第90話

   ◆



「全く……全くもうっ、全くもう!」

「ごめん」



 謝る。謝るから腕ぺしぺししないで。


 目が覚めた梨蘭はさっきからずっとこの調子。まだ顔赤いし、涙目だし、ずっとぺしぺししてくる。

 あの、いい加減やめないと、またご家族からいじられるんですが。



「青春だ! 青春してるぞ、母さん!」

「父さんうるさい。と、言いたいところだけど……これは青春ね。昔を思い出すわ」

「リラかーわーいーいー」

「うっ……ううううう!」



 今度は肩を掴んで揺さぶって来た。

 そういうことするからからかわれるんだけど……あ、パニックになってて気づいてないな、こいつ。



「ふふ……梨蘭、アキト君が困ってるから、そろそろやめなさい」

「ぐぬぬ……はい」



 お母さんの一言でやめてくれた。母は強し。



「さて、そろそろ晩御飯の準備をしましょうか。アキト君、嫌いなものはない?」

「あ、はい。基本的になんでも食べられます」

「そう? じゃあ腕によりをかけて作ろうかしら」



 と、お母さんが席を立ってキッチンに向かった。これ、俺も何か手伝った方がいいんだろうか。



「暁斗、別に手伝おうとしなくていいからね。暁斗はお客さんなんだし」

「でもなぁ……」

「そうだぞ、アキト君。アキト君はゆっくりしていなさい。母さんの作る料理は天下一品だからな。期待していいぞ」

「……それじゃあ、お言葉に甘えまして」



 と言っても、ここでただ待ってるだけってのは落ち着かない。

 そわそわしていると、迦楼羅さんが「そうだっ」と声を上げた。



「アキト君もうちに来て間もないし、まだ私達の前じゃ緊張しちゃうよね。ずっとリビングにいても気疲れしちゃうし、ここは夕飯ができるまでリラの部屋で休んでてもらうのはどうかな?」

「「んな!?」」



 俺と梨蘭の声が被る。

 い、いきなり何を言い出すんだこの人は! そんな、大切な娘と密室で2人きりにさせるなんて、お父さんが許すはず……!



「お、ナイスアイディアだ、迦楼羅! 梨蘭、アキト君を連れて部屋に行きなさい!」



 いいんかい! 普通、心配だから2人きりにはさせないでしょう!



「晩御飯の準備ができたら呼ぶから、ゆっくりしていいからね」



 お母さんも全然オーケーそう。

 ええ……これが普通なのか? 俺がお堅いだけなのか?



「はぁ……暁斗、部屋行きましょうか」

「お……おう。そ、それじゃあ、失礼します」

「リラ、アキト君。後は若い2人でごゆっくり~」



 いや、迦楼羅さんのせいですからね?

 ご家族に挨拶し、梨蘭と一緒に2階の梨蘭の部屋へと向かった。

 柑橘系の香りと、梨蘭の濃厚で豊潤な香りのする部屋。あの時と変わらず、可愛らしい小物系が多い。



「…………」

「…………」



 互いに無言。

 そりゃあ、さっきまで散々いじられてたんだ。若干の気まずさはある。



「え、と……て、適当に座ってて。今お茶持ってくるから」

「あ、ああ。ありがとう」



 部屋から出ていく梨蘭を見送り、改めて部屋を見渡す。

 それにしても、広い。俺の部屋より一回り……いや、二回りくらいでかい。

 前に一度来た時は、内装を見てる余裕もなかったが……こうして見ると、男の俺の部屋とはだいぶ違ってるな。


 鞄を置き、カーペットに正座する。

 適当に座っててと言われても、さすがに椅子やベッドには座るのはダメだろう。それくらい、俺でもわかる。


 待つこと数分。梨蘭がおぼんにマグカップとチョコレートを乗せて戻って来た。



「お待たせー……って、なんで床に座ってるのよ」

「……なんとなく?」

「別に、ベッドに座っていいわよ。気にしないし」



 気にしろよ。こちとら思春期と性欲と不純を自覚してる、年頃の男の子だぞ。

 梨蘭はおぼんをローテーブルに置き、ベッドに座り横をぽんぽんと叩く。座れと? 俺にそこに座れと?



「い、いい。俺は床で……」

「いいから」

「あ、はい」



 怖い。今の圧は怖い。

 ごめん、俺の良心。梨蘭の圧には勝てなかったよ。


 気持ちを落ち着けるために、数回深呼吸し。



「お、お邪魔します……」



 座った。


 ギシッ。ベッドが沈み、軋むような音が聞こえる。

 いつも梨蘭が寝てる場所に、腰掛けてる……その事実で、俺の心臓は跳ね上がった。


 お、落ち着け。平常心。平常心だ、俺。惑わされるな。クールに、冷静になるんだ……!



「ふふ。暁斗、緊張しすぎ」

「わ……悪かったな」

「誰もそんなこと言ってないでしょ」



 ふわ、とした笑みを浮かべる梨蘭。

 ちくしょう、慣れない。シチュエーションも相まって、さっきから心臓の鼓動が意味わからないくらい早い。



「暁斗。ごめんなさい。私の家族、いつもあんな感じで……」

「あー……確かに最初は面食らったけど、そっちはもう慣れた。……賑やかで、楽しい家庭だな」

「うん。パパもママも、カルお姉ちゃんも、みんな優しいわ」



 ああ。それは嫌と言うくらい伝わって来た。

 うちの父さんは仕事人間だし、母さんもあそこまで俺と琴乃にぐいぐい来ない。

 だから新鮮というか……ちょっと、羨ましい。



「……ね、暁斗」

「ん、なんだ?」

「えっと……実はちょっとやりたいことがあったんだけど、いいかしら」

「やりたいこと?」



 このタイミングで?

 はて、なんだろうか。



「……変なことじゃなければ、いいけど」

「だ、大丈夫。全く変じゃないわ」



 梨蘭は指をモジモジさせ、俺をチラッチラッと確認し。



「そ、その……ひ、ひ、膝枕……されて、みたいなぁ……って……」



 なんかすげー恥ずかしいこと言い出したんだが!?

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