第147話 さらばエカテリーナちゃん

 中庭での鍛錬を終え、ヘレナは部屋に戻り昼餉にすることとした。

 どうやら午後からは、アンジェリカを除く四人でお茶会をするらしい。具体的には最後のヘレナ対全員における手合わせの、ヘレナへの対策を話し合うらしいのだが。

 まぁ、努力は裏切らない。どのような策を弄してきても、叩きのめす自信はあるが。


 そしてアレクシアの運んできた冷めた昼餉を食べ、それからよし、と気合を入れる。


「午後からはどうなさいますか? ヘレナ様」


「うむ……クラリッサの部屋に行こうと思っていたが、やめておこう」


「……ええ、それがよろしいかと思います」


 アレクシアも同じく、顔を引きつらせている。

 さすがに、クラリッサにそのような趣味があるとは思っていなかったのだろう。世の中には色々な趣味を持つ者がいるけれど、ヘレナの予想を遥かに越えていた。

 だからといって、否定をするわけにはいかない。クラリッサとて、ヘレナにしてみれば可愛い弟子なのだ。

 まずは理解をすることに努めてもいいかもしれない。


「……私は寡聞にして知らなかったのだが、男性同士のそういう絵姿というのは、売っているのか?」


「いえ……わたしも詳しくは存じませんが」


「やはりか……」


「ただ、売られているということは知っております。一部の貴族令嬢にはよく売れているようですよ」


「……ふむ」


 と、いうことはクラリッサも、その『一部の貴族令嬢』の一人なのだろう。

 開けてはいけない扉があるかのように、その領域に踏み入れるのは気が引ける。

 だが最大の問題は。

 そんなクラリッサが大ファンだと言っていたのが、ヘレナの兄リクハルドだということだ。

 世間でリクハルドが、そのように認知されているとは知らなかった。


「兄上……だからかっ!」


 リクハルドは、ヘレナよりも三つ年上である。

 そしてレイルノート侯爵家の令息であり、八大将軍が一人『黒烏将』。身内の贔屓目はあるかもしれないが、顔の造形は悪くないし性格も良いはずだ。長身でがっしりとした体つきをしているし、女性から忌避されるような見目というわけではない。

 だが、仮に世間からそのように思われているとすれば。

 リクハルドが同性愛者だと思われているせいで、嫁の来手がないのではなかろうか。


 ちなみに、純粋にリクハルドが三十を越えて未婚であるのは、その極度の妹に対する偏愛ゆえである。

 だが、幼い頃からそれが当たり前だったヘレナにしてみれば、特におかしな部分ではなかったりするのだ。

 バルトロメイとアレクシアの関係のように、兄が妹を愛するのは当然だと思っているのだ。ちなみにそんなバルトロメイも戦地から家に戻ったときなどアレクシアを可愛がり、遊んでやり、小遣いをあげていた、という実績があるため、「『青熊将』はシスコン」という噂が流れたことがある。


「いや、待て!」


「先程からどうされたのですか、ヘレナ様」


「まさか……」


 もしかすると――。

 そう、天啓のように脳裏に走る可能性。

 ヘレナは生まれたその時から、リクハルドの妹だった。それゆえに、身内として最も近い存在だったのだ。

 そんなリクハルドに、女の影があったことは、これまでにない。紹介される友人も大抵男だったし、遊びに行く、と言っていたときも一緒に行く相手は大抵男だった。恋人がいた、という話など、一度も聞いたことがないのである。

 そして何より、リクハルドは『黒烏将』であり、様々な戦場に遊撃部隊として現れる黒烏騎士団の指揮官なのだ。遊撃を主に行う部隊であるがゆえに、その練度は高く老練の精兵が揃っている。

 つまり、男だらけの騎士団ということだ。


 ああ、そうだったのか――そう、ヘレナは肩を落とす。

 リクハルドのことは、よく知っているつもりだった。だが、何一つ分かっていなかったのだ。

 そんな自分に、自己嫌悪すら湧いてくる。どうして、これまで気付くことができなかったのだろう、と。


「なるほどな……」


「何を納得されているのでしょうか……?」


「いや、兄がそうならば、妹として否定をするわけにはいかない。久しぶりに文でも出すとするか……私はちゃんと分かっていると、そう伝えておこう」


「ヘレナ様……?」


 アレクシアのそんな、疑問の混じった声音。

 そういえば何も口に出すことなく、心の中だけで完結してしまっていた。


「大丈夫だ、アレクシア」


「何がですか?」


「私は、義理の兄ができることは歓迎しよう」


「……あの、思考が飛びすぎて理解できないのですけれども」


「うむ」


 アレクシアも驚くかもしれない。

 だが、アレクシアにしてみればリクハルドは他人だ。ヘレナほどのショックはないだろう。

 こほん、と軽く咳払いをして。


「アレクシア、驚かずに聞いてくれ」


「はい」


「私の兄リクハルドは、どうやら男性が好きなようだ」


「何故そのような結論に落ち着いたのですか」


 む、とヘレナは眉を上げる。

 アレクシアの表情に浮かんでいたのは、驚きというよりも呆れが大半だった。それほどおかしなことを言っただろうか。

 いや、身内にそのような趣味の者がいる、というのは十分おかしなことだと思うけれど。


「……ヘレナ様、他のところで言わないでくださいね」


「どういうことだ?」


「いえ、きっと何か妙な方向に思考が歪んだ結果、そのように血の繋がった兄を誤解することになったのだとわたしには分かります。ですが、もしもそれを外で言うことになれば、ヘレナ様はリクハルド将軍の身内ということもありますし、真実だと受け止められるかもしれません。いくらお身内のことだといえ、そのように卑下するような噂を流してはヘレナ様の身の危険となる可能性もあります」


「……?」


 アレクシアは一体何が言いたいのだろう。

 意味が分からず、そのように頭を抱えるアレクシアに、そう首を傾げることしかできない。


「いや、しかしだなアレクシア」


「はい。わたしは分かりましたので、それを外に吹聴なさらぬようお願いします。お身内に変な噂が立ってしまっては、アントン・レイルノート宰相の立場にも繋がってきますので」


「むぅ……」


 確かにその通りかもしれない。

 政治的にどのような価値があるのかは分からないが、レイルノート侯爵家の汚点だ、などと騒ぎ立てる輩がいては目も当てられないだろう。そして、このようにヘレナは察することができたが、リクハルドは他の者を相手に巧妙に隠しているのかもしれない。

 ならば下手に理解を見せるのではなく、知らないふりをしておく方がいいということか。


「そうだな……分かった。この件に関しては口外しないでくれ」


「それはヘレナ様がご自身に誓うべきかと」


「分かった。口外しない」


 ヘレナだけでも、ちゃんとした理解者になってあげよう。

 もしもリクハルドが秘密を打ち明けてくれるのならば、そのときは驚かずに受け止めよう。

 うん、と最前線にいるであろう兄を想い、そう笑みを浮かべる。


 多分、そんな妹の想いを知ってしまえば、妹を愛してやまない兄は草葉の影で泣くだろうけれど。


「さて……ではやるか」


 今、ここにいない兄のことを考えても仕方ない。

 現状はヘレナも後宮に入っているわけであるし、会うこともできないのだ。


「では、中庭で鍛錬をなさいますか?」


「いや……」


 ヘレナは首を振る。

 中庭で鍛錬を行うのもいいが、まずは先に、明日の準備をしておくべきだろう。

 肉の手配や金網、炭といった必要な物品は、マリエルが手配してくれる。ならば、ヘレナが行うのは手頃な肉を用意しておくことだ。

 令嬢とはいえ、五人とも育ち盛りだ。きっとたくさん食べてくれるだろう。

 そして、鍋パーティのときには、マリエルとクラリッサには蛇の肉を全否定されたのだ。本当は美味しいのだ、と見返す機会はここにある。

 ヘレナは荷物の一番上に積んでいた、麻袋を手に取り。


「――っ! そ、それはっ……!」


「ああ、アレクシアは離れていてくれ」


 それはエカテリーナちゃんの入った袋である。

 既に一月以上も経ているというのに、麻袋を動かすと僅かに中でもぞもぞと動いた。

 ヘレナは何の躊躇いもなく、そんな麻袋へと左手を突っ込み。

 その、長い体を取り出す。


「ひっ――!」


「よ、っと」


 暴れるエカテリーナちゃんの首を持ったままで、調理場へ。

 それほど調理器具を持ってきているわけではないが、少なからず包丁とまな板くらいはある。鱗を落とすのは面倒だが、明日に回すよりは今日のうちにやっておいた方がいいだろう。

 ヘレナはエカテリーナちゃんをまな板に乗せて、暴れる体を押さえつけながら。


「ふん!」


 右手に持った包丁で――その頭を叩き落とした。

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