第112話 遠乗りデート 3

 重く、中でもぞもぞと動いている麻袋に触れながら、ヘレナはご満悦の表情で元の場所へと戻っていた。

 思ったよりも早く蛇の棲家を発見し、少し刺激をして出させた後、素早く捕まえて麻袋へと入れたのだ。下手に殺すわけにもいかないし、うまく生け捕りができた。それに加えて、想定よりも大きかったのもありがたい。

 麻袋はしっかりと縛ってあるし、腰に据えて持ち帰ればいいだろう。気の利くアレクシアは、ヘレナの「丈夫な」という条件をちゃんと聞き逃しておらず、二重構造のものを用意してくれたのだ。少なくとも、今日破れることはあるまい。

 ふんふん、と鼻歌混じりに、元いた小川の畔へ。


 そこには、随分と不機嫌そうに、仏頂面をしたファルマスがいた。


「……戻ったか、ヘレナ」


「はい。お待たせして申し訳ありません」


「……構わぬ、生理現象である以上は仕方あるまい。だが……これほど目覚めが不快だったのは初めてだ」


 まぁ、ヘレナの肩に頭を乗せていたはずが、気付けばグレーディアによる膝枕に変わっていれば、驚きもするだろう。

 そのせいで、若干不機嫌なのだろうか。


「どうしたのですか?」


「……やはり鍛えておるゆえに、男のように硬いのかと微睡みの中で考えておったというのに……まさか本当に男のものだったとは」


「……ええと、どうされたのですか?」


 何やらぶつぶつ言っているファルマスが、大きく溜息を吐く。

 不機嫌そうではあるが、しかし何に当たっていいのか分からない、という様子だ。


「まぁ、良い。そろそろ出発しようではないか」


「はい。ファルコ、おいで」


 水を飲んでいたファルコを、そう呼び寄せる。

 賢い馬なのか、ヘレナのそんな呼びかけに対してぶるるっ、と鳴き、近くに寄ってきた。

 つぶらな瞳でヘレナを見てくる顔立ちが、愛らしい。


 ひょいっ、とその背中に飛び乗る。


「……グレーディア」


「はい、陛下」


 そして同じく、ファルマスもグレーディアの補助を受けながらシルバへと乗る。

 最後にグレーディアがイーグルに飛び乗って、これで準備は終わりだ。

 手綱を引き、歩かせる。


「この先に、やや広がった休む場所があるそうだ。そちらの花畑まで行き、そこで休もう」


「はい。そういえばファルマス様、昼食はどうされるのですか?」


「グレーディアに弁当を持たせておる。料理番に作らせておいた」


「承知いたしました」


 残念、と心の中で舌を出す。

 用意されていなければ、森の中で猪や鹿など野生の獣を狩り、ヘレナ特製鍋を作ってもいいかな、と思えたのに。

 だが、そのような野性味溢れる食事は、ファルマスの好みではないかもしれない。


「それがどうかしたか?」


「いえ、私が昼食について考えていなかったものですから」


「まぁ、誘ったのは余だ。余が用意すべきであろうよ」


「ありがとうございます。もし用意されていなければ、野生の獣でも狩るべきだろうかと考えておりましたので」


「はははっ」


 ヘレナのそんな言葉に、ファルマスが笑う。

 別段面白いことを言ったつもりはないのだが、何かファルマスを刺激する言葉でもあったのだろうか。


「さすがに、何も持ってくることなく作ることなどできまい」


「いえ……」


 鍋と塩があれば、大抵何でも作れる。

 鍋がなければ、最悪は大きな木の葉でも使えばいいだろう。中に水をしっかり入れていれば、木の葉でも火に当てても燃えないのだ。理由までは知らない。

 火を熾すこともできるし、獣の解体もできる。山菜を積むことなど簡単だし、獣が捕まらなければ蛇でもいいのだ。

 少なくとも、それなりに美味しいものは作れるだろう。


「鍋と塩さえあれば、なんとかなりますが」


「ふむ……そなた、料理ができるのか?」


「できる、と堂々と宣言できるほどではありませんが……」


「ヘレナの鍋は美味いですぞ、陛下」


 唐突に、そうグレーディアが口を挟んでくる。

 む、とファルマスが、そんなグレーディアの言葉に眉根を寄せた。


「グレーディア、食べたことがあるのか?」


「儂は元『赤虎将』であり、ヘレナは当時、儂の補佐官をしておりました。同じ鍋で食べることも、少なからずありましたな」


「……それは、ヘレナが作ったものを、か?」


「はい。材料が支給されているときは、そちらの材料で作っておりました。支給されぬ森での戦いなどでは、隊の皆で協力して材料を集めて作っておりましたな」


 時々、失敗作にも当たりましたが、とグレーディアが苦笑する。

 ヘレナがゲリラ戦でも茸を取らないのは、何度も部隊の者たちに毒茸を食べさせてしまったからだ。死者こそ出なかったが、翌日に下痢に苦しんだ者だとか、突然笑いが止まらなくなる者だとか、少なくない被害が出てしまった。

 茸の出汁は美味しいため、本音を言えば入れたいのだが、茸の毒の有無は見分けにくいのである。

 ファルマスに鍋を振る舞う機会があるならば、絶対に茸を入れるわけにはいかない。それで皇帝の命を狙った、などと言われては最悪である。


「材料……をか?」


「はい。森の中には鹿や兎、猪などおります。さすがに猪はなかなか仕留められませんでしたが、鹿を追わせればヘレナは狩猟の腕も良かったですな」


「懐かしいですね、グレーディア様」


「ああ。ヘレナの鹿鍋は絶品であったな……腐らぬうちのレバーの塩焼きも美味かった」


「……」


「将軍が引退されてからも、いつも私が鍋を作らされていましたよ。あの頃は……将軍にも何度か毒茸を食べさせましたね」


「ははっ! あったあった! 鍋を食べた後から、痺れが止まらなくなったときには驚いたぞ!」


「…………」


「仕方なく翌日、ヴィクトルが指揮を取ることになってしまって随分緊張していました」


「そもそもの原因はヘレナ、お前だからな! はははっ!」


「………………」


 ヘレナにしてみれば、グレーディアと共に鍋を囲んだ日々は随分懐かしく思える。

 グレーディアが引退し、ヴィクトルが新たな『赤虎将』に任命されてからは、忙しい日々だった。ヴィクトルは「ヘレナが一番勝手を知っている」と言って別働隊を任せることが多かったのだ。リファールが突然攻め込んできたときの、「ガゼット・ガリバルディをなんとかしろ」という命令が分かりやすい例である。

 そんな風に、グレーディアと昔の話で盛り上がれば盛り上がるほど。

 相対的に、ファルマスが不機嫌になってゆくのが分かった。


「あ、あの……ファルマス様?」


「……俺も食べるぞ」


「へ?」


「今日はさすがに、民の血税から作らせた昼食を無駄にはできぬ。だが、次の機会には、材料だけ用意しておく。そなたの鍋を、俺も食べる」


「いえ……それは、構いませんが」


 別段、作ること自体は問題ない。ファルマスの舌を唸らせられるか、と言われると疑問ではあるが、不味いものを作るつもりはないのだ。

 今日だって、本当はサバイバルをするつもりだったし。

 だが、何故こんなにも不機嫌に、そう言ってくるのだろう。


「グレーディア」


「は、陛下」


「お前は次回から留守番だ」


「何故ですか」


「ヘレナの鍋は俺だけが食べる」


 それほど期待されると、さすがのヘレナも緊張してしまう。

 そもそも赤虎騎士団は、男ばかりの騎士団である。その中での食事であるために、せめて女が作るものが食べたい、と彼らが言い出したからこそヘレナばかり作っていたのだ。ヘレナの料理の腕が認められたから、というわけでは断じてない。

 と、そんな会話をしているうちに、街道がやや広がった空間に入っていた。


「おぉ……ここか」


「綺麗ですね」


 そこは、中央に馬車の通れるであろう道があり、その両側を色とりどりの花に囲まれた場所だった。

 恐らく、生い茂る木々がこの空間だけすっぽりと開いているために、日当たりが良いのだろう。ヘレナたちのみならず、数人、先に来ていた者も休憩しているのが分かる。

 ファルマスが、そこでシルバを止めて。


「よし、では休むとしよう」


「はい」


 それほど疲れているわけではないが、それはあくまで、ヘレナが一日中馬を駆り続けることのできる体力を持ち得るからだ。ファルマスに、それほどの体力はないだろう。

 休み休み行く、というのも新鮮なものだ。


「だが……先程から気になっていたのだが」


「はい?」


「そなた……その腰の袋は、なんだ?」


 それは、ヘレナの右腰につけている丈夫な麻袋。

 延々と、袋の中で動き回り、のたうち回っている。さすがに気付くな、と言う方がおかしな話だろう。

 別段隠すべきものでもないため、正直に言う。


「蛇です」


「………………何故だ?」


「食べるためですが」


 蛇を飼う趣味などない。蛇はあくまで食べるものだ。

 だが、そんなヘレナを見て、ファルマスは小さく頭を抱え。


「………………そうか」


 そう、諦めたように小さく呟いた。

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