第128話

   ◆



 海から帰ってきて3日。

 今日も今日とて、つつがなく梨蘭の作ってくれたスケジュール表を基に夏休みの宿題を消化して——。



「ぐむむむむ……!」

「むぅーーー……!」



 ──いなかった。


 自室の勉強机の背後にて。

 腕を組んで目尻を上げているのは、俺と『運命の赤い糸』で繋がっている運命の人で彼女、梨蘭。

 対して、拳を握りしめて胸の前で小さくファイティングポーズを作るも、及び腰になっている俺の後輩、乃亜。


 なぜか2人とも、俺の部屋でバチバチに言い争っていた。

 ……いや、なぜかってのは語弊がある。

 理由は明確だ。



「暁斗は私と夏祭りに行くの!」

「センパイは毎年私と琴乃と一緒に夏祭りに行ってるんですー! 恒例行事なんですー!」

「「ぐぬぬぬぬ……!」」



 とまあ、こんな感じだ。


 明日、港の方の公園で大きな花火大会が開催される。

 乃亜の言う通り、いつもは琴乃と乃亜のお守を兼ねて一緒に行ってたんだが……今年は事情が事情だ。


 今年は俺も彼女がいる。

 しかも赤い糸で結ばれた、最愛の彼女だ。


 だから正直、今回は自重してほしいが……。



「暁斗! 暁斗はどうなのよ!」

「私と行きますよね、センパイ! 去年約束しましたよね、私達と行くって! センパイ、嘘つかないですもんね!」



 これ、これだ。


 純粋な目で「嘘つかないですよね」なんて言われた日には、どうも否定しづらい。

 しかも相手は乃亜だ。大切な後輩だ。

 でも乃亜には悪いけど、梨蘭はもっと大切で……。


 うぐぅ、どうすれば……。



「乃亜ちゃん! そういう言い方ってずるいと思う! それじゃあ暁斗が断れないじゃない!」

「だからこういう言い方をしたんです! 暁斗センパイは優しいですから!」

「暁斗が優しいなんて百も承知よ! 乃亜ちゃんより私の方がいーーーーーーっぱい知ってるもん!」

「梨蘭先輩より私の方が知ってますー! 暁斗センパイの優しさは聖人君子並みですー!」

「「ぬぬぬぬぬぬぬッ……!」」



 やめて、私の為に争わないで!

 ……リアルにこれを言う日が来るとは思わなかった。


 あと2人とも、そんな俺が優しいのを知ってる自慢はやめて。恥ずかしいから。羞恥でいろんなところが痒くなるから。


 ワーワーギャーギャー。ついぞ始まった、いかに俺が優しいか自慢大会。

 何この生き地獄。


 そんな2人を見ている俺。

 そして乃亜の付き添いで来ていた琴乃だ。



「いやぁ、お兄愛されてるねぇ~。こんな美少女に好かれてるなんて」

「悪い気はしないけど、気が休まらない……」

「贅沢な悩みだね」



 わかってんなら乃亜を止めてくれよ。

 未だに言い合っている2人を、琴乃はニヤニヤ笑って見ている。

 というか、俺も夏休みの宿題をしなきゃいけないから、そろそろ出て行ってほしいんだけど……。



「って、そうだ。乃亜と琴乃って今年受験だよな。夏祭りに行ってていいのか?」

「そ、そうよ! 受験生は受験生らしく、受験勉強してなさい!」



 俺の言葉に、梨蘭も嬉しそな顔で乗っかって来た。

 が。乃亜は口を『ωこんな風』にして。



「にゅふふ。そう言われると思いまして! じゃじゃーん! 銀杏高校ギン高の模試の結果でーす!」



 ばばーん! と出してきた模試の結果表。

 なんと、銀杏高校がBランク。しかもあと20点取ればAランクに乗るほどだ。



「すごいじゃないか! まさか、あの乃亜がここまで頑張るとはなぁ」

「暁斗センパイと一緒の高校に行きたくて、がんばりました!」

「理由はともかく、がんばって来たのは偉いぞ。この調子でしっかりな」

「はいっ!」



 褒められたことが嬉しいのか、大輪の花を咲かせたように笑顔になった。


 本当、こうして見ると梨蘭や璃音、琴乃に負けず劣らずの超美少女だ。

 こんな子が俺のことをまだ好きでいてくれるって嬉しいけど……ちょっと罪悪感。



「というわけで、ご褒美として一緒に夏祭り行きたいです!」

「まだ諦めてなかったか……」

「当たり前です! このために頑張ったんですから!」



 人間の原動力は欲望と聞いたことがあるけど、こんなに顕著なのは初めて見た。


 目をキラキラさせてすがるように、媚びるように上目遣いで見てくる。

 こんな小動物みたいな目、ずるいだろっ。



「ぐ、ぬぅ……た、タイム!」



 梨蘭の手を取り、自室から廊下に出る。



「梨蘭、どうしよう……あんなキラキラした目で見られたら、俺断るに断れないんだけど……!」

「暁斗……」



 そんな可哀想なものを見るような目で見ないで……!



「まあ、暁斗は本当に優しいから。乃亜ちゃんのお願いを蔑ろにできない気持ちもわかるわ」

「しゅみましぇん……」

「謝らなくていいわよ。そんな暁斗を、私は好きになったんだから」



 梨蘭、優しい……梨蘭こそ本当の聖人君子だ。

 だって俺、一歩間違えたら優柔不断で彼女と後輩女子の間で振り回されてるクズ野郎だよ。

 そんな俺を優しいって言ってくれる梨蘭、好き。



「……はぁ。いいわよ」

「え?」

「琴乃ちゃんと乃亜ちゃんを連れて行っても。受験前最後の思い出になるだろうし」

「い、いいのか……?」

「ええ。私はこの先、死ぬまであなたと一緒にいるけど……琴乃ちゃんも、乃亜ちゃんも、来年には自分の運命の人が現れる。なら、今好きな人と一緒に思い出を作りたいって思うのは自然なことじゃないかしら」



 訂正。全然聖人君子じゃない。

 これは、女神だ。慈愛の女神が目の前にいらっしゃる。



「……俺、梨蘭と赤い糸で結ばれてて幸せだわ」

「な、何よ。おだてても何も出ないわよ。でも……そうね。あとでご褒美くらいは欲しいかしら」

「ご褒美?」

「それはあとの、お楽しみよ」



 頬に軽くキスをし、梨蘭は俺の部屋に戻っていった。

 何要求されるの、俺……。

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