第164話 『極天姫』の姦計-断罪-
「何、何なの!? どうしてっ! ロビンっ!」
叫び声と共に、クリスティーヌが寝台から飛び降り、そのまま首のない体へと駆け寄る。
体にシーツは巻きつけているものの、半裸の状態だ。そして、そのような外面を考える余裕すらないのだろう。必死の形相で、しかし憎悪と共にヘレナを睨みつける。
僅かに浮かんでいる涙は、それがロビンという男に向けている感情そのものだろう。
「退け」
「何よっ! 朝から人の部屋にいきなり入ってきて、どうしてロビンを殺したのよぉっ!」
「私は後宮を任されている、と言ったはずだ。退け。お前も首を撥ねられたいか」
「ひっ!」
ヘレナが一歩踏み出すと共に、一歩仰け反るクリスティーヌ。
その表情に浮かんでいるのは、恐怖そのものだ。当然だろう。そうなるように仕向けたのだから。
だからこそヘレナは何も気にすることなく、首のない死体へ近付き。
「ふん……やはり付いていたか」
乱雑に羽織られただけの服を剥がし、その股間――萎れた性器を一瞥し、そう吐き捨てた。
確信があった、というわけではない。だが、間違いなくそうだろう、とヘレナの勘が囁いていたのだ。
もしも本当に宦官であったのならば、その後で考えればいい。そう思い、まずは逃げ場を失わせることが第一だと考えたのだ。
そして結果、やはり宦官だというのは虚言に過ぎなかった。
「では『極天姫』様……いや、クリスティーヌ・ハイネス。間男を宦官と偽り、男子禁制の後宮へ入れたこと、間違いないな」
「な、何故……どうして、知っていたのよっ!」
「いや、知らなかったがな」
別段、ロビンが宦官である、と知っていたわけではない。情報が入っていたわけではないのだ。
だが、ヘレナは何の躊躇いもなく首を斬った。その、最大の理由は――。
「勘だ」
「か……勘……?」
「宦官は男性器を切除することによって、同時に女性に対する興味を失うと聞く。それも当然だろうな。男女の交わりというものができなくなるのだから」
ヘレナとて詳しく知っている、というわけではない。
だが、男としての機能を失うということは、即ち男女関係に興味を失うということだ。それゆえに、宦官の考えは男性器の機能を失った老人に近いものとなる。つまり、性的な興味を失くし、金や権力といった即物的なものを求めるようになるのだ。
だが、この男――ロビンに、そのような兆候はなかった。
「私は軍で生きてきた。男の中にただ一人、ということも珍しくはなかった。そして、この男から感じる視線は、あいつらとさして変わりはしなかったとも」
「……っ!」
「本当に宦官であるならば、私をそのような目で見るまい。そして、だ」
そこに転がる、ファルマスと瓜二つの顔立ちを指し。
ヘレナは、眉を寄せる。
「こいつはいい男だ。美形だと言っていいだろう。そんな男が、公爵家の息女が求めたからといって、己の男性器を切除してまで従う道理はあるまい。だが、それが元々間違いだった、と考えれば話は簡単だ」
「……」
「その場にいなかった私には、どのようにこの男を誘ったのかは分からん。だが、恐らく公爵家の力をもって探し出したのではないか? でなければ、これほど陛下によく似た男を見つけることなどできるまい」
「……」
ヘレナの言葉に、クリスティーヌは黙り込む。
その沈黙こそが、何よりの肯定の証だ。違うならば、違うと声高らかに叫べばいいのだから。
ヘレナは大剣の切っ先を、クリスティーヌへと向ける。
「見れば見るほど、陛下によく似ている。この男との子であれば、陛下に似ていない、と言われることはないだろうな。つまり、貴様は正当なるガングレイヴ帝国の皇帝に、己と間男との子を擁立しようとした。これに間違いはないな?」
「……どこに、証拠が」
「この男の切り取っていない局部こそが、何よりの証拠になると思うが」
「……」
「アレクシア」
そこで、後ろで呆然と言葉を失っていたアレクシアを呼ぶ。
アレクシアは数瞬、己にかけられた言葉を理解できず、はっ、とようやく反応した。
「な、何でしょうか、ヘレナ様」
「男子禁制の後宮に、黙って入り込んだ男はどうなる」
「……は、はい。死罪と、なります」
「では、その手引きをした者はどうなる」
「……お、同じく、死罪と、なります」
「そういうことだ。クリスティーヌ・ハイネス。お前は死罪に値する罪人だ」
「……」
「アレクシア、クリスティーヌの入宮した際に、荷の改を担当した女官と宮医を調べておけ。誰が行ったのか記録は残っているはずだ。奴らも同罪となる」
「は、はい……」
圧倒的な、クリスティーヌの敗北。
死罪となるべき罪を犯し、逃れることができるほどガングレイヴ帝国の法は甘くない。それが公爵家の息女であったとしても、だ。
最早言い逃れのできない状況に、クリスティーヌが奥歯を噛み締めているのが分かる。
「おやー。何か大きい音がー」
「わわっ! 扉が壊されていますっ!」
すると、そのように部屋の外が騒がしくなってきた。
それも当然だ。ヘレナが扉を打ち砕いた音は、それだけ周りに響くだけの音だった。そして、少なくともそこが九人の部屋の端であるならば、近くから様子見に出てくるのも当然の帰結である。
むしろ、そのために敢えて大きな音を出して壊したのだから。
「お、お姉様!? 何が……!? お、男っ!?」
「く、首がありませんの……!」
そして、どうやらシャルロッテとマリエルもやってきたようだ。
気配で察する限り、見知った顔が並んでいるようだ。フランソワ、エカテリーナ、シャルロッテ、マリエル、それに一度会っただけだが、カトレアにレティシアもいた。残る面々については知らない。クラリッサの姿がないのは、恐らく現在も全身鎧(フルプレート)を着用しているからだろう。
そんな令嬢たちが、壊れた扉から見える首のない屍に、恐怖しているのが分かる。
「フランソワ」
「は、はいっ!」
クリスティーヌを見据えたまま、そう背後のフランソワへ声をかける。
フランソワは脊髄反射、とばかりに大きく返答した。
「シャルロッテ、マリエル」
「はいっ!」
「『極天姫』クリスティーヌ・ハイネスは、陛下とよく似た間男を宦官として後宮に引き入れ、そして陛下を眠り薬で眠らせたのち間男とまぐわい、生まれる子を陛下の子だと言い張るつもりだった。これは、ガングレイヴ帝国の皇帝を謀る、国の敵となる行為である」
ヘレナの口上に、ざわつきが強くなる。
昨日、入宮してきたばかりのクリスティーヌが、そのような姦計を企てているとは思っていなかったのだろう。
何より、クリスティーヌが挨拶をしてきたのはヘレナだけであり、宦官がいる、ということを知っている者すらいなかったのだ。
「以前も問うたが、もう一度問う!」
「はいっ!」
「お前たちが殺すのは何だ!」
「帝国の敵をっ! 帝国に仇なす者をっ!」
三人が、全く同じ言葉を叫んでいることに、周囲の面々がざわついている。
だが、そう叫ぶ三人は、じっと前を見据えたままだ。ヘレナという教官の教えてきた日々は、彼女らの心に深く刻まれているのだから。
ヘレナは微笑む。彼女らの成長と、そして変わらぬ意志を改めて感じて。
「フランソワ!」
「はいっ!」
「帝国の敵をどうする!」
「我が矢で心の臓を貫き、殺す!」
「マリエル!」
「はいっ!」
「帝国の敵をどうする!」
「我が槍で喉笛を突刺し、殺す!」
「シャルロッテ!」
「はいっ!」
「帝国の敵をどうする!」
「我が拳で首をへし折り、殺す!」
「総員! 叫べ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
「もう一度!」
「殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!」
「うむっ!」
まさに戦士と化した三人の叫びに、クリスティーヌが顔色を蒼白にしてゆくのが分かる。
クリスティーヌは帝国の敵であり、そしてヘレナたちは帝国の敵を殺すべき者。
ならば、その帰結は単純。
そして――何より、彼女らに教えたかったのだ。
「では罪人クリスティーヌ・ハイネス。覚悟はいいな?」
新兵訓練を終え、一人前の戦士となった彼女らに。
いざ、まさに戦場に出たときに、躊躇うことのないように。
その身に、刻んでおきたかった。
人を殺す、という経験を――。
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