第176話 脳筋は考えない

「い、いや、ええと……どういうことだ?」


「ヘレナ様、もう一度言いますけど、今更何を仰っているのですか?」


 アレクシアからの、そんな冷たい眼差しに何も返すことができない。

 今更何を、と言われても困る。ただヘレナは、昨日の夜に言われたことをそのまま言っただけなのだから。

 ファルマスからそう言われた、ということをアレクシアに教える、というのも不敬になるかと思ったけれど、しかしどう受け止めてよいものか分からなかったのだ。

 もしもプロポーズであるのなら、しっかり考えてその上で返事をしなければならない、と思うし。


「ヘレナ様、あなたのお立場は何ですか?」


「ええと……『陽天姫』、かな?」


「そうです。ガングレイヴ帝国後宮における、最も正妃に近いと称される三天姫……ああ、今は四天姫ですか。まぁ、あまり意味はなさそうですけど、そういったお立場におられます」


「う、うん」


 さすがに、それはヘレナだって理解している。

 元々は政治の均衡をどうこう、というよく分からない理由で入りはしたけれど、後宮における最高位であり正妃に最も近い存在である、という程度の認識はあるのだ。

 だが、あくまでそれはかりそめのものでしかない。

 ファルマスは毎夜のように訪れるけれど、そういった行為に及んだことなどないのだから。


「さらに、ヘレナ様」


「う、うん?」


「ヘレナ様はファルマス皇帝陛下の母君でありますルクレツィア皇太后陛下に、非常に気に入られております」


「いや、それは、どうなんだろう……」


 気に入られている感じはあったが、最近はちょっとどうなのかな、とは思っている。

 特にアンジェリカを鍛えてほしい、と要請があって新兵訓練(ブートキャンプ)をしたけれど、なんとなくルクレツィアの目指す方向とは違っていたような気もするし。

 かといって、新兵を鍛えるようにしかヘレナには鍛え上げることができないので、あれはあれで仕方のない帰結である。


「そして皇帝陛下の妹御であるアンジェリカ皇女殿下にも非常に慕われております」


「まぁ、うん、それはそうだな」


 さすがに、一月に及ぶ新兵訓練(ブートキャンプ)で、手塩にかけて育てたのだ。

 もっとも、大抵の新兵訓練(ブートキャンプ)では教官は嫌われ役も兼任するのだが。

 ヘレナとて、最初は厳しい態度で臨んだのだ。途中からは、彼女らの才能を出来る限り伸ばすように、と方向性を変えたけれど。

 だからこそ、慕ってくれているのかもしれないが。


「一周忌の夜会に正妃に準ずる扱いとして参加され、その上で国外の賓客に対して正妃として紹介されております」


「……うん」


「陛下がお忙しい日々の中で休暇を取り、その上でご一緒に遠乗りに出かける、というほどに寵愛されております」


「…………うん」


「さらに申し上げますと、最高位である四天姫である『月天姫』シャルロッテ様、『星天姫』マリエル様は既にヘレナ様の訓練を受け、限りなくヘレナ様を崇拝するようになっております。『極天姫』クリスティーヌ様も、わたしから見れば時間の問題だろう、と思えるくらいです」


「………………う、うん」


「後宮の秩序を守るために、と入り込んでいた偽宦官の首を斬り、手配していたクリスティーヌ様をご自身の下につけた、とさえわたしには思えます」


「………………う、うん?」


 なんだかよく分からなくなってきた。

 確かにヘレナはロビンの首を斬ったが、それはあくまでも後宮における男の出入り禁止を破ったことに対する処罰だ。あの場で迅速に片付けたからこそ、クリスティーヌの逃げ場を奪えたのだから。

 純粋にそれは、ファルマスを害しようとしたクリスティーヌに対する、怒りから来たものなのだけれど。


「ここまでの行動が、ヘレナ様は後宮の外からどのように見られるかお分かりですか?」


「いや……どうなんだろう?」


「ヘレナ様は現在、皇帝陛下が最も信を置く側室であり、将来的には皇后になるであろう人物だ、と認識されております」


「……」


 否定できない。

 後宮の中のことは結局、後宮の外にいる者にはよく分からないのが当然だ。

 そして恐らく、ヘレナが後宮の外にいるならば、きっとヘレナのことを「将来的には皇后になる人なんだろうなー」と考えるだろう。現在までの行動を考えると、どう考えてもレールの敷かれた帰結である。


「ええと……」


「先程、仰いましたね。陛下からのプロポーズではないのか、と」


「あ、うん……」


「間違いなくその通りです。わたしには理解に苦しむことばかりですが、陛下にしてみれば心を決める何かがあったのでしょう。これまでの『将来的には正妃になるかもしれない』という曖昧なお立場から、ヘレナ様を皇后として隣に置くという心が定まったのだと考えられます。つまりヘレナ様は皇后になられました。おめでとうございます」


「あ、ありがとう……で、ではなく! 何でそんなことに!?」


「皇后となった暁にも、わたしを侍女として雇っていただければ助かります」


「じゃなくて!」


「陛下がヘレナ様を娶ることになりましたら、その時点で恐らく後宮は解体されるでしょう。これまでのお渡りを考える限り、ヘレナ様以外の側室に興味はなさそうですし。そうなれば後宮付きの女官であるわたしは職を失いますので、その際にはよろしくお願いします」


「え、あ、うん?」


 なんだかよく分からないけれど、とりあえず頷いておく。

 というか、いきなり皇后とか言われても全く心の準備ができていないのだけれど。

 そして皇后になる、ということは皇族の一員になる、ということだ。具体的にどんな仕事をすればいいのか分からない。そして皇族ということは、これからヘレナには全く理解のできない魔窟である宮廷で働かねばならないということだろう。

 どうすればいいのだ。


「ええと……アレクシア」


「はい」


「私は軍人だ。それ以外の生き方を知らん。そもそも、私が後宮に入ったのも、父上から政治の均衡をどうこう、というよく分からない理由でだ。とりあえず私が後宮に入れば、父の仕事が捗るのだろう、くらいのものだ」


「でしょうね」


「今はその……陛下には良くして貰っていると思うが、皇后になるとか、そんな未来が想像できない」


 本音である。

 軍人として、将軍として、これからも戦場を生きてゆくのだろう、と思っていたのだ。生粋の軍人であるヘレナにとって、政治に関わることは難しくて面倒、という認識しかない。

 だが、そんなヘレナの言葉に、やっぱりアレクシアは溜息を吐いた。


「まぁ、わたしから言えることは一つだけです」


「む?」


「諦めてください」


 そんな身も蓋もないことを、あっさりと告げるアレクシア。

 もう少し言いようがあるのではなかろうか。


「いや、だって、私は……」


「おめでとうございます、ヘレナ皇后陛下」


「こそばゆい!」


 そんな慣れない呼称を使われても困る。

 そもそも、自分が陛下などという敬称を使われる人間だと思えないのだ。

 後宮に入り今まで、ずっとただ体を鍛えることばかりに執心してきた。難しいことを言われてももう思考を放棄するばかりで生きてきた。

 その結果が、皇后。

 何がどうなってこうなった。


「では、私はどうすればいいのだ……私は戦うことしかできない女だぞ」


「まぁ、そうですね……皇后陛下がどのような権力を持つのか、というのはわたしには分かりかねますけど」


「うん」


「多分ですが、八大将軍を九大将軍にする程度の権力はあるのではないですか? それで、九大将軍の席の一つに、皇后兼将軍としてご自身を就任させるくらいは可能ではないかと」


「……」


 赤虎、青熊、紫蛇、銀狼、白馬、黒烏、金犀、碧鰐。

 ガングレイヴ帝国が他国に誇る最強の将軍――八大将軍。

 それを新たに一つ新設し、九大将軍として席を一つ作り、そこに自分が就任する。


 ……いい。


「うん」


「はい」


「いいな。私は皇后になろう」


「それでよろしいかと存じます」


 結果。

 これ以上考えるのが面倒臭くなったヘレナは、そう何気に皇后になることを決意した。

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