第129話

「少年、お前だいぶクズいナ」

「知ってます。知ってるからそんなゲスを見るような目で見ないでください」



 その日の夜、いつものように実相寺道場でトレーニングしていると、リーザさんに白い目で睨まれた。


 って、待て待て。反射的に答えたけど、なんでこの人昼間のこと知ってんの? 誰にも話してないけど。



「それは私が教えたからよ」

「え?」



 声を掛けられた方を見ると、動きやすく、ぴったりめのトレーニングウェアを着ている璃音がいた。


 髪をポニーテールにまとめ。

 肩には汗を拭くタオルがかけられ。

 手には水分補給のためのボトルが握られている。



「……なんで璃音がここに?」



 そんな純粋な疑問を聞くと、頬を染めてばつが悪そうに目を逸らされた。

 リーザさんからも、じとーっとした目で睨まれた。


 な、なんだ? 俺、何か変なこと聞いたか?



「少年、女性がいきなり鍛えるのなんテ、理由はひとつだろウ。それをわざわざ聞くなんて野暮だゾ」

「……ダイエット?」

「言葉にするナ!」



 どうやら正解だったらしい。

 海で璃音の水着姿を見たけど、全然太ってなかったけどな。

 むしろスラっとしていたし、どこに見せても恥ずかしくない体付きだと思ったが。


 なんて思っていると、璃音がリーザさんの腹筋をチラ見したのを見逃さなかった。


 ははん、そういうことか。

 つまり璃音は、リーザさんの体に憧れているわけか。


 確かにリーザさんの体は、モデルと言ってもいいレベルで引き締まっている。

 筋肉も付き、程よく脂肪も乗っていて、胸とおしりは大きくくびれはくっきりしている。

 なるほど、女性が目指す理想の体形ということか。


 なら、これ以上この話題に触れるのは確かに野暮だ。



「あー……それで、璃音はなんでこのことを知ってるんだ?」

「り、梨蘭ちゃんから聞いたからよ。最初は愚痴だったけど、聞いていくと『そこが好き』とか『優しい』とか、すごくのろけられたけど」



 愚痴からのろけって……何やってんの、あの子。

 妙に気恥ずかしくなり、そっと頬を掻いた。


 おい、なんだ2人してニヤニヤして。

 やめろ、そんな顔で俺を見るな。



「こほん。まあ、理由はわかったけど……やっぱダメだよなぁ、あの対応は」

「ええ、ダメね」

「ダメだナ」



 擁護するつもりすらないのか、こいつら。



「あのね、暁斗君。あなたは梨蘭ちゃんの運命の人で、恋人なのよ。それなのに初めての夏祭りデートで、妹と後輩女子同伴って……あぁ、言ってて腹立たしく思えてきたわ。ちょっとビンタさせなさい」

「嫌だよ! 俺が間違ってるのはわかってるけど、ビンタされるのは嫌だよ!」

「あなたはそれほどのことをしたの。自覚ある?」

「……わかってるさ」



 約束は約束だ。

 守るのは当たり前だし、それが当然だと俺は思っている。


 でも、今の俺はひとりじゃない。梨蘭がいる。


 梨蘭を……最愛の彼女を優先するのは当たり前だろう。

 それがわかっていながら、乃亜との約束も守らなきゃならなくて……。



「ぐうぅ……!」

「少年、頭から湯気出てるゾ」

「出したくもなりますよ」

「……マ、私は君は間違っていないと思うヨ」



 ……え?


 優しく微笑んだリーザさんは俺の頭に手を乗せると、乱雑に撫でまわした。


 懐かしい。小学生の頃はよく撫でられてた。

 最近はそんなことなかったけど……恥ずかしいけど、懐かしい。そんな感じだ。



「優しさは少年のいいところダ。それは間違っていなイ。今の自分の行動に思い悩むことモ、私は優しいからだと思ウ」

「……」

「しかしその優しさデ、自分を追い詰めるナ。君のして来たことは間違っていなイ」

「……そう、ですかね……」

「勿論ダ。みんなに優しくできるなんテ、誰にもできることじゃなイ。自信を持ちなさイ」



 そ、そんな優しい優しい言われると、恥ずかしいんだけど。

 でも……こうして認められると、なんとなく、救われた気がする。



「リーザさん、優しすぎるわよ」

「それでモ、少年がいなかったら私達はこうして一緒になれなかったゾ」

「……まあ、そうね」



 不承不承といった風に頷く璃音。

 ありがとう。そしてごめんな。



「だが少年。いつまでもこの状況はまずイ。それは君が一番よくわかってるのではないカ?」

「……うす。わかってます」

「なラ、明日君が何をしなきゃならないのかもわかっているナ?」

「うす」

「うム、よろしイ」



 リーザさんはニカッと笑うと、キックミットを持って今日のトレーニングの準備を始めた。


 明日、俺がやらなきゃいけないことは、今までの人間関係を壊すものだ。

 それでも……いつまでも、乃亜の心を縛るのはダメだ。


 っし……覚悟を決めろ、俺。


 気合と覚悟を胸に、グラブをはめてリーザさんのもとに向かった。

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