第129話 ヘレナズブートキャンプ 最終日

 一月という、あまりにも短すぎる新兵訓練の期間も、ついに今日で終わりを迎えることとなった。

 ヘレナからすれば短すぎるが、五人にしてみれば十分な期間だったのだろう。

 随分と、訓練を開始した当初よりも顔つきが変わってきたように思える。

 午前の走り込みを終え、昼餉を食べ、そして中庭で整列した五人の前で、ヘレナは鷹揚に頷いた。


「これより、最終訓練を行う。全員、まずは整列して待て!」


「はいっ!」


 今日で終わり、というのが悲しくもあり、寂しくもある。

 だが、彼女らは成長した。最早、新兵と呼んではいけないだろう。

 一人前の兵士だ。


「ヘレナ様」


「来たか」


「はい。もう間も無くいらっしゃいます」


 アレクシアの言葉に頷く。

 全員、良い顔になってきた。もう、ヘレナが厳しくせずとも甘えたことは言わないだろう。

 だからこそ、最後の訓練。

 今日までの彼女らの成長を、是非見てもらわなければなるまい。


 特に、アンジェリカ――彼女の成長を。


「ヘレナちゃん、久しぶりー」


「失礼いたします、ヘレナ様」


 そこに現れた二人。

 是非とも、アンジェリカの成長を見て欲しかった者――皇太后ルクレツィア。そして一応、護衛として共にいるのであろうティファニーである。

 ルクレツィアの姿に、僅かにシャルロッテ、クラリッサあたりが動じるのが分かる。しかしこの一月、許可のない発言を許さなかった日々であるがゆえに、何も言わずに直立を続けるだけだ。


「お久しぶりです。ルクレツィア様」


「ええ。今日は訓練の成果を見せてくれる、って聞いたんだけど」


「そのつもりです。総員! 回れ右っ! 敬礼っ!」


「はいっ!」


 ばっ、と一糸乱れぬ動きでルクレツィアに体を向け、右手を左胸の前に、左手を腰に置く。

 うむ、とヘレナは頷いた。

 しかし――ルクレツィアはそんな五人の動きに、僅かに退く。


「え、ええと……?」


「ルクレツィア様、返礼を行ってください」


「ど、どういうこと?」


「目上の者に対しての敬礼は、相手から返礼を行われない限り下げることができません。右手を左胸の前に」


「え、ええ……」


 おずおず、とルクレツィアが右手を左胸にやる。

 それと共にばっ、と全員が敬礼の姿勢をやめ、そして直立を保った。


「総員! 回れ右っ!」


「はいっ!」


 全員がルクレツィアに背を向け、ヘレナの方を向く。

 その動きにもやはり淀みはなく、全員が全員、きっちりとした集団行動を身につけていた。


「諸君、よく私の厳しい訓練を耐え抜いた。本日をもって諸君は蛆虫を卒業する。これよりお前たちは、一人前の戦士だ。私は諸君を誇りに思う」


「ありがとうございます!」


「一月という短い期間だったが、私は諸君に、私の持ち得る全てを教えたつもりだ。今日はその集大成を、皇太后ルクレツィア陛下にお見せしろっ!」


「はいっ!」


「では諸君! 答えろ!」


「はいっ!」


 全員が真っ直ぐにヘレナを見据え、そして強く返答した。

 皇太后が見ている、という今の状況であれ、心は何一つ揺らがない。この程度で揺るぐような惰弱には鍛えていないつもりだ。

 だからこそ、唱和をする。


「お前たちが殺すのは何だ!」


「帝国の敵を! 帝国に仇なす者を!!」


「お前たちが戴くのは何だ!」


「帝国を! 帝国の全てを!!」


「お前たちが守るのは何だ!」


「帝国の民を! 帝国の戦友を!!」


 全員が腹の底から声を出し、そう答える。


「そのためにどうすればいい!」


「|協力して励め(ガン・ホー)!」


「腹から声を出せ!」


「|協力して励め(ガン・ホー)! |協力して励め(ガン・ホー)!」


「もう一度だ!」


「|協力して励め(ガン・ホー)! |協力して励め(ガン・ホー)! |協力して励め(ガン・ホー)!」


「よしっ!」


 全員の叫ぶ『|協力して励め(ガン・ホー)』とは、ある種鬨の声に近い。

 いわゆる突撃の際に叫ぶ言葉、のようなものだ。全員の士気を高め、そして連携を強めるための声出しである。


「フランソワ!」


「はいっ!」


「帝国の敵をどうする!」


「我が矢で心の臓を貫き、殺す!」


「クラリッサ!」


「はいっ!」


「帝国の敵をどうする!」


「我が駆る馬で踏み潰し、殺す!」


「マリエル!」


「はいっ!」


「帝国の敵をどうする!」


「我が槍で喉笛を突刺し、殺す!」


「シャルロッテ!」


「はいっ!」


「帝国の敵をどうする!」


「我が拳で首をへし折り、殺す!」


「アンジェリカ!」


「はいっ!」


「帝国の敵をどうする!」


「我が投石で頭蓋を砕き、殺す!」


「総員! 叫べ!」


「殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!」


「もう一度!」


「殺せ!! 殺せ!! 殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!」


「うむっ!」


 ヘレナは満足げに、そう頷く。

 意識は大きく変わった。最早、彼女らは一人前の戦士だ。

 このまま戦場に出しても、十分な活躍をすることができるだろう。


「よしっ! ではこれより最終訓練を開始する! この訓練を乗り越えたそのとき! お前たちに敵はいない!」


「はいっ!」


「では全員、武器をとれっ!」


「はいっ!」


 だが、そんな変わり果てた五人を見ながら。

 ルクレツィアは顔面を蒼白にし、ティファニーは興奮しながら大きく頷いた。


「……アンジェリカ」


「いや、さすがはヘレナ様。素晴らしい訓練の成果です」


「ティファニー……これが、普通なの……?」


「いえ、さすがにヘレナ様ほど、全員を鍛え上げることはできません。アンジェリカ姫をこれほど更生させることができるのは、ヘレナ様だけでしょう」


「……私、頼む相手を間違えたのね」


「徹底的にやっていい、と許可を出した時点で、ヘレナ様は止まりませんから。いや、次の会報が楽しみでなりませんね」


「私、あなたが時々何を言っているのか分からないわ……」


 そして、そんな激しく後悔をするルクレツィアと、満足そうなティファニーを尻目に。


「……はぁ」


 アレクシアを筆頭とする五人の侍女たちは、揃って死んだ目をしながら溜息を吐いた。

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