第99話 デートの約束

 いつも通り、ファルマスを起こして朝のお茶を楽しむ。

 昨夜は結局、悪戯な言葉こそ言ってくるもののそれ以上は特になく、ファルマスが酒を飲み始めて先に寝てしまった。ヘレナも勧められたが酒は断り、結果、ファルマスが寝台で寝息を立てている横で軽い鍛錬をしてから眠りについた。

 そして同じく、起きてからファルマスを起こさぬよう鍛錬し、起きる時間になったらお茶を提供する、といういつもの朝である。


「ふぅ……全く、この部屋にいると落ち着くな」


「そうなのですか?」


「ああ。宮廷のどこにいても、奸臣の目がある。下手な行動は出来ぬからな……比べてここは、誰の目もなく過ごすことができる」


「はぁ……」


 色々と苦労しているのだろう。そのあたりは、ヘレナには察することもできない。

 とはいえ、一周忌の式典や夜会で、ファルマスに向けられていた視線は、決して好意的なものばかりではなかった。中には嘲っていることを隠そうともしない者すらも大勢いたのだ。

 そんな中、ただ一人で戦い続けるファルマスは、どれほど心が強いのだろう。


「そうだ、ヘレナよ」


「はい?」


「今度、少し遠出をせぬか? そなたも後宮にいてばかりではつまらぬだろう。余と共にであれば、少々遠乗りをする程度ならば良い」


「まぁ!」


 それは、素直にありがたい話だった。

 そういえば、以前にアレクシアにも言われていたはずだ。陛下に遠乗りをお願いしてはどうか、と。

 すっかり忘れていたが、ヘレナとて後宮という閉鎖空間にばかりいたくはない。

 たまには外の空気を吸うのも、悪くないだろう。


「私はいつでも構いませんが、ファルマス様はお忙しいのでは?」


「このところは一周忌の式典におけるあれこれで忙しかったが、今は大分楽になった。そなたと一日過ごす程度の時間は作れよう」


「ありがとうございます」


「そなたは軍にいたから……馬は乗れるな?」


 ファルマスの言葉に、頷く。

 赤虎騎士団にはヘレナの愛馬がいたが、さすがに帝都まで連れて来い、と言うわけにはいかないだろう。だが、愛馬でなくとも、それなりに馬術は秀でているつもりだ。

 余程の荒馬でない限り、乗りこなすのは造作もない。


「では、余と共に遠乗りへ行こうではないか。もっとも、グレーディアは連れてゆくがな。さすがに、皇帝である余と正妃に限りなく近いそなたの二人だけで、宮廷から出ることはできぬ」


「承知いたしました」


「どこか行きたいところはあるか?」


 グレーディアが一緒に来る、というのは少し引っかかるが、護衛もなしに皇帝が外出することなど出来ないだろう。ヘレナが護衛を兼ねる、というのは可能だが、さすがに正妃扱いであるヘレナをそのように扱いはしまい。

 少なくとも、アレクシアに服を見立てさせるわけにはいかないな、と嘆息。


 しかし問題は、ファルマスの質問だ。

 行きたいところ、と言われても特にない。

 ヘレナが様々な地へ馬を駆って向かっていたのは、基本的に戦地や、治安維持のための盗賊の討伐などだ。観光を目的として向かったことはない。


「そう、ですね……」


「今の時期ならば、テオロック山の景観が見事だ。パタージュ大森林の麓を抜けて、五合目から見る帝都の姿は絶景と聞く」


「まぁ、そうなのですか」


 テオロック山は、帝都に最も近い巨峰だ。山頂には雪が積もっているほどに高く、毎年登山に訪れる者も多いと聞く。

 さすがに馬で登れるのは道が整備されている五合目くらいまでであり、以降は獣道が続いているのだとか。そのように厳しい環境であるため、そのあたりを逆に利用した盗賊の一味が、その山頂付近にアジトを構えている、という噂もある。

 一度、山頂付近のアジトとやらを探索に行ったことがあるが、真夏だというのに真冬の格好をしなければ耐えられないほどに、山頂付近は寒かった。


「テオロック山ならば、朝に出れば夕刻には帰って来られるだろう。それで構わないか?」


「はい。私はそれで構いません」


「では、それで予定を立てておこう。三日か四日ほど待ってくれ。仕事を調整しておく」


「私はいつでも構いませんので、仕事を優先してください」


「勿論、それは分かっておる」


 ヘレナの言葉に、そう肩をすくめるファルマス。

 とはいえ、ファルマスの仕事内容について詳しく知っているわけではないが、皇帝たる者が暇なわけがあるまい。むしろ後宮でも仕事をしているあたり、ワーカホリックな部分が少なからずあるのだろう。

 となれば、ヘレナと共に向かう遠乗りが、ファルマスの気分転換にもなるのかもしれない。


「そういえば……以前、『星天姫』に鍛錬を施している、という話をしていたな」


「はい」


「現在も行っているのか?」


「はい。本日も、午前はマリエル、フランソワ、クラリッサへの鍛錬の指導を行う予定です」


 別段約束をしているわけではないが、毎日ちゃんと来るのだから今日も来るだろう。

 マリエルは動きが大分鋭くなってきたように思える。まだ武器術――棒を使った訓練はあまりしていないが、最も才能がある、と思えるくらいだ。もう少し続ければ、銀狼騎士団の一般騎士くらいなら相手になるかもしれない。

 クラリッサもそれなりにやる気はあるものの、彼女は運動不足解消のため、と目的が割り切っているため、それほど無理はしないのだ。そのためか、成長はマリエルよりも少し遅い。

 フランソワは、やる気はあるのに何故か伸びないという謎の状態である。理想は高いし、目標もきっちり持てている。訓練にも真面目に取り組んでいる。なのに伸びない。フランソワについては、まずはきっちり体力作りを行わせるべきか、とさえ思っているのだ。


 そんな風に三人を鍛えるのが、最近楽しく思えてきているのだ。

 それから――昨日の午後に、何故か渡り廊下で見取り稽古をしていたシャルロッテは、今日の午後にもまた来るかもしれない。ヘレナに何も聞かないけれど、確実にこちらを見て、そして真似ていたのだ。

 昨日いきなり動いたから、今日は腕が上がらないかもしれない。だが、もし今日の午後にもまた来るならば、そのやる気は本物だろう。


「ふむ……しかし、『星天姫』は間違いなくそなたを敵視しているとばかり思っていたが……」


「私もそう思っていました。しかし、今のところ危険はなさそうに思えます」


「ならば良い。そなたがそう言うならば、『星天姫』も真面目に行っているのだろう」


「はい。現在のところ、裏があるようには感じません」


 マリエルの鍛錬に対する取り組みは、三人の中でも最も真面目、とさえ言っていい。そして何より、三人の中で最も才能があると思えるのだ。

 才能は努力を凌駕しない。だが、才ある者が努力をすれば、才なき者に比べても伸びが激しいのである。

 何故か『才人』でありながら全く才のないフランソワが可哀想に思えるけれど。


「母上がな」


「はい?」


「そなたに鍛錬をつけてもらった、と言っていたのだ」


「え、ええ……」


 恐らく、昨日の午前中だろうか。

 ティファニーが何故か絵を描き始めたために、ヘレナが代わりに鍛錬の指導を行った。しかし、あれはあくまでティファニーの代理として、である。

 だが、ファルマスは大きく嘆息した。


「母上が褒めていた。ヘレナの指導は分かりやすく、単純であるがゆえに無駄がない、と。まさに、軍での訓練そのものだ、とな」


「まぁ……そうですね」


 基本的には、新兵に対して行う訓練を想定して行っている。

 もっとも、新兵訓練のように罵声を浴びせ、尊厳を貶め、逆らえば殴る、などという理不尽な真似はしない。軍での新兵訓練の際には行っていたが、さすがにそれを令嬢へ向けて行うわけにはいかない、と考えた結果である。

 だからこそ、若干ながら物足りなさはあるのだが。


「それでな……母上が、少し無理を言うかもしれぬ」


「無理、でしょうか?」


「ああ。勿論、そなたに拒否権はある。嫌だと思うならば断って構わぬ。母上とて、そこまで無理は言わぬはずだ」


「……何をするのでしょうか?」


 なんだか不穏なことを言われている気がする。

 何か無理難題でも押し付けられるのだろうか。


「ああ……母上が、気にしていてな。このままでは、ガングレイヴ帝国の皇族の血を引く者の、恥になるのではないか、と」


「……?」


「だから、まぁ……」


 ファルマスは、言いにくそうに大きく嘆息し。

 そして、言った。


「アンジェリカを、その訓練に、参加させてやってほしい、とな……」


 それは。

 先日の夜会でヘレナへ平手打ちを放った、皇族の娘。


 鍛え甲斐のありそうな新兵に、思わずヘレナは笑みが浮かぶのが分かった。

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