第150話 皇帝陛下の憂鬱

 クラリッサを帰らせ、その後ヘレナは夕餉を摂る。

 これからどうなるかはまだ未知数だが、クラリッサにやる気は芽生えてくれたようだ。ひとまず用意しなければならないものが幾つもあるし、これからの成長に期待、といったところか。

 実際のところ、一歩退いて全体を見ることのできるクラリッサには、指揮官としての素質があるだろう、とは思っていたのだ。

 シャルロッテは近接戦に特化しすぎているために、視野が狭い。フランソワは弓の腕にこそ長けているが、思い込んだら一直線の直情型だ。アンジェリカは言わずもがなであり、味方の位置を全く把握していない。

 マリエルかクラリッサが一番だと思っていたために、クラリッサがそういう道を選んでくれるのならばマリエルの負担も減るだろう。


 と、そんなことを考えながら夕餉を終わらせて。

 そして、ヘレナの部屋にやってくるのがファルマスである。

 いつも通りにグレーディアを伴い、そしてグレーディアを帰らせてからヘレナの前に座ったファルマスは、随分疲れているように見えた。


「ええと……お疲れ様です、ファルマス様」


「ああ……全く、厄介なことばかりだ」


「差し支えがなければ、何があったのかお聞きしても?」


「……そうだな。そなたにも必要なことであろう」


 沈痛な面持ちで、そう苦々しく呟くファルマス。

 これは、余程の大事件があったのか――そう、ヘレナは気合を入れて姿勢を正した。


「……後宮に、新たに一人、入ることになったのだ」


「そうなのですか」


「ヘレナ、そなたはハイネス公爵家を知っておるか?」


 ファルマスのそのような問いかけに、ヘレナは頷く。

 ハイネス公爵家を知らない貴族家など、いるはずがないだろう。自身が侯爵令嬢と呼ぶには些か間違っていることはさて置き、ハイネス公爵家の名前くらいは知っている。

 かつてガングレイヴ帝国が乱立する小国の一つだった頃に、建国帝という偉大な皇帝が周辺諸国を平定したことにより、大陸に覇を唱えるガングレイヴ帝国が完成したのだ。その際に、小国の主でしかなかった建国帝の才を見出し、積極的に支援をしたのがハイネス家なのだという。

 それゆえに建国帝とハイネス家は永遠に変わらぬ友である、という意味を込めて、ハイネス家を永年公爵家とすることを誓ったのだ。

 本来ならば皇帝の血縁より二代を越えれば返上しなければならない、皇帝に次ぐ権威を持つ公爵家。それが永年であるということは、即ち皇帝に次ぐ存在だということだ。


 現在のハイネス公爵家はガングレイヴ帝国の東に巨大な領地を持ち、国内で唯一海と接している、という特徴も持っている。それゆえに皇帝でも頭が上がらず、ほぼ公国のような扱いになっているのだとか。

 ヘレナも軍で、何度か言われたものだ。ハイネス公爵家領に行くときには、外国へ行くものだと思え、と。


「それは……勿論、知っておりますが」


「新たに後宮に入るのは……ハイネス公爵家の娘、クリスティーヌだ」


「……」


 ヘレナはそんなファルマスの言葉に、そう沈黙だけで返す。

 真剣な眼差しでじっとファルマスを見据え、そして、小さく嘆息した。


 ハイネス公爵家はほぼ完全な自治を与えられているために、帝国の中枢には干渉していないのだ。少なくとも、血族で宮廷に仕える者はいないはずだ。軍にも入ることなく、公爵家独自での軍隊があるのだとさえ聞く。

 そんな公爵家が、後宮に娘を入れる。それは表向きは、公爵家と皇族の友好の証だ、とされるだろう。

 だが、その実質。

 ファルマスに、己の娘を正妃とせよ、と脅しているということなのだ。


「断ることはできなんだ。ハイネス公爵家とは、今は諍いを起こすわけにはゆかぬ」


「しかし……」


「現在のところ、対外的に余の正妃に最も近いのはヘレナである、とそう認識されておる。加えて、後宮ができて一年も経ているという今、最高位である三天姫は全て埋まっておるのだ。だが……公爵家の令嬢を下の身分とすることはできぬ。ゆえに……特例ではあるが、最高位を四天姫として、クリスティーヌには『極天姫』を与えようと思っておる」


「……」


「そなたの尽力により、ようやく後宮もまとまってくれたと思っていたのだが……まさかこのような鬼札を与えられるとは思わなんだ。全く、星の巡りとは読めぬものよ」


 当然ながら。

 ヘレナには何を言っているのかさっぱり分かっていない。


 ハイネス公爵家は知っている。詳しくはよく分からないが、とりあえず偉い貴族なのだろう、くらいの情報はある。全く関わってこなかったために、名前しか知らないけれど。

 だがその娘クリスティーヌが後宮へ入ること。

 その何が問題であるのか、ヘレナには全く分からないのだ。


 別段クリスティーヌが後宮へ入ったところで、ヘレナの日常は何も変わらない。

 特に仲良くする必要もないだろう。フランソワのように鍛えてくれ、言ってくるわけでもあるまいし。


「そなたには、また負担を強いることとなった。これも、余の力不足ゆえだ」


「いえ……」


「余も色々と動く予定ではある。ハイネス公爵家にこのままにはさせぬと誓おう。そなたには、それまで耐えてもらうことになってしまうが……」


「はぁ……」


 どうしよう、全く分からない。

 一体何がヘレナの負担になるのか、どういう因果関係でヘレナとクリスティーヌが関わることになるのか、完全に謎である。そもそもヘレナ自身、政治の混乱を正すために後宮へ入ったというのに、後宮と宮廷の関係など全く分からないのだ。

 結果としてなんだか上手くいっているし、とりあえず放っておけばいいのだろうか。


「まったく……まさか、このタイミングでハイネスが横槍を入れるとは思わなんだ。ノルドルンドと繋がっておるのやもしれぬ」


「……」


「あやつがどのようにハイネス家へ取り入ったのかは、予想すらつかぬ。だが、今回のクリスティーヌの後宮入りで、アントンの発言力は明らかに下がった。余も、これまでほどそなたを寵愛している、という姿勢を見せることができぬ」


「……」


「奸臣の専横、諸外国との対立、公爵の言葉に逆らえぬ……ふん、まさしく余は愚帝よの。粛清の時を待つだけと思っていたものを、このように邪魔されるとは……」


 眠くなってきた。

 そもそも政治のどうこうを理解するのは難しく、そして難しいことは考えないのである。結果として、眠い。

 さすがにファルマスが真剣な話をする前で、船を漕ぐわけにはいかない。

 瞼に力を入れて、どうにか眠気を吹き飛ばしながらじっと聞き続けるだけだ。


 だが、そのように眉根を寄せて憂うヘレナは、ファルマスにしてみれば共に難題に悩んでくれている、と映る。

 ファルマスの覇道のために、己の行うべきことを模索している――そう取られるのだ。完全に詐欺である。


「すまぬな、ヘレナ。不安にさせた」


「い、いえ……そんな」


「だが、そなたに頼るべき部分は多い。これより後宮においては、クリスティーヌの専横が始まるやもしれぬ。それを阻むことができるのは、あやつに並ぶ存在であるそなただけだ……どうか、頼む」


「あ、頭を上げてくださいませ、ファルマス様」


 ファルマスが頭を下げてきたのを、そう止める。

 さすがにここが後宮の一室とはいえ、皇帝であるファルマスに頭を下げさせるなど、これ以上ない無礼だ。

 何をすればいいのかは分からないけれど、頑張ろう、うん、くらいには曖昧に覚悟を決めておくことにする。


「ああ……それから、もう一つ……この程度で詫びにはならぬとは思うが」


「は、はい?」


「後宮の一室に、そなたの求めた鍛錬用の道具を用意した。場所は女官長に聞いてくれ」


「本当ですか!」


 思わぬ言葉にそうヘレナは腰を浮かせる。

 今日一テンションの上がった瞬間であり、そして眠気は吹き飛んだ。

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