武姫の後宮物語

筧千里

武姫の後宮物語

プロローグ

 乱戦の中を、ひた走る一騎の将がいた。

 敵味方が混在する戦場において、馬上で長柄の斧槍を振り回す。それは的確に近づいてくる敵兵の首をかき斬り、時にはその膂力で鎧ごと斬り伏せる。怒号と断末魔で耳を塞がれ、血煙と屍で目を塞がれたその戦場において、しかし将は無双の権化とばかりに一騎で駆け抜けていた。


「うぉぉぉぉぉぉぉ!」


 雄叫びを上げながら、徐々に本陣へと近づいてゆく。その背には、まさに将に続け、と言わんばかりに士気の高まった民兵が続いていた。

 ナイフでチーズを裂くかのように、密集陣形を保っていた敵軍が崩れてゆく。

 まさにそれは矢の如く疾駆し、そして一際目立つ鎧に身を包んだ大柄な男の前に立った。

 ふぅっ、と鉄兜の下で、耽美な唇から小さく息が漏れる。


「……敵将とお見受けする」


「いかにも」


 くくっ、と敵の将軍であろう男が笑う。

 奇襲は完全な成功を収めた。ここより遠く離れた場所で、数え切れない怒号がぶつかり合っている。それは上官である『赤虎将』の指示のもとで行った陽動であり、敵陣へ届くための道筋を作るための策だ。


 敵軍の数は、自軍の倍に近い。


 正攻法では勝利を収めることは難しいだろう。だからこそ、『赤虎将』は己の部隊を陽動のために動かし、信頼できる部下に敵本陣への奇襲を任せたのだ。

 信頼には、応えなければならない。


「これは、儂もしてやられたものよな」


「首、貰い受ける」


「そう簡単に、この首が取れると思うな。儂はリファール王国随一の将、ガゼット・ガリバルディである! この首が落ちるまで、我が軍の負けはない!」


 男――ガリバルディが、その体躯に見合った巨大な薙刀を構える。

 それは成人の男二人掛かりでようやく運べるほどの巨大さであり、力自慢ですら持ちあげることがやっとだろう。それを、既に壮年とさえ言っていいガリバルディが構えているということに、素直な尊敬を感じた。

 だが、敵として出会った以上、そこに情はない。


「名乗れ、ガングレイヴの将よ」


「第一師団所属、赤虎騎士団――副長、ヘレナ・レイルノート」


「……貴様、女か」


 鉄兜の下から現れたのは、返り血に塗れた美女だった。

 肩ほどで揃えた金色の髪が、鉄兜の後ろから僅かにはみ出している。鼻筋まで覆った兜の隙間から見えるのは、やや吊り上がった双眸。形の良い唇と、鈴が鳴るような声音――それは、鉄兜という無骨な装飾をもってしても、美しいと呼べるだろう。

 馬を駆り、民兵を率いる姿は、かつて伝説にも残った救国の聖女すらを彷彿とさせる。

 だが、そんな将――ヘレナの名乗りを、ガリバルディはしかし鼻で笑った。


「ガングレイヴ帝国も、随分と落ちたものよ。こんな女に軍を与えるなどとはな」


「これ以上、言葉はいらないだろう」


「ふん。儂と戦いたいと言うならば、せめてガングレイヴの誇る八大将軍の一人となってからにせよ。たかが副長、しかも女の首など、持ち帰った儂が馬鹿にされるわ」


「ならば抵抗はしなくていい。その枯れ首、貰い受ける」


 ヘレナはガリバルディを睨みつけ、そして長柄の斧槍の先端を向ける。

 返り血に染まり、脂に塗れたそれは、しかしガリバルディの食指を動かすには十分だったらしい。


「ほう……娘、儂を知らぬか」


「たかがリファールごとき小国に属する年寄りなど知らんな」


「……あまり回りすぎる口は、死期を早めるぞ、小娘」


「年寄りの枯れ首など価値もないが、冥土に片足を突っ込んだ糞爺の介錯くらいはしてやろう」


「ほざけ、小娘が!」


 ガリバルディの叫びと共に、巨大な薙刀が振るわれる。それは恐らく、まともに受ければ斧槍と馬の首ごとへレナを切り裂くであろう一撃。

 しかし、ここまで来て逃げる、という選択はできない。最前線においては、倍以上である敵軍に対して兵が奮戦しているのだ。ここでヘレナがガリバルディの首を取ることができなければ、そのまま軍は総崩れになるだろう。

 だからこそ、ヘレナにガリバルディの首を取ることが命じられたのだ。


 暴風のごとき薙刀の一撃を、ヘレナは斧槍をもっていなす。

 まともに受ければ槍が砕けるそれを、ヘレナは細やかな動きで受け流した。力の方向と刃の向き、そして攻撃についた勢いを利用して、ガリバルディから手応えをなくす。

 ガリバルディの扱う巨大な薙刀、そして巨躯からなる膂力は、まさに剛の極み。

 そしてヘレナは、そんな一撃一撃をまるで流れる水のように受け流す。その姿は、未だ若き女性の身にして柔の極みと言えるだろう。

 本陣の兵士、そしてヘレナに従う民兵――その全てが、舞いのように繰り広げられる剣戟を見つめる。


「くっ……!」


「はぁっ!」


 しかし、元よりヘレナの膂力で、ガリバルディを抑えきることは不可能に近い。

 そもそも、リファール王国との戦が起こること自体、ガングレイヴ帝国からすれば予想外の出来事だったのだ。ガングレイヴ帝国は大国であるがゆえに敵が多く、南のアルメダ皇国、北の三国連合との二正面作戦を余儀なくされ、ほとんどの戦力が南北の最前線に寄せられている。

 そんな中で、東に位置するリファール王国からの突然の襲撃。恐らくアルメダ皇国か三国連合、いずれかと繋がっているのだろう。まさにガングレイヴ帝国にすれば、最悪のタイミングで来られたと言っていい。

 そんなリファールの軍に対して出すことのできたガングレイヴの戦力は、僅かに八千。帝都に常駐している禁軍のみだ。禁軍というのも名ばかりのもので、帝都に常駐しているという性質上、彼らに実戦経験はほとんどない。更に禁軍の指揮官も現役を去って長い老将軍だ。

 誰もが、ガングレイヴの帝都が落ちる――そう感じていた。気の早い貴族の中には、他国に亡命しようとした者もいるとか。


 そんな中で、八大将軍の一人である『赤虎将』、そしてその副官であるヘレナが偶然にも帝都にいたというのは、まさに奇跡に近い。


 ヘレナは『赤虎将』の右腕とされる将だ。現在は八大将軍の席が埋まっているが、一つでも空けばそこにヘレナが座るのは間違いない、とさえ言われている。

 ゆえに。


「死ね小娘ぇっ!」


 こんな場所で、死ぬわけにはいかない。


 ガリバルディの上段からの斬り下ろし。上からの攻撃は、下が地面である以上受け流しようがない。

 そこで、ヘレナは斧槍で正面から受け止め、そのまま手を離す。


「なっ!?」


 入れすぎた力は、突如抜かれた力に翻弄され、ガリバルディの体勢を崩れた。そして薙刀が巨大であるがゆえに、その体勢を直すのに一瞬の隙が生じる。

 そして、そのような隙を見逃すヘレナではない。


「はぁぁっ!」


 斧槍を捨て、武器のない右手。それが、腰に差した剣を抜く。足だけで馬に命令を伝え、そのままガリバルディに肉薄し。

 力のままに、ガリバルディの首を刈る。

 リファールにその人あり、と称えられた名将の、呆気ない最期――。


 そしてヘレナは馬を降り、ガリバルディの首を抱え。


「者共! 勝ち鬨を上げよ!」


 戦いの終わりと、自軍の勝利を宣言した。

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