第146話 『歌人』の秘密
午前。
五人と共に中庭で鍛錬を行う。まず走り込みから始めて、それから実戦訓練だ。
アンジェリカは嬉しそうに新装備だと銀食器(シルバー)を見せてきたが、さすがにフォークやナイフは鋭いし相手に怪我をさせる可能性がある。そのため、基本的にはスプーンを投げることで使用を許可した。
そして、シャルロッテとマリエルの徒手対棒の戦いや、アンジェリカやフランソワの的当て、ならびに現状、馬術以外に突出するところのないクラリッサへの長槍の扱い方に関しての指導などを経て、次第に昼が近付いてくる。
そして。
「よし、では始めるか」
「はいっ!」
午前の訓練の締め――それは、ヘレナ対全員だ。
勿論、新兵訓練(ブートキャンプ)の最終日にしたように、本気を出すわけではない。あくまで五人の上達を測るために、殺気は抑えて相手をするのである。
相対する五人の顔に走るのは、緊張。
ヘレナの武器が、全く殺傷力のないハリセンでありながら、真剣な眼差しでヘレナを見据える。
「では、来い」
言葉と共に、五人が一斉に散開する。
ヘレナの後ろへと回り込むように、一気にアンジェリカとクラリッサが駆ける。そんな二人に注目をさせまい、と距離を縮めるのはシャルロッテとマリエル。同時に、後ろからフランソワの矢も飛んでくる。
冷静にまずヘレナは矢を叩き落とし、それからシャルロッテ、マリエルの相手をする。卓越した五感と磨かれた第六感が、後方のアンジェリカ、そしてクラリッサの動きを教えてくれるのだ。
アンジェリカが無言で構え、銀の光が迫る。
ヘレナはそちらを一瞥することもなく、ただ半身をずらすだけで躱す。そして、そんなスプーンの群れがマリエルを襲い、慌てて棒で弾く。
その隙を逃すことなく、シャルロッテの拳を頭一つずらして避け、片手でフランソワの矢を叩き落としつつ、マリエルの頭にハリセンを叩き込んだ。
「マリエル、脱落だ」
「うぅっ……お姉様ぁ」
「次」
ヘレナの攻撃が、ハリセンでなければ死に至る、と判断された場合脱落となる。
そして、そんな会話の間もアンジェリカから銀食器(シルバー)が、フランソワからは矢が放たれるのだ。
前衛を務めるのは、シャルロッテただ一人。
「マリー、脱落が早すぎますの!」
「文句はアンジェリカに言ってほしいですわ!」
「わ、わたくし悪くないもん!」
互いに罵り合いながらも、しかしシャルロッテはうまくヘレナの攻撃から立ち回る。
距離感は天性のものなのだろう。効果的に自分の間合いに持ち込み、しかし瞬時に危機を察知して下がる、という上手い動きをしている。恐らく、これはヘレナの知らないところでも徒手の訓練を行っているのではなかろうか。
そして、やはりフランソワの矢は脅威だ。連続で射ってくる場合や、緩急をつけてくる場合もある。なかなかその軌道が読みにくい。
アンジェリカはやはり射線上に味方がいることに注意をせねばなるまい。
そして。
なるほど、とヘレナは口角を上げた。
今回はそういう手か。
「なるほど、上手い手だ」
「わぁっ!」
アンジェリカが大きな軌道で銀食器(シルバー)を投げていたこと。
フランソワが注目をさせるかのように何度も緩急をつけて矢を放っていたこと。
シャルロッテが決して離れようとせず、絶妙の距離を保っていたこと。
その全て――ヘレナの後ろから迫る、クラリッサから意識を外すためだったのだ。
クラリッサが先に後ろへと回り込んでいたことは知っているし、気配はきっちり掴んでいる。だが、それゆえにヘレナはシャルロッテ、マリエルという前衛二人から視線を外すことなく、後ろは気配による察知だけに任せていた。
だからこそ、なかなか気付くことができなかったのだ。
クラリッサの持つ、長槍――穂先は外しているため、ただの長い棒なのだが。
ヘレナは間一髪、その先端を掴んで止めることができたが、もう少し遅ければ当たっていたかもしれない。
何せ。
その棒の長さが、最初の二倍ほどになっているのだから。
「ふんっ!」
「きゃあっ!?」
「うわぁっ!」
長槍ごとクラリッサの体を浮かせ、そのままシャルロッテにぶつける。
それと共にシャルロッテの体勢も崩れ、そこに迫ったヘレナのハリセンが唸った。
すぱーん、と綺麗な音を立てて、シャルロッテが沈む。
「シャルロッテ、クラリッサ、脱落だ」
「もうーっ!」
「うまくいくと思ったのにぃ……」
「上手い手だったぞ。あのような手段で迫ってくるとは思わなかった」
恐らく、事前に打ち合わせをしていたのだろう。
そして、クラリッサが最初持っていた棒は、通常の長さだった。そして、その長さでヘレナも指導していたために、気付くのが遅れたのだ。多分、マリエルあたりがオーダーメイドで伸ばせる棒を作ったのだろう。
なかなか考えるものだ、と感心する。
そして、前衛三人が脱落のため、残るは後衛二人。
「や、ぁっ!」
「甘い」
迫り来るフランソワの矢を落とし、そして背後から迫る銀食器(シルバー)を避けながら。
近付いて、その頭にハリセンを叩き込む。
「はうっ!」
「フランソワ、脱落だ」
「うぅっ……負けましたっ!」
これで、残るはアンジェリカ一人。
そう、ゆっくりと背後に目をやる。そこには、両手に銀食器(シルバー)を構えるアンジェリカ。
五人がかりで、既に四人が脱落。
だというのに――アンジェリカは、笑っていた。
「ふふっ、うふふふっ」
「……?」
「皆不甲斐ないわね! わたくしが一人でヘレナ様を倒して見せるわ!」
「あたくしあなたのせいで脱落しましたのに!」
「全く信用できる要素がありませんの!」
「が、頑張ってください!」
「いや、無理でしょ……」
「さぁ、いくわよヘレナ様ぁっ!」
ぶんっ、と銀食器(シルバー)を一斉に投げ、そのまま次の銀食器(シルバー)を手に構えるアンジェリカ。
しかし。
当然ながら、叩き落とし近付いたヘレナのハリセンが、アンジェリカの頭に叩き込まれた。
「きゅぅ……」
「……何の威勢だったんだ」
倒れるアンジェリカに、そう呆れの溜息を吐く。
まぁ、自信を持つのはいいことだ。自信ばかり先行してもらっても困るけれど。
「あー、負けたぁーっ!」
「途中までは作戦通りにいきましたのに……」
「ご、ごめんなさい、マリエルさん……せっかく用意してもらったのに」
「大丈夫ですわ。また午後から、対策を練りましょう」
クラリッサがマリエルに、伸びる棒を手渡す。
やはりマリエルが用意したものだったのか。
「では、少し休もう。シャルロッテ、いつも通り構わないか?」
「ええ。エステル! お茶を淹れますの!」
「承知いたしました」
アレクシアたちが中庭に出てきて、それからテーブル、椅子をセッティングする。
訓練の後には六人でこうやってお茶を飲むのが、最早恒例となっていた。
もっとも、お茶を飲んで少し話した後は、部屋に戻って昼餉にするのだけれど。
「ああ、そういえばクラリッサ」
「はい?」
「午後から、クラリッサの部屋に行ってもいいか?」
「えっ!?」
クラリッサが、そう驚きの声を上げる。
新兵訓練(ブートキャンプ)の最初の頃に、ヘレナの兄リクハルドの大ファンだという事実が明らかになった。そして、絵姿を飾っているのだ、と言っていたのである。
そして、それを見せろとヘレナは言って、肯定したはずだ。
「い、いえ、そ、それは……わ、私の部屋に何か……?」
「いや、前に言っていただろう。兄上の絵姿を飾っている、と」
「ああーっ!」
「それを見せてもらおうと思ったのだが……」
む、とヘレナは眉を上げる。
クラリッサの表情が強張り、そしてだらだらと汗が流れているのが分かった。
一体どうしたのだろうか。
「あ、ヘレナ様! わたしも見たことがあります!」
「ふ、フランっ!」
「ほう。そうなのか」
「はい! とても綺麗な絵でした!」
フランソワがそう言ってくるが、しかしクラリッサの表情は物凄く焦っている。
何をそこまで焦っているのか、ヘレナには分からない。もしかしたら、あまり見られたくないものなのかもしれない。
すると、フランソワが嬉しそうに。
「クラリッサは、男の人の絵が大好きなんです!」
「やめてフランっ!」
「特に裸のお二人が抱き合っている絵姿がお気に……」
「本当にやめてフランっ!」
……。
フランソワのそんな言葉で、なんとなく理解する。
そして、それ以上触れてはいけない、と判断できた。
「あ、あの、ヘレナ様! い、今のは……!」
「……いや、すまないなクラリッサ。午後からは私も鍛錬をすることにする。変なことを聞いてすまなかった」
「優しさが痛いですヘレナ様ぁっ!」
まぁ、趣味は人それぞれだ。そこに口を挟んではいけないだろう。
だが、そんなクラリッサを見ながら、ヘレナは思った。
どうして、後宮にはこう変な娘ばかり揃っているのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます