第86話

   ◆



「おっちゃん、チャーシュー麺にチャーシューと煮卵トッピングで」

「あいよ!!」



 その日の夜22時。

 俺は前に訪れたラーメン屋にやって来ていた。


 実はあれから、ちょくちょく足を運んでいる。

 隠れた名店と言うのだろうか。閑古鳥が鳴いているわけでもないが、超繁盛しているというわけでもない。


 だけど味は、今まで食ってきたラーメンでも上位に入るレベル。こいつは美味い。


 スープを一口飲み、麺をすすり、チャーシューを頬張る。

 家系のこってりスープに麺がよく絡み、チャーシューはとろけるほど柔らかい。


 控えめに言って最高。



「ぷはぁ〜〜……で、今日もいるわけか、お前は」



 隣を見る。

 野暮ったいパーカーに伊達メガネ。艶やかな黒髪を後ろで乱雑に結んでいる女性。


 言わずもがな、竜宮院璃音である。



「いいじゃない。美味しいんだから」

「体壊すぞ」

「真田君に言われたくないわよ」



 めっちゃジト目で見られた。それもそうか。

 いつの日と同じように、並んでラーメンをすする。

 美味いものを食う時は、何で人間は無言になるのだろうか。……え、俺だけ?


 そのまま食べ進めることしばし。

 不意に、竜宮院の箸が止まった。



「……本当にごめんなさい」

「どうした、いきなり」

「……私達の事情に、あなた達を巻き込んでしまった。許されることじゃないのはわかってる。でも、謝らせて欲しいの。……ごめんなさい」



 あぁ、なるほど。今回のことでか。



「気にすんな。……って言っても、竜宮院は気にするんだろ?」

「……」

「なら、ラーメン奢ってくれ」

「……え?」



 口をあんぐりと開け、伊達メガネの奥で目を丸くしている竜宮院。

 一般人がやると間抜け面なのだが、顔がいいとこんな顔でも可愛いな。ずるい。



「今回のこと、このラーメンでチャラにしてやるよ」

「……なんで……」

「ん?」

「……なんで、そんなに優しいのよ、あなた……」

「なんだ? 厳しくして欲しいのか? さてはお前、ドMだな?」

「違うわよ」



 食い気味に否定された。ごめんて。だからそんな怖い顔しないで。



「何か理由があって、優しくしてるの? ほら、信条とか。何かに憧れてるとか」

「別に、理由なんてない。誰かが困ってたら助ける。普通だろ」



 今回、竜宮院を助けたのも、過去に乃亜を助けたのも、龍也と寧夏のことも。

 全部成り行きだ。

 たまたま俺がそこにいて、たまたま俺が助けた。


 俺じゃなくてもいい。本当に、たまたまなんだよ。


 が、竜宮院は呆れたようにため息をついた。



「全く……みんながそれをできたら、この世から争いは無くなるでしょうね」

「それは違うぞ。争いというのは個人の思想が食い違って──」

「マジレスすんな」

「ごめん」



 あと思ったけど、竜宮院って割と口悪いよな。

 お父さん、お母さん。彼女、淑女なんてもんじゃないっすよ。



「……わかったわ。ここは私の奢りね」

「助かる。人の金で食う深夜ラーメンほど美味いもんはないからな」

「言い方」



 ちょ、脚蹴ってくんな。


 そのまま食べ進め、残り少なくなって来た頃。竜宮院が口を開いた。



「そうだ。今度お母様が、みんなで一緒にご飯食べましょうって」

「それ断ることできる?」

「無理でしょうね。お母様、一気に家族が増えたことに喜んでるから」

「……家族? なんでそれで俺も?」

「何言ってるのよ。これからパパになるんじゃない」

「おま、言い方……」

「間違ってないでしょ?」



 まあね。間違ってはないよ。

 ただ、そう言われるとむず痒いものがあるんだけど。



「梨蘭ちゃんの旦那さんで、私にもアレを提供するんですもの。もう立派な家族よね」

「勘弁してくれ……」



 これでも俺、思春期の男の子なんだよ。性癖歪んだらどうしてくれるんだコラ。



「……ま、わかったよ」

「ありがとう。……食べちゃいましょっか。冷めてしまうわ」

「だな」




 ラーメンを食い終わり、あの日と同じように一緒に店を出た。勿論、約束通り竜宮院の奢りで。



「ゴチっす」

「いえいえ」



 ラーメンで火照った体を、夜の冷えた風が撫でる。

 ふぅ。時間も時間だし、帰るかね。



「ああ、そうだ。もうひとつあるんだけど、いいかしら?」

「…………」



 まだあんのか。

 ……まあここまで来たら、何が増えようが変わりないか。



「なんだ?」

「名前で呼び合いましょう」



 …………。



「え?」

「私達も、もう他人じゃないでしょう? いつまでも苗字呼びじゃ、他人行儀だもの」

「他人行儀でもいいだろ。他人なんだし」

「まっ。自分の子を認知しないつもり? あなた、そんなに薄情な人だったのね」

「おいコラ。お腹擦りながら泣き真似やめろ」



 夜遅くて人気が少ないとは言え、まだ歩いてる人もいるんだから。


 あーほら、周りから不審な目で見られてるっ。



「わかった、わかったから……!」

「べっ。そ、よかったわ」



 おい。今こいつ、舌出したぞ。

 ご両親、こいつの教育間違えたんじゃありません?



「はぁ……璃音」

「ふふ。なぁに、あなた」

「おい」

「冗談よ、怖い顔しないで。……暁斗君」



 いたずらっ子のように、強かに微笑む璃音。


 その笑顔は、満月のように美しかった。






「ところで、次の土曜日は梨蘭ちゃんの家でしょ? 頑張ってね」



 あ、忘れてた。

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