第130話 最後の試練
最終訓練。
それは今日までの一月、彼女らに教えてきたことの総決算だ。
中庭の中央で、ヘレナは大剣を持つ。最近、とくと握っていなかったために、その感触すら懐かしい気分になった。
そんなヘレナの前に立つのは、五人の戦士。
シャルロッテは徒手を。
マリエルは棒を。
フランソワは弓矢を。
クラリッサは長槍を。
アンジェリカは石を。
それぞれ、構える――。
「己の信じる武器は持ったな!」
「はいっ!」
「では、全員でかかってこい! 私を相手にすることこそ、最後の試練だと知れ!」
「はいっ!」
ヘレナの構える大剣を前に、全員が機会を伺う。
本来、クラリッサには馬を駆らせる必要があったかもしれない。だが、この訓練は五人の連携でもあるのだ。一人だけ騎馬、という状況では協力もできない。それゆえに、クラリッサはずっと訓練してきた、馬上で使える長槍である。
そして、ヘレナが持つのは刃を潰してあるとはいえ、殺傷力の高い大剣。
下手に当たれば骨が折れ、砕かれる代物である。
だが、それでいいのだ。
元よりヘレナに、当てるつもりなどない。むしろ、戦うつもりなどないのだ。
最後の訓練。
それは――。
「ーー」
ヘレナは目を細め、視界の中に捉えた五人を見据える。
その気になれば、一歩でヘレナの射程に入る距離に、全員がいるのだ。僅かにでも動けば、それだけでヘレナの剣は届く。
それが分かっているからこそ、全員、動くことができない。
フランソワが矢を放ってきたならば、叩き落とす。
シャルロッテが近付いてきたならば、その首を落とす。
マリエルが迫ってきたならば、その棒ごと粉砕する。
クラリッサが突いてきたならば、その槍をへし折る。
アンジェリカが石を投げてきたならば、打ち返して当てる。
誰がどう動こうとも、ヘレナに当たることはない。
「くっ……!」
「どうした、来ないのか」
攻めあぐねる五人に、そう冷たい言葉を放ち。
「喝っ!」
殺気を込める。
一瞬で、全員の首を刈り取る――そう気合を込めて、殺気を放つ。
「――っ!」
「ひぃっ!?」
「あ、あぁ……」
最も近い場所にいたシャルロッテが、まず膝をついた。
続けてマリエル、クラリッサが腰を抜かす。
さらにアンジェリカ、フランソワが震え、倒れた。
「は、はぁっ、はぁっ……」
「な、何、これ……」
全員に共通しているのが、その顔に浮かんだ大粒の汗。
一部、涙目にすらなっている。
それも当然。
一個大隊を一人で相手にすることすらできるヘレナの殺気は、軍の威圧にすら及ぶのだ。
「全員、死んだな」
「……」
「これにて、最終訓練を終わる!」
最終訓練――それは、死を味わうこと。
ヘレナの強い殺気は、全員の心臓を握り潰すのではないか、とさえ思える恐怖感を与えるのだ。一般人ならば意識を手放すほどのそれに、耐えられる者はそういない。
だが、全員がきっちり、意識を保っている。その体が震え、大粒の汗をかき、立ち上がることができなくても。
彼女らは――耐えたのだ。
一人か二人は意識を失うのではないか、と思っていた。だが、それも杞憂だったようだ。
全員がこの一月の訓練に耐え抜いた矜恃を持ち、そして揺るぎない心の強さを持っている。
そして、これでヘレナの、厳しい教官としての日々は終わりだ。
「フランソワ」
「は……はいっ……!」
立ち上がることすら無理で、体中震えているフランソワに近付き。
膝を下ろし、ゆっくりと抱きしめる。
「よく耐え抜いた。お前は一人前の戦士だ。お前ならば、バルトロメイ様に相応しい妻になることができるだろう」
「へ、ヘレナ、様……!」
「これからも弓の腕を磨け。そして、いつか戦場で轡を並べよう」
「はいっ……!」
フランソワから離れる。ヘレナの言葉に、フランソワの目には涙が浮かんでいた。
これで終わりという寂しさと、そしてヘレナに認められたという喜びが半々、といったところか。
続けて、隣にいるアンジェリカを抱きしめる。
「アンジェリカ」
「は、はは、はい……」
優しく抱きしめ、その小さな頭を撫でる。
元々、アンジェリカのために始めた新兵訓練だった。だが、アンジェリカはヘレナの予想以上に成長してくれたと思う。
「一番年下の身で、よく耐えた。お前は一人前の戦士だ。皇族として相応しい女だ。誇ってもいい」
「うっ……ヘレナ、様……」
「今のお前は、民を慰撫する気持ちを持った。最早誰にも、我儘な姫などとは呼ばれまい。施政者として相応しい」
「うぅっ……! あ、ありがどうございまずっ!」
アンジェリカから離れる。どの言葉が琴線を打ったのかは分からないが、アンジェリカは泣いていた。
いかんな、と首を振る。このままだと、ヘレナまで泣きそうになってしまう。
続いて、クラリッサ。
「クラリッサ」
「はいっ……!」
抱きしめる。クラリッサの小さな体が、まだ震えているのが分かった。
それだけ、最後の殺気が怖かったのだろう。
「お前が耐え抜くとは思わなかった。一番に音を上げるだろうと思っていた私を許してくれ」
「そ、そんな……!」
「だが、お前は耐え抜いた。素晴らしい馬術の才もある。お前ならば、いずれ歴史に名を残す騎馬隊を率いることができるだろう」
「へ、ヘレナ様……っ!」
クラリッサから離れる。真っ赤な顔で、僅かに涙が浮かんでいるのが分かった。
その理由がフランソワと異なるのは、これで終わり、という安心感がほとんどを占めているからか。
さらに、シャルロッテ。
「シャルロッテ」
「……何ですの」
敵愾心を隠そうともしないシャルロッテを、抱きしめる。
目を逸らしながら、しかしヘレナの抱擁を避けようとはしなかった。
「よく耐え抜いた。お前は、一人前の戦士だ。これからも、徒手格闘がしたければ私に声をかけろ。いつでも相手をする」
「……別に。気が向いたら、してあげますの」
「お前には揺るぎない才がある。これからも才を伸ばし、そして一流の戦士となれ。私に、天才を育てたのだ、と誇りに思わせてくれ」
「……褒めても、何も出ませんの」
ふん、と顔を背けながらも、しかし真っ赤なシャルロッテ。
そんなシャルロッテの態度に、思わず笑みが浮かんでしまう。
そしてシャルロッテから離れ、続いて。
物凄く期待に満ち、さぁ、さぁ、とでも言いそうに腕を伸ばしているマリエルを見た。
「……」
「ああっ! お姉様からの抱擁っ! さぁ! さぁ! マリエルはいつでも大丈夫ですわ!」
「……マリエルはなしだ」
「そんなぁっ!?」
背筋に何故か寒いものを感じ、やめておく。
どうしてこうなってしまったのだろう。マリエルだけは本当に誤算だ。
全員同じように鍛えてきたつもりなのに、妙な性癖を持ってしまったマリエルに、ついヘレナは溜息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます