第1話 戦後
「よくやってくれたな、ヘレナ」
「大したことはありませんよ、ヴィクトル」
敵将ガリバルディの首を取り、総崩れになった敵軍はそのままリファールへと撤退していった。指揮官を失った軍とは脆く、そして下がった士気はそのまま戦力の低下に繋がる。
禁軍の弱兵でも、そんな軍の追撃をするのは簡単だった。
そして本陣に戻ってきたヘレナを労ったのは、ヘレナより少しだけ年上の男。
燃えるような真紅の髪と、その下にある端正な顔立ちが印象的な男性だ。長身であるヘレナよりもさらに高い背丈と、その背丈に見合った鍛え上げた体は、まさに軍人のそれだ。しかし微笑を浮かべるその姿は優しそう、という印象を抱かせるだろう。
そんな彼こそが、生ける伝説――八大将軍が一人、『赤虎将』ヴィクトル・クリークである。
「やっぱ、ガゼット・ガリバルディ自身が率いていやがったか。リファールでは、後進の育成を怠けているらしいな」
「『暴風』と呼ばれていたらしいですが、老いには勝てなかったようですね。あれなら、『青熊将』や『金犀将』の方が随分と強いです」
「……比較対象が間違ってんぞ。あいつらは化け物だ」
そんなヘレナの言葉に、ヴィクトルは肩をすくめる。
確かにガリバルディは強かったけれど、ヘレナからすればもっと強い者を何人も知っている。少なくとも八大将軍で、ヘレナが勝つことができるのは半数だろう。最も近いこの『赤虎将』ヴィクトルには、十戦して十敗する未来しか見えない。
「だが、本当によくやってくれた。ガリバルディに対してヘレナが勝つことができるか、という点だけは賭けだったからな」
「大したことはありません。むしろ、弱卒を率いて倍以上の軍勢と五分に戦ったヴィクトルこそが、称えられるべきでしょう」
「そうか? お前が言うなら喜んで受けよう」
ヘレナの、ともすれば堅すぎるともとれる言葉に、しかしヴィクトルは微笑を返す。
既に、ヘレナとヴィクトルの付き合いは十年を超える。ヘレナが成人してすぐに軍へと入り、そのときに配属された小隊の隊長がヴィクトルだったのだ。それ以来共に昇進をし続け、気付けば立場は八大将軍の一人とその副官、という立場まで上り詰めた。
そして常に、ヴィクトルはヘレナを自分の側近としていた。だからこそ、気心の知れた仲であり、将軍であるヴィクトルを名前で呼ぶことに何の問題もない立場である。
噂では、ヴィクトルがヘレナを手放したくないから、最近空席となった八大将軍『紫蛇将』に就任できなかった、という何の根拠もない話が広まっていたりする。
「ひとまず、陛下に報告しねぇとな。まさか帝都に最も近いリファールが反旗を翻すとは思わなかったはずだ。これから、忙しくなるぞ」
「ようやく任地に戻れるのですね。少数とはいえ、禁軍の弱卒を率いたものですから……もう赤虎騎士団を率いるのが待ち遠しいです」
「それは俺も同じだ。ひとまず、バルトロメイに預けているうちの軍へ戻ろう。どうやらアルメダ皇国の動きがきな臭いらしい。バルトロメイ一人だけに任せるのも申し訳がねぇからな」
「かの『青熊将』ならば、お一人で敵将の首を挙げそうですけどね」
「まぁな」
ヘレナの皮肉に、ヴィクトルはくくっ、と可笑しそうに声を上げた。
しかし、その眼差しは鋭く、全く笑っていない。
「前帝の権威がどれほど凄まじかったか、よく分かるな」
「……ヴィクトル」
「崩御されてすぐに、アルメダと三国連合が動いた。加えてリファールまで動き始めたんだ。他の国も黙ってはいないだろう。未だ戦況は膠着しているが……もしどこかの戦況が敗北に傾いたら、それこそ雪崩のように押し寄せてくるだろう。そんな状況で、あの坊ちゃん陛下がまともな判断を下してくれるものかね」
「ヴィクトル」
「下手をすれば、八大将軍の空席に名前だけの貴族が座るだろうな。あの坊ちゃん陛下は、自分に甘い言葉をくれる奴しか重用しねぇ。諫言は退け、耳に優しい言葉だけ受け入れる。帝国も長くは続かねぇかも……」
「ヴィクトル!」
吐き捨てるようなヴィクトルの言葉にかぶせるように、強く叫ぶ。
それから、バツが悪そうにヴィクトルが頬を掻いた。
「どこに耳があるか分かりません。不用意な発言は慎んでください」
「……まぁ、確かに不敬と言われても仕方ないことを言ったかもしれないが」
「ヴィクトルが不敬罪で拘留されては、ベルガルザード将軍が困ります。南を押さえているのは『赤虎』と『青熊』だけなのですから」
「それがおかしいんだよな……大体、八大将軍が北に六人で南に二人ってのはどういうことなんだよ」
「アルメダ皇国を一つの国、三国連合を三つの国、と考えれば計算は合うかと」
「三国足してもアルメダに及ばねぇぞ、あそこは」
はぁ、と大きくヴィクトルが嘆息する。
そして、これからの行軍に使うのであろう地図を、乱暴に開いて、指で示した。
「ひとまず、陛下への定時報告を済ませる。それから南の前線に戻ろう。ある意味休暇の代わりだからな……出立は一週間後だ。お前んとこの近衛にも伝えておけ」
「承知しました。では、久々に実家に戻りますので、御用がありましたら家までお越しください」
「ああ……そういえばそうだったな」
ヘレナは、ガングレイヴ帝国における貴族の一員である。
とはいえ、長女であるヘレナに、その弊害は特にない。成人して早々に軍へと入ったために、政略結婚に巻き込まれることもなかった。そもそもレイルノート家当主自体、宮中侯という特殊な立場であり、宰相にして人務大臣の地位にいる。
人務大臣ということで全ての家に平等に接さねばならないため、政略結婚をする必要がないのだ。
だからこそ、ヘレナが軍に入ることも、さほど反対されなかったのだ。
だが。
「ええ。最近、何故か頻繁に手紙で、帰ってこいと何度も言われておりまして」
「まぁ、里帰りついでについて来させたようなものだからな。本当なら、俺だけ行ってお前には現地での指揮を頼みたかったんだが」
「それについては申し訳ないと思っております」
そう、レイルノート侯爵家当主、アントン・レイルノート宮中侯――へレナの父から、何度も帰ってこい、と手紙が寄せられているのだ。
具体的な内容は書かれていないけれど、何らかの厄介ごとが起きているのかもしれない。だからこそ、ヴィクトルが帝都へ報告に向かう、ということで同行し、帝都での休暇を貰ったのだ。
リファールが攻めてきたときにヘレナも一緒だった偶然はそういった経緯だったが、何が起こるか分からないものだ。
「別に構わんさ。さっさと用事は済ませて、ゆっくり休め」
「はい。では失礼します」
ヘレナは頭を下げ、本陣――簡易なテントから出てゆく。
これからまずは帝都に戻り、それから禁軍を通常業務に戻らせ、簡単な報告書を用意すれば終わりだ。ついでに、ヘレナが騎士団から連れてきた十名の近衛にも、休ませる場所を用意しなければならないだろう。ヘレナのように、実家が帝都にある、という人間の方が珍しいのだ。
んっ、と軽く伸びをして、そして気を引き締める。
既に戦いは終わったとはいえ、ここは未だ戦場なのだから。
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