第194話 動かぬ戦況
「どういうことだっ!」
「そ、それは……」
リファール軍、陣地天幕。
既に日の落ちた天幕の中で、巨躯の若い男がそう叫んだ。
そんな男の言葉に対し、ひっ、と報告をしたのであろう小男が怯えるのが分かる。
「既に砦を攻めて、三日目だぞ! だというのに、状況が何も改善していないとはどういうことだ!」
「て、敵軍の抵抗が、思った以上に激しく……」
「そんなものが言い訳になるか! 未だ、敵の損害はゼロではないか! 我が軍は既に千人以上が死んでいるのだぞ!」
「城攻めは、本来かなり時間がかかるものでして……」
「言い訳はいらぬわっ!」
怒りのあまりに、小男を殴りつける。
そんなことをしても何の意味もないことは分かっている。だが、それでも我慢ができなかったのだ。
巨躯の男――レーツェル・ガリバルディは、苛立っていた。
リファールという国に生まれた彼は、王国でも屈指の英雄と名高い『暴風』ガゼット・ガリバルディの長子である。未だ三十すぎという若さではあるが、既に父の跡を継いでリファール王国軍部統括長――将軍へと昇進した男だ。だが、それもつい三月ほど前に、前任の将軍であったガゼット・ガリバルディが戦死したからである。
レーツェルはその後、何度となく国王に、ガングレイヴ帝国へ攻め込むよう奏上した。現在、三国連合を北に、アルメダ皇国を南に、両方と戦をしているガングレイヴは、その兵力の大半が最前線に寄せられている。そんな好機であるからこそ、リファールとガングレイヴの間にある肥沃な農地を得ることこそが一番だと訴えたのだ。
だが、その全てが悉く棄却された。
それもそのはず――現実、それを目的として兵が発され、ガゼットが率いて攻め込んだのだ。間違いなく有利な講和にまで持っていけるだろう、という最高の機だったはずだったのだ。
それが蓋を開けてみれば、リファールの英雄ガゼット・ガリバルディは戦死し、残る兵も本国へ逃げ帰ったという始末である。
レーツェルは夜闇の向こう――その砦に布陣している、己の仇敵を思う。
帝都にはろくな将がおらず、脆弱な禁軍がいるだけだ、という情報は得ていた。そして、ガゼットを超える将軍などガングレイヴ全土を探しても数人しかいないはずだったのだ。
その数人のうち、二人が、偶然にも帝都にいたのだ。
ヴィクトル・クリーク。
ヘレナ・レイルノート。
禁軍を率いてリファール軍を翻弄し、本陣への道を開いたヴィクトルの智謀、そして本陣においてガゼットと一騎討ちを行い、その首を取ったヘレナの武力。
うまくいくはずだった計画は、その二人によって完全に覆された。
ゆえに――レーツェルにしてみれば、ヘレナ・レイルノートという女は、己の父を殺した仇敵。
「くそっ!」
レーツェルは、そう毒づきながら椅子を蹴り飛ばす。
この機は、千載一遇の好機だった。ガングレイヴ帝国の、相国という立場にいるアブラハム・ノルドルンドより流された情報によれば、偽の報告により禁軍の大半が北の国境に送られることになった、ということだ。そのとき、帝都に駐在していた『銀狼将』ティファニー・リードと共に。
そして、残る禁軍で出せる戦力は、恐らく三千が限界である、という話も聞いていた。その軍を率いるのが現在、何故か後宮に入っているのだと聞くヘレナ・レイルノートだということも。
ゆえに万全を期し、三万というリファールの全力をもって攻撃を仕掛けたのだ。
間違いなく、勝てる戦だ。
南の国境から軍を動かすことはできず、北の国境は偽の報告により混乱をしている状況である。せいぜいガングレイヴに臣従している国からの援軍程度だろうが、それでも送ることができるのは弱小国のフレアキスタくらいのものだろう、と予想も立っていた。
フレアキスタから援軍が届く前に、勝負を決めてやる――そうとすら考えていたというのに。
「ガリバルディ将軍!」
「何だ!」
「破城槌が、もう……!」
「何だとっ!? あれほど持って来ていたのにか!」
「ことごとくを、燃やされ……」
「ちっ……近くの森から、大きめの木を伐採しろ! それを破城槌の代わりに使う!」
「はっ!」
忌々しい。そう、報告に対して指示を出しながら、レーツェルは舌を打つ。
ノルドルンドからの情報流出に対しても、本国では最初、消極的な姿勢が見られた。ただでさえガゼットという将軍を失った先の戦を考えると、そう簡単に兵は出せない、と拒絶されたのだ。
そんな渋る国王を、レーツェルは強引に承諾させたのだ。必ずやガングレイヴの肥沃な大地を、リファールのものにしてみせる、と。
この作戦が失敗すれば、レーツェルは良くて国外追放、最悪は極刑に処されるだろう。
これ以上、家名を汚すわけにはいかない。
レーツェルは、近くに控えていた護衛に、指示を出す。
「大隊長を呼べ!」
「はっ!」
このような状況にあっては、事態を動かさなければどうしようもない。
まともに攻め込み、このように防がれ続けているのだ。それほど強固な要塞ではないはずの砦だというのに。
三千程度しかいない兵など、蹂躙してみせる――。
「お召しにより参りました」
「これより、方針を変える!」
「はっ!」
レーツェルは冷静に分析する。
敵軍は全てを強固に防いでいるように見えるが、結局寡兵であることに変わりない。ゆえに、負担はかなり大きいはずなのだ。ただでさえ城攻めは、守る側の士気が落ちやすいのだから。
ならば、その負担を更に増やしてやればいい。
こちらは、敵軍よりも多いのだ。その利点を、活かさずしてどうする。
「昼夜も関係ない! 攻撃を続けろ! 敵軍を眠らせるな! 全軍を二隊に分け、一隊を昼に、一隊を夜に攻撃させろ!」
「そ、それは……!」
本来、忌避される戦術である夜戦。
そもそも暗い夜では敵の姿が見えず、また乱戦になれば同士討ちとなる危険もある。加えて、篝火を持って戦えばそれこそ敵の矢の的になってしまうのだ。
それゆえに、本来ならばやるべきではない――それが、夜戦なのである。
まともな戦いでは、自分の損失をできる限り防ぐためにも、また兵の士気を維持するためにも、そのような戦術は使わないのだ。
「ひ、被害が……」
「民兵がどれほど死のうと知ったことか! 屍を積み立てて丘を作れ! そうすれば城壁にも登れるだろうが!」
「……は、はっ!」
「どれほど死のうと、砦を落とすことができればそれでいい! さっさと俺の前に、ヘレナ・レイルノートを捕縛して連れてこい! 俺が首を斬ってやるわ!」
「はっ!」
レーツェルの指示に、そう頷く大隊長。
これより始まるは、昼夜を問わぬ蹂躙。敵軍を決して眠らせまいと、二隊に分けての連続攻撃。
そうすれば、この戦には勝利が見える――!
「と、そろそろそういう風に考えてると思うんすよね」
「なるほど」
「実際、この三日間、敵軍に動きがないっす。まぁ、敵将が凡人だ、ってのが一番ありがたいことっすね」
「確かにな」
ヘレナは、北門を守っていたテレジアの言葉に、そう頷く。
そのあたりの知略の読み合いは、ヘレナにはできないものだ。どのように考えてどう動くか、というよりも、呼吸をするように動くのがヘレナの戦なのだから。
ゆえに、元『銀狼将』であるテレジアに相談したのだが、思った以上に的確な答えが返ってきた。
「で、どうする?」
「簡単っすよ。夜の闇は、敵軍の味方になんかならないっすからね」
うひひ、と笑うテレジアが、続ける。
それは昼夜を問わずに迫り来る敵軍を、効果的に撤退させるための何よりの方策。
そして何より、好戦的な者の不満を一気に解決させる方法だ。
「いいな、それは」
「でしょ?」
「では、それでいこう。私もそれに参加する」
リファール王国将軍、レーツェル・ガリバルディ。
彼は気付かない。
驕り昂っているがゆえに、自身の知略、それがあまりにも愚策であると――。
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