第75話 予定外の戦い
「さて、条件を確認しておきましょう。残念ながら、話は全て聞かせていただきましたので、双方の認識に齟齬はないはずです。ヘレナ様、お覚悟を」
ひゅんっ、と棒を唸らせながら、そう近付いてくるティファニー。
そんなティファニーの左右に、それぞれ左手、右手に棒を持つディアンナとメリアナ。フランソワよりも小さく、童女のようにしか見えないティファニーの両翼に、ヘレナよりも長身の二人が控える、というのも随分奇妙な構図に見えた。
「条件その一、ヘレナ様は一切攻撃をしない」
ティファニーが指を一つ立てる。
「条件その二、ヘレナ様からの反撃は決して体に当てない」
メリアナが指を二つ立てる。
「条件その三、ヘレナ様の棒を落とすことができれば、出来ることならば何でもしてくれる」
ディアンナが指を三つ立てる。
「以上、相互の認識に齟齬はありませんね」
「私はフランソワ、クラリッサ、マリエルの三人に言ったつもりだが」
「我々もヘレナ様よりご指導を受けている身です。つまりへレナ様の弟子であることには変わりません。つまり、我々もこの千載一遇の機会を頂く権利があるはずでしょう」
ティファニーの言葉に、ヘレナはふむ、と顎に手をやる。
そもそも銀狼騎士団の面々で、ヘレナから指導を受けたことのない者は皆無と言っていい。フランソワたちのように毎日指導しているわけではないが、少なからず師として慕われている部分もあるだろう。
そして、彼女らがヘレナの弟子である、と主張するならば、それを否定するのは師として間違っている。
「ふむ……つまり、フランソワたちの代わりに、お前たちが私と模擬戦を行うということだな」
「はい」
「いいだろう。全員でかかってこい」
ヘレナはにやり、と口角を上げる。
状況は最悪だ。こちらから一切攻撃をすることはできず、反撃も体に当ててはいけない。少しでも状況判断を間違うだけで、条件を違反することになりかねないのだ。
しかも、相手は武力として下位に位置するとはいえ、八大将軍の一人である『銀狼将』ティファニー・リードと銀狼騎士団の幹部。
一人ずつならば相手にもならないが、これが三人同時となると、やはり戦いにくいというのが本音だ。
「では――征きます」
「来い」
それ以上、言葉は不要。
ティファニーたちが何を考えて、ここに臨んだのかは分からない。だが、この機会を彼女らは千載一遇の機会だ、とそう言ったのだ。
攻撃をせず、反撃も気を遣わねばならないヘレナは、三人がかりであるならば勝てるかもしれない相手である。
そのような勝利に栄光はないかもしれないが。
戦術としては、基本だ。
ティファニーを中心として、ヘレナから見て右手にディアンナ、左手にメリアナが構える。人間である限りは戦闘において、少なからず死角というのは存在するものだ。
だからこそ、ヘレナにとっての『領域』――心の眼で、限りなく死角を埋める。
「――」
音もなく、まずティファニーが動いた。それと共に、ディアンナ、メリアナの両名がヘレナの死角へと回り込む。
なるほど、上手い手だ、と僅かに感心。
三人は全員とも銀狼騎士団の幹部だが、その実力が最も高いのはやはりティファニーだ。八大将軍と補佐官では、それだけ武力に開きがある。
そしてティファニーとヘレナが相対している以上、ヘレナの注意は、極力ティファニーに向けていなければならない。そして注意力が散漫になれば、それだけ死角に対しての察知が遅くなるのだ。
だからこそ、ティファニーは囮。本命は、ディアンナ、メリアナの両名――。
「は、ぁっ!」
ヘレナは、まず突いてくるティファニーの棒を、横薙ぎに叩く。激しい衝突と共に、その棒から抜けてゆく力。
ティファニーが、激突の瞬間に力を抜いたのだろう。じっと持っていれば、それだけで腕に痺れを走らせる一撃である。
そして力の抜き方も絶妙で、棒を抜けたヘレナの力に逆らうことなく、そのまま逆さにティファニーの腕に戻る、という曲芸じみた動きさえ見せた。
だが、それ以上へレナは追わない。
今、最も警戒すべきは背後――。
「くぅっ!?」
「まだまだだな、ディアンナ」
ヘレナはディアンナの方へ僅かにすら目をやることなく。
しかし、ディアンナの膂力から発せられる鋭い突きの一撃を、紙一重で避けていた。
脇腹を掠める一撃は、それが腰を狙っていたものだということを如実に理解させる。同時にヘレナは、左手から大振りに襲いかかってくるメリアナの棒へと、思い切り棒を振りぬいて正面から激突させた。
僅かに痺れの走る左手から、瞬時に右手に持ち替える。
それと共に、今度は紙一重で避けたディアンナの棒へと思い切り振り落とし、棒の柄と柄が激しくぶつかり合う。ここまでの流れるような動きは、フランソワたちから見れば何をしているのか全く理解できないだろう。
「ぐっ!?」
「うあっ!」
ディアンナとメリアナの声音。
ヘレナですら、僅かに痺れが走る一撃だ。それをまともに両手で受けた二人は、それだけで手に痺れが走ったことだろう。
からん、と棒を落とす音が、二つ、響く。
そして、ヘレナは改めて棒を構えるティファニーと相対し。
その先端を、ティファニーへと向けた。
「さて、ティファニー」
「……」
「千載一遇の好機、と言っていたな。確かに私は言った。私からは一切攻撃をしない。そして反撃も決して体に当てない、と」
くっ、とティファニーが唇を噛む。
恐らくこのような状況は、ティファニーとしても想定外だったのだろう。
ティファニーを囮にして、ディアンナとメリアナを回り込ませ、死角から襲わせる作戦。恐らく、この立案自体はティファニーであるはずだ。
これがただの武人を相手にしただけならば、ティファニーの作戦は成功していただろう。本来、死角から襲いかかってくる敵というのは、それだけで脅威になるのだ。
だが――武器を持ったヘレナに、死角はない。
「さぁ、来い」
ティファニーを相手に、ヘレナは本気の構えを見せる。
右から薙いでくるならば、それに合わせて叩き落とす。
左から払ってくるならば、それに合わせて打ち付ける。
直線に突いてくるならば、それに合わせて払い捌く。
距離を詰めてくるならば、それに合わせて手元を薙ぐ。
あらゆるティファニーの行動、その動きを予測し、それに対応する動き全てが行えるように準備を行う。
これこそが――へレナの、『領域』。
「く……」
ヘレナから攻撃はしない。元よりそういう条件だ。
だからこそ、全ての攻撃の根幹を断ち切る。あらゆる動きに対応する。
「ディアンナ、メリアナ」
「うっ……」
「は、はい……」
「まだ戦意があるならば、武器を取れ。そうでないならば、座っていろ」
棒を落としたまま、項垂れる二人へと、そう告げる。
何度でも挑んでもらって構わない。その都度、ヘレナは対応してみせる。
だが。
「……参りました、ヘレナ様」
「そうか」
至極あっさりと、ティファニーはそう敗北を認めた。
心眼と『領域』をもってしての、戦わずして勝つ最上。そして、ティファニーが敗北を認めたことで、ようやくディアンナ、メリアナも諦めたらしい。
予想外の戦いだったが、無事に終わってくれた、と安堵する。
「す、すごいです、ヘレナ様……! わたしが目指すべき道は! これほどまでに高みなのですね!」
「……へレナ様、どんどんフランのハードルを上げないでください」
「お姉様、素敵……!」
観客に徹していた三人が、それぞれにそう感想を述べていた。
元々は三人と行う予定だったのだが、さすがに銀狼騎士団の幹部三人を相手に完封したヘレナに、向かってこいとは言えないだろう。今日の訓練は、残りは基礎体力の向上でいいか、と予定を変える。
しかし、そんなヘレナを相手に項垂れながら。
「くっ……! 私の――いや、会員の悲願である、ヘレナ様の猫耳姿が……!」
「私たちがもっと強ければ、ヘレナ様の猫耳をっ……!」
「我々が不甲斐ないせいで、猫耳を逃すとは……!」
「……」
こいつらは何をさせるつもりだったのか。
真剣に、この悪辣なファンクラブを強制解散させるべきか悩むヘレナだった。
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