第100話 思わぬ襲来

 ファルマスが出仕してゆくのを見送り、それと入れ替わるようにアレクシアがやってきた。

 今日は特にヘレナが悪いことをしているわけではないため、似合わない可愛らしい格好を見立てるのはやめてくれた。それに関しては、本気で助かった、と胸を撫で下ろした。


 そして相変わらずの冷めた朝餉を終え、軽くアレクシアと言葉を交わしてから、中庭へと向かう。

 そこには当然のように、フランソワ、クラリッサ、マリエルの三人。それに銀狼騎士団の者が数名、既に準備を終えていた。


「おはよう、諸君」


「おはようございます!」


 全員揃った挨拶と共に、今日の鍛錬も始まりを迎える。

 まずは三人に準備体操をさせ、それからアレクシアに言って用意させるのは、四本の棒だ。

 棒には全て、先端に衝撃を吸収させるための綿と布が巻いてある。勿論、全力で叩けばそれなりに痛いだろうけれど、骨に影響が出るものではないはずだ。


「では、今日の訓練は棒術を行う」


「ぼ、棒術、ですか……?」


 不思議そうにそう答えるのは、クラリッサ。

 少しだけ怯えているのは、やはり武器を使う、ということに忌避感があるからだろうか。


「衝撃は吸収するようにしている。体に当たっても、後に響く傷は残らないはずだ。さて……まずは手本を見せよう。ディアンナ!」


「はっ!」


 アレクシアから棒を二本受け取り、そのうち一本を、そこにいたディアンナへと渡す。

 どんな風に扱うのか、という基本的なことはこれから教える。だが、その前に、棒を用いてどのように戦うのか、という見本を見せる必要があるだろう。

 これで萎縮するならば、棒術を教えるのはやめておき、徒手格闘を専門にさせた方がいいかもしれない。


「まず、私とディアンナが、棒を用いて模擬戦を行う。諸君はまず、それを見ていてくれ」


「はいっ!」


「ではディアンナ、かかってこい」


 やや広めの空間を作り、棒を構え、ディアンナと相対する。

 ヘレナの専門は剣術というより、戦場での武器戦闘術全般だ。槍術や剣術も然り、極端な話では武器を失った後、盾を用いて戦うこともできる。それすら失えば、徒手格闘も可能だ。

 そして、全般的に武器を扱えるヘレナにとって、それは棒も変わりない。


「は、あっ!」


 ディアンナが、まず行ってくるのは棒の長さを利用した突き。

 鋭い一撃は、並の戦士ならば一突きで仕留めることすらできるだろう。

 だが、ヘレナはそんなディアンナの突きを、体を半身にして避ける。

 徒手格闘とは間合いが大きく異なる棒の戦いは、最初は慣れないものだ。だがディアンナの突きを、払いを、捌きつつ次第に勘を取り戻してくる。


 薙いでくる一撃を払い。

 突いてくる一撃を避け。

 払ってくる一撃を叩く。


 本来、ヘレナが戦場で使っていたのは斧槍だ。

 斬る、突く、払う、薙ぐ、打つ、という五種の動きができる斧槍は、扱うことさえできれば戦場で最も有用な武器なのだ。その代わりに先端に斧がついているために重く、取り回しが難しい。

 そして、斧槍から槍の穂先と斧を外せば、棒。


 それが――ヘレナの武力を、底上げしないはずがない。


「ふんっ!」


「ぐっ!」


 ディアンナの払う一撃を、あっさりと叩き落とす。

 そして同時に肉薄し、その棒の先端を、ディアンナの喉元へとあてた。

 これが槍でここが戦場ならば、死んでいる攻撃。

 そこで、ディアンナも動きを止めた。


「……まいりました、ヘレナ様」


「うむ。後半は動きが鈍っていたな」


「申し訳ありません。ヘレナ様の一撃に、手が痺れてしまいました」


「鍛錬が足りない。もっと鍛えることだ」


「ご忠言、しかと」


 一方的に攻められるのを防ぎ続け、しかし隙を見計らって肉薄し降参させる。

 このくらいのハンデを加えなければ、ヘレナとの模擬戦など誰にもできないのだ。


「以上だ。このように、棒を取り回して戦うことができるようになる」


「す、すごい……!」


「……お姉様、ハードルが高すぎますわ」


「すぐに私やディアンナの域まで至れ、とは言わない。だが、このように戦うこともできる、ということを示しただけだ」


 フランソワは興奮しているのか、鼻息が荒い。逆にマリエルの方は、最初からやや諦めかけだ。

 目指す先を少しでも見ることで、学ぶ一助になるかと思ったのだが。


「さて……では、動きを説明しよう。全員、棒を持て」


「はいっ!」


「棒は、最も手に入りやすい武器だ。だが、用いることで人を殺すこともできる凶器にもなる。それを知った上で扱うように」


 こほん、とヘレナは咳払いをして。

 そして、両手で槍を持ち、構える。

 両手で棒の中ほどを持ち、腰を落とし、先端を敵に向けた姿勢――基本的な構えである。


「まずは、このように全員構えろ」


「はいっ!」


「フランソワ、もう少し腰を落とせ。クラリッサは棒の先端が下がってしまっている。マリエルは……問題ないな。よし、全員構え終わったら、まず私を見るように」


 全員に構えをさせて、ひとまず説明に移る。

 説明をするよりは体で覚えた方が早いのかもしれないが、それでも少なからず理解する一助にはなるだろう。


「棒の基本的な動きは、突く、薙ぐ、払う、という三つだけだ。まずはーー突き」


 しゅんっ、と前に突き出し、戻す。

 動きがシンプルである分、最も速度が出るのが突きなのだ。


「そして、払い」


 棒を構えた状態から、上から下へ向けて払う。

 剣の斬り払いと同じく、防御に優れた動きだ。敵を倒すというよりは、間合いを制圧するために優れている。


「最後に、薙ぎ」


 そして棒を、左から右へ向けて薙ぐ。

 最も範囲を制圧できるのが薙ぎだ。前方の全域を制圧できる、という点で優れるのである。


「以上。まずは……体で覚えるべきだろう。前方への突きを百回、はじめ!」


「は、はいっ!」


「一!」


「はっ!」


 フランソワ、クラリッサ、マリエルが棒を前に突き出す。

 そして同じ姿勢のまま、構えに戻る。

 ヘレナからすれば蚊の止まるような速度だが、それも慣れというところだろう。

 フランソワなど、棒を少し突き出しただけだというのに、ふらついているのが分かる。


「まずは姿勢をきっちり整えるんだ。決して揺るぎない姿勢をまず作り、それから突きを行うように」


「はいっ!」


「では、二!」


「はっ!」


 同じく、突きを行わせる。

 今度はふらつく者はおらず、流れるように出来ていた。

 まずはこの調子で、百回行わせることにしよう。


「三!」


「はっ!」


「四!」


「はっ!」


 ヘレナの号令と共に、百まで突きを行う。

 普段は正拳突きだが、棒での突きということで慣れなかったためか、後半は全員に動きの切れがなかった。

 それもこれから、鍛錬で慣れていく他にあるまい。


「では、次……に入る前に、少し休憩としよう」


「は、はいっ……!」


「ふひぃ……」


「き、きついですわ……」


 思い思いに三人が座り、休憩をする。

 いきなり棒術というのも慣れないものだし、順番を間違えたかな、と少しだけ思った。

 普段と同じく正拳突きから始めさせ、基礎体力訓練を行って、最後におまけのような形で行わせるべきだっただろうか。


 まぁ、始めてしまった以上は仕方ない。今日は棒術の訓練だ。

 見た感じでは、マリエルは筋が良さそうだ。後半こそ動きは鈍っていたが、姿勢も最も整っていた。逆にクラリッサは、徒手のような切れが最後まで見られなかった。棒術に才はないのかもしれない。

 フランソワは……まぁ、努力である。努力は裏切らない。きっと。


「さて、では……」


 休憩終わり、と告げようとして。

 そこで、よく見る闖入者が、姿を現した。


「今日もやってるわね、ヘレナちゃん」


「おはようございます、ヘレナ様」


 皇太后ルクレツィアと、『銀狼将』ティファニー。

 この二人がやってくるのは、いつものことだ。朝にファルマスが、「アンジェリカを鍛錬に加えてやってほしいと頼みに来るかもしれない」と言っていたし、来るのではないか、と予想はしていた。


 だが。

 そこに、普段は見かけない影が、もう一人。


「……何故」


「やっほー」


 それは、随分前に見た気がするけれど、意外と最近会った者。

 だが、こんな風にルクレツィアと一緒に来ることなど、まずありえない人物。

 ヘレナよりも低い背丈に、均整のとれた体つき。

 鍛えているにも関わらず細さを保ち、速度に特化した女。


「色々話したいことはあるけど……まずは、こっちかしらね。姉さん」


「リリス……!」


 そう言いながら構える彼女こそ。

 レイルノート三姉妹の末娘にして、徒手格闘の達人。


 ガルランド王国第二王子の妻、リリス・アール・ガルランド。

 旧姓を、リリス・レイルノート――。

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