糸の先

 ろうそくの炎がゆれる。

 赤を基調としたテントは、そのほとんどを夜のとばりに覆われていた。

 ヴァルターは自慢の銀食器をながめ、茶を一口すする。その顔は同列の相手に向けるべき、油断ない笑みに満ちている。

「まったく、貴様のいうことは毎度毎度、この私の規律に反するな」

 彼の前には、ひとりの人影が座っている。その姿はひとつきりの明かりにさえ照らされず、暗雲のような影に染まっている。

 その者は落ち着きはらった手つきでカップをかきまぜ、ふふ、と笑った。

「この茶葉は初めてだな。貴殿は戦場にどれだけの嗜好品をもちこんでいるのか」

「当然、。オッペンハイムの当主たるもの、その威光をいついかなる時も示さねばならぬ――このようにな。

 それとも、この香りは好みではなかったかね」

 相手は礼儀のため、カップに口をつける。苦味はなくすっきりとしていて、凛とした気高い香り――あるいは薬のような臭いが鼻をつく。

 それは、今は亡き祖国の花の香り。

「否。懐かしい風味だとも」

 その皮肉に、ヴァルターは彫りを深めて笑う。

「最初は半信半疑だったが、貴様の予測と進言はなかなか有用だ。おかげで終始、優位にことを運べている。だが、本当に草人の祭儀が私に有益だというのか?」

 カミツレの匂いを遠ざけながら、相手はとんとん、とテーブルを指で叩く。

「有意義だと断言はできぬが、少なくとも強硬に中止させるのは悪手であろうな。歴史にもあるではないか。第五次竜人戦争でエクセラードが劣勢に陥ったのは、祭りより戦闘を優先させたためだ」

「……士気の高低は兵力の高低、か」

「総攻撃は明後日。皇国軍にも動きはない。多少は懐の深さを見せてやるというのも、オッペンハイム当主の務めではないか?」

 それに、いざとなれば責任を負わせ、切り捨てるのも簡単になろう?

 その耳をくすぐる甘い言葉に、ヴァルターは喉の奥で笑った。全くそのとおり、とこたえて手ずから茶を注ぎなおす。

「ではひとつ、こちらからも問うてみるとしよう。明後日の作戦、吉と出るか凶と出るか。貴様の見立てをな」

 その影は、値踏みするようにヴァルターを眺めた。

 そして顔を覆い隠し、含み笑いをした。

「貴殿の方から意見を求められるとは。私ごときの所感を貴殿は利用すると?」

「利用できるかどうか、それは私が決めることだ」

 含み笑いを収め、ハーブティーをぐいとあおる。

 相手は天幕越しに見える月をみつめ、抑揚のない声で語った。

「十中八九、貴殿の勝利だ。

 貴殿はウォーフナルタを救った英雄として、歴史に名を刻むことになろう」

 ――今ある情報だけならば。

 その含みのある台詞に、ヴァルターは目つきを鋭くした。「どういう意味かね」

「ベルテンスカ皇国軍がこれで終わりとは思えぬ。そういう意味だ」

「そんなはずはない。ベルテンスカの国力は既に限界だ。これ以上増援を出せば皇国は傾く。目先の利益を優先し、国を滅ぼすような真似はすまい」

 相手はしかり、と形だけ同意し、ヴァルターの矛を収めさせる。

「貴殿の言葉どおり、長きにわたる消耗戦で皇国は疲弊している。しかし、先代の“黒玉王”ならいざしらず、此度の相手は“血花王”マルガレーテ。永世中立を掲げたかのラインハルト王ならば、このような無謀な侵略はすまい」

「そうだ、あの年端もゆかん小娘は愚かにすぎる! 何を恐れる必要がある」

 相手はこれも肯定した。言葉を重ね、ヴァルターの考えは何も間違っていない、その勝利は既に手の中にあると繰り返し語った。

「だからこそ、貴殿は血花王に傷ひとつ付けられてはならない。追い詰められた彼奴きゃつが何をしでかしても、その余裕を保てるだけの予見が必要だ」

「ではいったい、何をやらかすというのかね!」

「そう、たとえば――無理をおしての増援。国防を脅かしての魔術師の派遣。

 これらのうち、ひとつは既に行われている。伏竜将は護国の新たなかなめ。それをふたりも派遣させている。だがその配下とは一度も交戦していない――妙だとは感じぬか」

 ヴァルターの顔つきが変わった。

「なるほど、そういうことか。だが伏竜将の歩兵をみて生還した者はそうおらん。ただみな、口を揃えて一騎当千の手練れだというばかりだ」

「そのとおり。なれば貴殿にできることは限られる」

 数の差にものを言わせる、か。ヴァルターのつぶやきを、相手は肯定した。

 一騎当千の代償か、その数は桁ひとつ少ないという。ならば付け入る隙はある。

「話がのみこめてきたぞ。ゆえに草人どもが必要というわけか」

 ご明察、と相手は手を叩く。

 ヴァルターは相手をみつめ、自分はついているとほくそ笑んだ。出征してすぐ、これだけの拾いものをするとは。勝利の女神はやはり自分に微笑んでいる。

 ――しぼりカスだろうが、うまく使えたのは自らの手腕あってこそだった、と。


 ヴァルターは気づくことができなかった。

 自分より悪辣な相手ほど、その邪悪な牙を有益にみせるものだ――とは。

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