第28話 中庭の戦い 後編

『陽天姫』ヘレナ・レイルノート。

『月天姫』シャルロッテ・エインズワース。

『星天姫』マリエル・リヴィエール。

 ここに、まさに今後宮の頂点に立つ、『三天姫』が全て揃っている。シャルロッテとマリエルは、その背に取り巻きの側室を十人以上連れながら。

 孤軍奮闘は、ヘレナだけだ。


「これはこれは、『星天姫』様」


 まず、口火を切ったのはシャルロッテ。

 口調こそ丁寧だが、その眼差しには憎々しい感情が篭っている。恐らく、シャルロッテ自身はマリエルを侮っている部分が多くあるのだろう。

 シャルロッテは伯爵令嬢であり、マリエルは男爵令嬢。その身分の差がありながらにして同格である、ということに対する苛立ちか。


「何をなさりに参りましたの? わたくし、『陽天姫』様とお話をしていたのですけれども」


「まぁ。同じ側室の一人として、あたくしもお二人の歓談に参加させていただければ、と思っただけですわ。まさか『月天姫』様。あたくしのことをご迷惑だと仰られるの?」


「とんでもない。ただ、随分とお顔の皮が厚いもの、と感心していただけですの。同じ三天姫とはいえ、まさか己をわたくし達と同じだと考えていらっしゃるなんて」


「あら? あたくしの立場は陛下より頂いたものですわ。そこに異があると仰られるなんて、もしや先に『陽天姫』様が仰られていたように、謀反のお考えでもあるのでしょうか? そうであるならば、『月天姫』様の後ろ盾でもございますノルドルンド侯爵にも、その嫌疑がかかるでしょうね」


 ヘレナを間に置いて、睨みあうシャルロッテとマリエル。

 よくこれほど、丁寧な口調でありながらにして罵詈雑言が言えるものだ。語彙に関しては、圧倒的にヘレナの敗北である。


「まさか、わたくしにそのような考えがあるとでもお思いになられているのですか? 『星天姫』様はどうやら、見目のみならず頭も悪いご様子。同じ正妃扱いたる三天姫として敬意を表するべきかと思っていましたけど、認識を改めるべきですの」


「いえいえ、見目と出自しか取り得のない方だと思っていましたから、そのような大望を抱いているなどとは存じ上げませんでしたわ。もしや己にそのような嫌疑がかからぬよう、敢えて道化を演じていた、とでも仰られるのでしたらこれまでの奇行も納得がいくというものですわ」


「……随分な仰りようですの、『星天姫』様。どうやら、立場をまだお分かりになっていない様子ですのね」


「何を仰られますか、『月天姫』様。あら、そちらのドレス、素敵ですわね。可愛らしい装いですし、よくお似合いですわよ」


 うふふふふふふふふ。

 二人揃ってそう笑いながら、しかし目は全く笑っていない。

 女同士の厭味の言い合いの、なんと恐ろしいこと。戦場よりも恐ろしいものを見て、ヘレナは既に萎縮していた。

 二人の会話に、何の言葉も挟みこめない。


「素晴らしいドレスでしょう? 出入りの仕立て屋が仕上げたものですの。もっとも、ドレスなんて着る者の魅力を少し引き上げる程度でよろしいのです。『星天姫』様のようにドレスに着られているようでは、主役がドレスになってしまいますの」


「おやおや、これは異なことを仰いますね。いや、素晴らしいドレスですわ。当家の商会が卸しております布地を、ご贔屓いただきありがとうございますわ」


 む、とそこで、シャルロッテの眉根が寄せられる。

 マリエルの家、リヴィエール家は大商会アン・マロウの経営者だ。少なからず、布地やドレスなどの物も扱っているのだろう。


「その布地、素晴らしいでしょう? それほどお高くはないのですが、高級品に見える、と評判ですわよ」


「――っ!」


「もっとも、やはり本物の高級品と比べますと粗はありますわ。ですけど、あまり裕福でない伯爵家が遠目で見目を飾るだけなら、十分な品だと思いますわよ」


 立場は同じ。

 地位はシャルロッテの方が上。

 しかし、その財力はマリエルの方が圧倒的に上。


 帰ってもいいかな、とヘレナはなんとなく思ってきた。出番なさそうだ。


「くっ――! そ、そうでしたの。仕立て屋は、そんなことを一言も言っていなかったから、知りませんでしたの」


「あらあら、では、財力に見合ったものを、と仕立て屋が気を利かせてくれたのでしょうね。よくお似合いですわよ」


「ぐぐっ……」


 シャルロッテが、唇を噛む。

 それは財力という、実家の持ちえる力だ。ヘレナはエインズワース伯爵家がどのような存在なのか全く分からないけれど、マリエルの言によれば、あまり裕福ではないらしい。

 確かにガングレイヴ帝国全体でも、伯爵以上の貴族は少ない。だが、その全てが潤沢な領地を持つ、というわけではないのだ。


「ふん……下級貴族の遠吠え、とでも聞いておきますの」


「あらあら、出自くらいしか誇れるものがないというのは大変ですわね」


「あなたとお話をすることは、時間の浪費にしか感じられませんの。わたくし、これからお友達とこちらでお茶会をしますの。帰っていただきたいのです」


「それは偶然ですね。あたくしも、こちらでお友達とお茶会をしようと思いますの。よろしければ、ご一緒いたしませんか? ああ、勿論、お茶は東のコルガンダより仕入れたお茶を用意しておりますわ。お茶菓子には、皇室御用達の菓子店から仕入れております。あたくしとお友達の分しか用意しておりませんので、そちらはそちらでご用意されたものをと思いますけれど」


 うふふ、とそこで、マリエルは目を細める。

 圧倒的な財力を、示すように。


「まさかとは思いますけど……アルマローズの貿易港から仕入れたような粗悪品を持ってきてはおりませんわよね? あそこの品は質も悪く、大したものでもございませんし……まぁ、お安いことだけは知っていますけど」


「ぐっ……!」


「まさかご高名な伯爵令嬢たる『月天姫』様が、そのような粗悪品をお飲みになられているわけがありませんわよね。よろしければ、茶葉を拝見したいのですが」


 そう、マリエルが一歩踏み出す。

 それと共に、シャルロッテが一歩退く。

 確か、アルマローズの貿易港から仕入れたお茶だと、ヘレナが最初に部屋を訪れた際に振舞ってくれたはずだ。ヘレナはそのあたり詳しくないけれど、まさか粗悪品だとは知らなかった。

 いや――マリエルからすれば、本当に高級な茶以外の全ては粗悪品なのかもしれない。


「ふん! 皆さん、わたくし、気分が悪くなってまいりましたの。今日のお茶会は中止にしますの」


「あら、でしたらこの中庭は、あたくし達で使わせていただいてよろしいのです? 『月天姫』様」


「勝手になさい。わたくしは帰りますわ」


 そう、完全に言い訳だというのにどこまでも傲慢に、シャルロッテが背を向ける。

 この場での舌戦は、マリエルの完勝か。

 にこにこと目が笑っていない笑顔でシャルロッテが去ってゆく姿を、マリエルは見送り。


「失礼しましたわ、『陽天姫』様」


「とんでもない、『星天姫』様。いや……すごいですね」


「何かございました? あたくし、いつも通りですわ」


 純粋にヘレナが凄いと感じてしまったのは、厭味の言い合いなのだが。

 さすがに、それを堂々と言うわけにはいかない。


「どうやら『陽天姫』様は、こちらの中庭で鍛錬をされているご様子。あたくし、邪魔はいたしませんわ。さ、皆様、『芍薬の間』でお茶会をいたしましょう。よろしければ、『陽天姫』様もご一緒にいかがですか?」


「い、いや……私は、鍛錬がありますゆえ」


「それは残念ですわ。では、また機会がありましたら」


 うふふ、と笑いながら去ってゆくマリエル。

 まるで最初から、中庭でお茶会をするつもりなど、なかったみたいに。


 そんな背中を、ヘレナは呆然と見つめながら。


「……何だったんだ?」


 そう、マリエルの真意が読めず、呟いた。

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