第165話 『極天姫』の姦計-処刑-
「ひっ……ひっ、いや、いやぁ……!」
「諦めろ。最早お前は薄汚い罪人に過ぎない。その咎は公爵家にも及ぶこととなるだろう」
ヘレナは冷たくそう言い放ち、それから背後へ目を向ける。
そこに立つのは、三人の戦士。
既にヘレナの新兵訓練(ブートキャンプ)を耐え抜き、戦士となった者たちだ。
「剣を取れ」
そんな三人の前に、大剣を投げる。
ずしんっ、と激しい振動を響かせて、女官五人がかりで持つことのできる大剣が、絨毯の上に落ちた。
断罪を。
この咎人に、断罪を。
「あ、あのっ、ヘレナ様!?」
「まさか……」
「私は言った。剣を取れ、と。そしてお前たちは言った。帝国の敵は殺す、と」
手でクリスティーヌを示し、鋭い眼差しで三人を見据える。
新兵訓練を抜けたからといって、それで即ち戦士として認められるか、と言われるとそうでない。
初陣を走り、敵の首を取り、初めて一人前の戦士となることができるのだ。未だに訓練での模擬戦しか行っていない彼女らは、片手落ちと言っていい。
そして、そのための第一歩。
それは、人を殺す覚悟を持つ、という経験なのだ。
「どうしたお前たち。口だけだったのか。帝国の敵を殺すと宣言しておきながら、実際のところは実戦において後ろに退がるだけの臆病者か」
「……っ!」
「さぁ、剣を取れ。三人がかりならば、その剣でも振るうことができよう」
ごくり、とフランソワが唾を飲み込む。
恐る恐る、とマリエルが剣に触れる。
くっ、とシャルロッテが唇を噛む。
だが、三人とも――ゆっくりと一歩、前に出た。
「くっ……重……!」
「マリー、無理はしませんの。三人がかりで持ち上げますの」
「わ、わたしもっ! やりますっ!」
三人が腰を落とし、長めの柄を全員で持つ。そして息を合わせて、持ち上げた。
だが、その剣先はぷるぷると震えている。並以上の筋力訓練はしているはずだが、それでも持ち上げることがやっとなのだ。これを自在に振り回すことのできるヘレナが化け物なのである。
そして、三人がゆっくりと、クリスティーヌへ向けて歩みを進める。
「ひっ! や、やめ、やめてっ! わ、わたくしをっ!」
「動くな。芯がぶれる」
「やめてよっ! どうしてこんなことっ! わたくしを誰だと思っているのよっ! こんなところでっ、こんなっ!」
「黙れ。お前は罪人に過ぎない」
クリスティーヌの肩を踏みつけ、その動きを阻む。
そして三人が抱える大剣が、そんなクリスティーヌを射程に入れた。あとは振り下ろせば、それだけでクリスティーヌの頭を打ち砕くことができるだろう。
刃の潰してあるそれは、本来切れ味を持たない代物だ。ヘレナがロビンの首を斬ることができたのは、ひとえに鉄の板であったところで自在に扱うことのできる、ヘレナの技量によるものなのだ。
だからこそ。
クリスティーヌの末路は、圧死。
「い、いきますっ……!」
「これも、お姉様の、命……」
「覚悟、しますの……」
「ひぃっ! やめてっ! 本当にっ! 助けてっ! 何でもするからっ! どうかわたくしを助けてっ!」
ヘレナが肩を踏みつけているせいで動くことができず、そうただ命乞いをすることしかできないクリスティーヌ。
そして命乞いを行うクリスティーヌに、全員が表情に影を走らせるのが分かった。
クリスティーヌの死は、最早どう足掻いたところで覆らない。だが、その断罪を行うのは自分たちなのだ。
だからこそ、そこには罪悪感が芽生える。一人の人間の生涯を、今ここで終わらせる、という事実がそこにあるのだから。
現実、初めて人を殺した新兵は、罪悪感に苛まれてその夜は悪夢を見るという。
ヘレナとて、最初から平気だったわけではないのだ。何度となく、自分の殺してきた相手の呪詛を、悪夢に見たことがある。
だが。
それゆえに、これは乗り越えなければならない試錬なのだ。
フランソワが目を伏せる。
マリエルが目を閉じる。
シャルロッテが目を逸らす。
今これから、自分が殺す相手を、なるべく見ないように、と。
「いいか、お前たち」
「はいっ!」
「ここを狙え。一撃で仕留めろ。でなければ、苦しみが続くだけだ」
「ひぃっ!」
とんとん、とクリスティーヌの額を指で叩く。
大剣の一撃で、あっさりと頭蓋を打ち砕くことができるだろう。兜を装着していたとしても、大剣の一撃を脳天から喰らえば致命傷になり得る。
三人から発せられる躊躇い。
本当に殺すのか、と自問していることが分かる、暗鬱な表情だ。
彼女らが大剣を振り下ろすだけで、クリスティーヌはその命を失う。
それが分かっているからこそ、必死にクリスティーヌは涙を流しながら命乞いをしているのだ。
「お願いしますっ! どうかっ! どうかっ! 助けてぇっ!」
「……」
フランソワが、マリエルが、シャルロッテが。
大剣の切っ先をクリスティーヌに向けながら、前に踏み出す。
ふらつく足元は、その大剣の重さもあるだろうが、同時に激しい躊躇のためだ。
それもそうだろう。
彼女らは、新兵訓練(ブートキャンプ)を乗り越えたからといって、戦場に出たことがあるわけではないのだ。
だからこそ、震える。
だからこそ、恐れる。
「フランソワ、マリエル、シャルロッテ」
「は、はいっ……!」
「お前たちは、戦場でもそうやって躊躇うのか。敵の命を奪えない、と開き直るのか。そのような戦士はいない。いるとすれば、それはただの臆病者だ」
ヘレナは腰を落とし、クリスティーヌの肩に手をやる。
しっかりと握り、クリスティーヌが決して動かぬよう固定して、それから三人を睨みつけた。
「お前たちがそのように殺せなければ、取り逃がした敵兵が、別の同胞を殺しにかかるかもしれん。お前たちが殺せなかったがゆえに、戦に負けるかもしれん。そして戦に負けたそのとき、最も被害を受けることとなるのは帝国の民だ。お前たちの臆病が、戦の敗北を招く。守るべき民の危機に繋がる。それを理解しろ」
「……」
「意味がっ! 意味がわかりませんわっ! どうして戦場が今関係あるのよっ!」
クリスティーヌがそう叫ぶが、華麗に無視する。
だが、三人の心には響いたようだ。
最初に顔を上げたのは、シャルロッテ。
「……覚悟、しますの」
「ロッテ……!」
「わたくしは、役立たずでは、ありませんの……!」
シャルロッテがまず力を込め、大剣を持ち上げる。それにつられるように、フランソワとマリエルも力を込める。
それだけで天井に届くか、というほどに大剣は振り上げられ、そして振り下ろせば、それだけでクリスティーヌの額を割る位置へ。
あとはただ、覚悟を決めるのみ。
ヘレナは無言で、彼女らの選択を見守る。
「やめてっ! 本当に! 助けてっ! お金なら! お金ならいくらでも用意するからっ! なんでも! なんでもするからぁっ!」
「殺れ」
「はいっ!」
ヘレナの合図と共に。
覚悟を決めた三人の戦士は、一斉に力を込めて、大剣を振り下ろした――。
「いやあああああああああっ!」
大剣は、間違いなくクリスティーヌの脳天へと目掛けて振り下ろされ。
そして――その皮一枚を掠めた位置で、止まった。
「あ、あっ……ひぃ……は、ひ……やぁ……」
目の前まで、己の命を奪う鉄塊が近付き、クリスティーヌは涙を流しながら鼻汁を垂らし、涎を滴らせる。
体中の穴という穴から汗を噴き出しながら、そしてじょろじょろと失禁し池を作っていた。
だが――生きている。
きっちり、その皮一枚の位置で、ヘレナが大剣を受け止めたからだ。
「よろしい。よくやった、お前たち」
鉄の塊に過ぎない刃を潰した大剣は、素手でも止めることができる。
だが、確実に彼女らは殺意を持ち、クリスティーヌを殺す、という覚悟を持って、大剣を振り下ろしたのだ。
最早言葉を発することもなく、迫ってきた死に震えるクリスティーヌから離れ。
人を殺す覚悟を決める――その経験をきっちりと積むことができた己の弟子を、ヘレナは心から賞賛した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます