密約の糸

 ナズルトーの本陣、ヴァルター・オッペンハイムのテント。

 ヴァルターは不敵な笑みを浮かべ、手ずから茶を淹れた。

「話……話か。言ってみたまえ」

 戦場には不要の調度品がひしめき、日中ながら暗がりがそこかしこにあった。陰から手が伸び、かぐわしく甘い香りをたたえたカップを取る。

 一口すすると、相手は暗く笑う。

「なに、大した話ではない。此度の出征は、名の知れたオッペンハイムとはいえ、それなりに堪えたのでは――浅慮ながらそう察するが、いかがか」

 ヴァルターは眉をかすかに動かすと、肩をすくめた。

 何を言いたいのか分かりかねる、と言外に挑発している。

「要するに、だ。私の土地を貸与してもよい、という申し出なのだ」

「ほう」

 ヴァルターは相手を観察するだけのつもりだったが、俄然、興味が湧いてきた。自分で領土を監督するだけの力がないのだろう。それゆえ自分を頼り、どうにか日銭を稼ごうとしているとみた。

「無論、私もその一切を貴殿に譲っては生きてゆけぬ。その運営はお任せするが、私はその利益の三割を頂戴する。いかがか」

 ヴァルターは鼻で笑う。吹っかけるにも程がある。やはり世間知らずか。

「三割とな。なかなかよいご身分のようだ。それに、貴殿は思い違いをしている。このヴァルター、陛下より賜った領土のみで食うに事欠かいておらんというに。もう結構だ。せめて二割と言ってから話の続きをしていただきたいな。それでも教会の二倍だがね」

 相手はしばし、考えこむような沈黙をおいた。

 そして、指を一本立て、もう一本を半ばで止めた。

「一割五分なら、いかがか」

「よろしい!」とヴァルターが食い気味に返事をすると、

「ただし」と匕首のように言葉が差しこまれた。

 相手はごく単純な、ふたつの条件を述べた。ヴァルターはそれを聞いてもなお、取るに足りない些事だと片づけた。カモネギだと、胸の内でほくそ笑んだ。

 ――証文を書かせ、署名を取る段までは。

「そうだ。貴殿はこの戦況をどう見ている? 人間と岩人が手をとりあうなど、あまり例のないこと。参考までにお聞かせ願えないか」

 突然切り出された話を、ヴァルターは雑談ととった。無論、まつりごとに携わる者に無意味なものはない。彼はいつもと同様に慎重に言葉を選び、答えた。

「手をとりあう、か。あまりそうとも言えんようだが。まあ、報告のとおりならば、さほど悪い状況でもない。非協力的なドーファが死のうが生きようが、皇国軍を壊滅させてくれるのならばそれでよい。内実はどうあれ、形式上は同盟を結べている。ゆえにヴェスペンの中においては、すべてこのヴァルターの戦果といってよいのだからな」

 相手はふふ、と愛想笑いをした。

「では、ドーファが討たれようとも構わぬと?」

「そうは言わん。使えるものは何でも使いたい。

 今後に種火は残すことになろうが、生きていた方が楽にことは運ぶだろう」

「それを聞いて安心した。貴殿はまさしく同盟軍の長にふさわしい」

 その耳に優しい言葉を聞いて、ヴァルターは思わず笑みを深めた。

 そして、言わずともよいことまで口からこぼしてしまう。

「だが、もし報告のとおり、黄銅の騎士とかいう聖騎士パラディンが参列しているのならば。ドーファが討たれるという事態もあろう。

 全く、そうなったのなら、あの高慢な岩人の無策をせせら笑ってやるとも」

 相手はまた、凍りついたように同じ愛想笑いを浮かべた。

「そう悲観なさるな。ドーファはこの数百年、ナズルトーを守護してきた老獪ろうかいなる将軍だ。かの岩人が無策に突貫するとは思えぬ。安心されよ」

 そう言い残し、相手は退出していった。

 そしてふと、今まで自分におだてへつらってきたどの臣下に言われるよりも、心地よい気分になっていることに気づく。そのことにヴァルターは針のむしろがごとき悪寒を覚えた。頭の中で警鐘が鳴り響く。

 冷めた茶を飲み干して、ヴァルターは証文をにらみつづけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る