第94話
◆
まるで温泉のように広々とした湯船に浸かり、客室にてあぐらを組む俺。
時刻は既に23時。
さっきリビングで確認したが、お父さんもお母さんも肩を並べて寝落ちし、迦楼羅さんは自室に入ったようだ。
つまり、みんな寝ている状態。
目の前のスマホは、梨蘭のメッセージ画面が映っており。
梨蘭:みんなが寝た後、部屋に行くわね
暁斗:ちょっと待て落ち着け!?
と、既読は付いているがスルーされている。
やばい。色んな意味でやばい。
今すぐにでも梨蘭の部屋に行って、止めた方がいいんじゃ?
いや、それだと俺が我慢できずに部屋に来たって捉えられかねない。
これ、どうするよ。どうするのが正解よ。
ドアに鍵を……って、この客室、鍵付いてないし。
なら開けようとした時に内側から扉を押さえつけるか。よし、そうし──。
「入るわよ」
「キャーーーーーッ!!」
いっ、いいいいいきなり入ってくんなぁ!?
俺の反応が気に入らなかったのか、むすーっとした顔で睨んできた。
「何よ。そんなに驚かなくてもいいじゃない」
「驚くわ! おま、ノックくらいしろ!」
「したわよ。何回も」
え? ……気付かなかった。
部屋に入ってきた梨蘭は、可愛らしいピンクのパジャマを着ていた。
風邪を引いていた時に着ていたパジャマだが、今回はちゃんと胸元までしっかりボタンで止められている。
梨蘭が後ろ手に扉を閉め、布団の上にペタンと座った。
眠いのか目がとろんとしていて、頬も赤い。
ゆらり、ゆらりと体を揺らしている。
「お、おい。眠いなら自分の部屋行けよ」
「ねむくないもーん」
いや眠すぎて幼児退行してんぞ。
「暁斗、ここに座りなさい」
「座ってるけど」
「ちがうの。ここ、ここにすわるの」
てしてしと自分の前を叩く。
……仕方ない。ここは大人しく従うか。下手に騒ぎになって、ここにご家族が入って来たら言い訳するのも大変だし。
指示された通り、梨蘭の前に座る。
すると。
「どーーーーん!」
「ちょっ!?」
ひ、膝に乗ってきたんだけど!?
しかも思いっきり体預けて来てるし! どんだけ俺のこと信用されてんの!? これでも俺、思春期真っ盛りの男の子なんだけど!
「むふー」
「いやむふー、じゃないわっ」
満足気な顔してからに。
「この椅子、座り心地さいこーね。一家に一台あるべきだわ」
「おいコラ。俺を一台と数えるな」
「あ、やっぱりだめ。あきと椅子はわたしだけのものだから。ほかの子になんかすわらせてあげないわ」
「椅子言うな」
「のどかわいた。ジュースのみたい」
聞いちゃいねぇし脈絡もねぇな!
しかもこいつ、恥ずかしいこと言ってる自覚あるか? ないな、ないよな。今のこいつ動画に撮ってやろうか。
にこにこ笑ってる梨蘭を見る。
……ん? なんだ……何かおかしいな。
いや、今の梨蘭はおかしいのは重々承知してるけど……そうじゃない。そうじゃないぞ。
「梨蘭、こっち見ろ」
「やー」
「やー、じゃなくて」
「あきと、イケメンだからみたらはずかしい」
「……は? イケメン? 俺が?」
「そうよ。あきとはイケメンなの。いつもかっこいーの」
やめて。俺のライフをごりごり削らないで。
「いいから、こっち見なさい」
「んむぅ……なによー」
肩越しに振り返る梨蘭。
その拍子にブロンドの髪が揺れ、赤くなっているうなじや耳があらわになる。
長いまつ毛に、潤んでいる緋色の瞳。
これ、まさか……。
「梨蘭、酒飲んだ?」
「のんでないよ」
「……本当に?」
「ん。さすがにそれはダメだもん」
だよな。あの律儀の塊みたいな梨蘭が、未成年飲酒なんてするはずない。
ということは……もしかして、家族が飲んだアルコールが蒸発して、それだけで酔ったのか?
更に眠気と相まって、今の梨蘭を作り出した、と。
梨蘭って、酒に弱いんだな。遺伝からしたら、強そうなイメージだったけど。
「あきと、あきと。ねえねえ、あきとー」
「何度も呼ぶな。……なんだよ」
「うへへ。よんだだけー」
やめて。これ以上俺の精神を削らないで。俺のライフはもうゼロよ。
梨蘭は俺を背もたれに、ぐでーっと力を抜く。
あーくそ。柔らかい柔らかい柔らかい超いい匂いっ!
「むぅ……」
「こ、今度はなんだ?」
「ねむいわ」
「え」
「ねむいのだわー」
マジで眠いのか、船を漕ぎ始めた。
ちょ、ここで寝られたら困るんだけど……!
「り、梨蘭っ。寝るなら自分の部屋に行ってくれ……!」
「ねーむーいー。……あ」
梨蘭は何かに気づいたように振り向くと。
ほにゃっと笑って俺の首に抱きついてきた──って!?
「ここでねるー」
「寝るな!」
「あきとはきょーから、私のだきまくらね。私せんよーよ。ほかのだれにもあげないんだから」
「人の話聞け!? あっ……!」
梨蘭の芳醇な香りと、全身を包み込む柔らかな感触に力が抜け、押し倒された。
ポスッ。梨蘭は俺を布団にして、気持ちよさそうな顔をする。
「ぬへへ……あきとのにおい……」
「うひっ!? ちょ、嗅ぐなっ」
く、首筋に梨蘭の鼻が当たって……!
「…………」
「……梨蘭?」
「……くぅ……くぅ……」
寝やがった!
俺の顔の横にある、可愛い寝顔。
本当……可愛すぎんだよな。こんな子が俺の運命の人なんて、未だに信じられない。
天井を見上げ、左手を掲げる。
美しい濃緋色の糸が、電灯に反射して煌びやかに輝いた。
「……ん……ふあぁ〜……ねむ」
梨蘭が抱きついてるから、眠れないと思ったけど……それ以上に、梨蘭がここにいることに安心する。
その安心が緊張を解したのか。
いつの間にか、梨蘭を抱き締めるように眠りについていた。
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