第103話

   ◆梨蘭◆



「お、わっっったぁ〜……!」

「ふふ、お疲れ様」



 さすが暁斗の妹ちゃん。要領がよく、1度教えたら直ぐに吸収するから、教えがいがあるわ。


 ぐでーっと机に突っ伏す琴乃ちゃんの頭を撫で、時計を確認する。

 もう10時だ。お店や百貨店も開き始めるし、移動するならもうそろそろかしら。



「琴乃ちゃん。疲れてるところごめんなさい。暁斗を連れてきて欲しいんだけど……」

「あ、なら梨蘭ちゃん行ってきていいよ!」



 ……え?



「梨蘭ちゃん、お兄の部屋行ったことないでしょ? 行ってみなよっ。もしかしたら、お兄のレアな姿とか見られるかもよ?」

「レアな姿?」

「た、と、え、ばぁ」



 飛び起き、私の耳元に口を寄せると。



「生着替え中のお兄とか」

「っ」

「筋トレして汗かいてるお兄とか」

「っ!」

「もしかしたら──『ピーーー』中のお兄とかも」

「ッ!?」



 なっ! えっ……なあぁん!?



「みっ、みみみみ見ないわよ! そんなの見たくないし!」

「ほんとぉ? お兄のプライベート姿だよ? レアだよぉ〜?」



 琴乃ちゃんがニヤニヤしながら煽ってくる。


 暁斗のプライベート姿……見たい。くない。でも、う、あ……ぬぅん……!



「いいの? こんなこと、今後起きるかわからないよ〜? 一緒に住んだら別だけど、それまで何年先になるか……いいのかにゃぁ〜?」



 くぅっ……! 暁斗の妹ちゃんなだけあって、顔がいいから煽り顔がちょっとウザい……!


 う、うう……うううううう!






 場所は変わって2階。

 目の前には、木でできた扉がひとつ。琴乃ちゃん曰く、ここが暁斗の部屋らしい。

 左手の赤い糸も、扉を貫通して中に伸びている。

 この先に、暁斗のプライベートルームが……。


 ……ごくり。


 い、いや、別に暁斗のプライベートの姿を見たいとか、そういうことじゃないから。

 私って暁斗の彼女なわけだし、彼氏の部屋くらい見ておかなきゃならないじゃない?

 それに、暁斗ってもう何度も私の部屋に入ってるのに、私が入ったことないのって不平等でしょ?

 そう、本当にそれだけだから。……それだけだから!


 ……誰に言い訳してるのかしら、私。


 深呼吸を数回して……よ、よし。


 恐る恐る扉をノックする。



「あ、暁斗~? いる~?」



 うぅ! 声が震える!

 でも……あら、返事がない……?


 またノックする。



「暁斗? ねえ、暁斗ー?」



 …………あれ?

 いないのかしら。でもさっき、部屋にいるって言ってたわよね。


 ドアノブを回すと……あ、開いてる。



「お、お邪魔します……」



 とりあえず顔だけ覗かせてみると……あ、いた。

 ベッドで横になってるわね。しかも……寝てる?



「すぅ……ぐぅ……」



 うん、寝てるわね。


 起こさないように部屋に入り、扉を閉める。

 次の瞬間、今まで嗅いできた暁斗の匂いの中でも、濃縮された“暁斗臭”が私の鼻を貫いた。


 え、これ……全部暁斗の匂い……!?

 まあ暁斗の部屋なんだから当たり前なんだけど。



「……すぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー……はぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー……はああぁぁぁんっ……!」



 全身を包み込み、肺を満たす暁斗の匂い。

 ヤバいことをしてるのは自覚してる。でも止められない。脳汁どばどば。


 それにしても……意外とシンプルな部屋ね。

 ライトノベルや漫画の並んでいる本棚。勉強机、椅子。それにベッド。

 意外なほど物が少ない。筋トレ用具とか置いてあると思ったんだけど。


 部屋を見渡し、最後にベッドで眠る暁斗に近付く。



「ぐぅ……すぅ……」

「…………」



 ぱしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃ──。


 はっ!? む、無意識のうちに写真撮りまくってたわ……!

 ううん。これは私のせいじゃないの。寝てる暁斗が可愛すぎるからいけないの。つまり暁斗が悪い。私は悪くない。証明終了。


 ……それにしても、よく寝てるわね。

 やっぱり精神的に疲れてたのかしら……この数ヶ月で、色々なことが怒涛のように押し寄せてきたし。


 ……思えば私、いつも暁斗に頼りっぱなしだったわね。



「ごめんね、暁斗。……いつも、お疲れ様」



 思いの外さらさらな髪を撫でる。

 特に手入れもしてなさそうなのに、すごく指通りがいい。

 むぅ。私、お手入れにかなり手間かけてるのに……なんか悔しい。



「んぅ……」



 おっと、いけない。起こしちゃうところだったわ。

 まあ起こしに来たんだけど。


 でも、こんなに気持ちよさそうに寝てるのに起こすのって忍びないわね。どうしようかしら。


 暁斗の側にしゃがみ込む。すると、寝返りをうって壁の方を向いてしまった。

 そのせいで、人ひとりが横になれるくらいのスペースが空く。


 こ、これは……ごくり。


 ……お、起きないわよね……?



「お、お邪魔しまぁす……」



 ゆっくり、起こさないように。

 暁斗の背に引っ付くように横になる。


 ……あぁ…………いぃ。

 語彙力が溶けるくらい、いい……。

 暁斗がうちに泊まった時と同じ感じ。心がキュンキュンする。

 はああああああああぁぁぁぁぁ……!


 それに……なんだか安心する。

 暁斗が近くにいるだけで、こんなに安心するなんて。

 私は今、幸せの絶頂にいる。

 こんなの、結婚して一緒に住み始めたらと思うと……どうなっちゃうんだろう。想像しただけでヤバい。多分、家にいる時は暁斗から離れられなくなる。


 あぁ……なんだか眠くなってきた。

 朝早かったし、暁斗の温もりと暁斗の匂いを嗅いでたら……眠気が……。


 おや……すみ……しゅぴぃ。

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