる。それを知り、ヴィルヘルムの命を散らせることに、強い抵抗があるのだ。

 しかし、どうしようもないほどに分かっている。ヴィルヘルムを助けることは不可能だ、と。

 数多の戦場を経験してきたからこそ、分かる。


「せめて最期まで、抵抗をしましょう……ヘレナ殿は、戻って、くだされ……ごふっ!」


「ヴィルヘルム、殿……!」


「我が生き様、とくと見よ!」


 ヴィルヘルムが残る力を総動員して、薙刀を思い切り振るう。

 それだけで五人の敵兵を切り裂き、後続を巻き込んで僅かな時間が生まれた。

 撤退するならば、今――。


 どうすればいい。

 どうすればいい。

 必死に悩む。必死に考える。

 だが、答えなどどこにも出てこない。

 あまりの難題に、ヘレナは動けない。


「ヘレナ殿っ!」


「……」


「お逃げくだされ! この老骨に、最期の誉れを与えよ!」


「ぐ、っ……!」


 そうだ。こんなとき、自分はどうしていたか。

 元より、ヘレナは考えることを嫌う。勘と本能に従って、経験則と嗅覚だけで戦をするのだ。

 だから。

 こんなときの決断は、決まっている。


「諦めるなっ!!」


「は……?」


「生きることを、決して諦めはしない! それが私の矜恃だ!」


「な、何を……!」


「先達たる老兵が、それほど簡単に諦めてどうする! 矜持があるならば生きて戻れっ!」


 はぁっ、とヘレナは敵軍に向けて、思い切り横薙ぎに斧槍を振った。

 ヴィルヘルムの薙刀と異なり、重い武器である斧槍は敵軍を切り裂かず――吹き飛ばし、叩き潰す。

 そんなヘレナの言葉に、ヴィルヘルムもまた僅かに笑って。


「そう、ですな……」


「生きることを、決して諦めてはならぬと! 私は誰にでもそう教えた! 先達がそれに背いてどうする!」


「くくっ……儂も、肝心なことを忘れていたようですな」


 だが、状況が最悪であることには何も変わりない。

 そして、このままではヴィルヘルムが死ぬという未来に、何も変わりはない。

 ならばせめて、何か違う一手を。

 この状況を打破するための――奇跡を。


 奇跡。

 そんなものに頼って、勝利した戦などあるわけがないけれど。

 だけれど、今だけは縋りたい。

 どうか――どうか。


「……え?」


 と、そこで気付く。

 敵軍の勢いが、前よりも弱くなっている。状況は何も変わりない、むしろこちらが不利だというのに。

 何があったのだ、とその背後に目をやると。


「突撃ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」


「ぐああああっ!」


「うぎゃあっ!」


「何だぁっ!?」


「敵軍っ! 敵軍が来ていますっ!」


「くっ!」


 敵軍の背後で聞こえる、突撃の高い声と断末魔。

 そちらに対応することで、ヘレナたちに対する勢いが弱くなったのだろう。

 屍が空を舞い、血煙が上がる。


「くそっ! 西から敵軍! 対応せよ!」


「敵軍、勢い止まりません!」


「何者だっ!」


「援軍が来るなど聞いていないぞ!」


 突撃に吹き飛ぶ敵兵たちが、徐々に迫ってくる。

 それは、ヘレナたちの味方が、こちらに訪れたという証。

 誰が来た――そこには誰が。


 そして。

 奇跡に、気付く。


 敵軍を蹂躙する、騎馬部隊。

 その先頭にいるのは、真紅の鎧を纏い、身の丈を超えるほどの大剣を持った戦士。


「来て、くれたのか……」


 恐らく、十日程度はかかるだろう、と思っていた。だからこそ、防衛をせめて十日、と考えていたのだ。

 だが、そんなヘレナの予想など遥かに覆す速度で、不眠不休でやって来てくれたに違いあるまい。

 唯一、ヘレナが求めた援軍。

 後宮で文を出し、どうか来てくれ、と求めた――最強の援軍。


「アルベラ……!」


「姉様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 そこにいたのは、レイルノート三姉妹が次女、アルベラ。

 現在の名を、アルベラ・アロー。

 アロー伯爵家という、蛮族の襲撃に常に悩まされるがゆえに、並の騎士団を凌ぐほどの私兵を、その領地に持つ貴族――その妻。


 そして。

 ヘレナの、妹だ――。

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