まもられたもの
なだらかな峠の桜は、満開だった。
「ここらで一休みするか」
ハインが荷物を下ろすと、リタは命令を解かれて遊びはじめた。舞い落ちる花弁にじゃれつき、無邪気に声をあげる。ハインは腰を下ろしながら、ルオッサを見上げた。
「……リタに本性を見せたんだな」
「ンだよ、意外か?」
「――まあな」
「そんなこたァ、どォだっていいだろ。それより、エッカルトは何か喋ったか」
ルオッサの問いに、しばしハインは言葉を選んだ。
「奴は魂を集めているらしい。実際、エッカルトの魂をもっていった」
ルオッサは鼻で笑った。
「おいおい、なンだそりゃァ。
まるで“竜の仮面”が顔出したみてえな言い草じゃァねえか」
ハインが沈黙で答えると、ルオッサはにわかに顔を近づけた。
「本気で言ってンのか。なぜ早く言わねえ」
「……何も手出しできなかった。
止水卿に制作していただいた奥の手も、児戯がごとく破られた」
「アレをか……? ちょっとやそっとじゃァ、吸血鬼も逃れられねえシロモノだぜ」
二人してリタを視界の隅に入れながらも、二人ともリタを見てはいなかった。
先に沈黙を破ったのはルオッサだ。
「おもしれェじゃねえか。道理で何年もつかまらねえわけだ。ハイン、オマエはそんなバケモンの首を獲ろうッてのか。
ワクワクするぜえ。金玉おッたつってなもんじゃないか、ええ?」
ルオッサの下品な言葉にも、ハインは無反応だった。そこでルオッサは気づく。
ハインが懸念していたのは、別のことだと。
「……それはまあ、それでいい。ルオッサ、知ってるか。
明朝、“桜花公”が亡くなった」
「……へェ。そうかい」
なぜ知っている。ルオッサはいぶかしむ。痕跡はすべて
なら、答えはひとつ。
「なんとも思わないのか?」
「別にィ。縁もゆかりもねえジジイだろォ」
ハインはルオッサの目をみた。
ルオッサがいつも通りの表情を返すと、ハインは鼻をならして立ちあがった。
「そうか。なら、いい。だがルオッサ、ひとつ覚えておけ。
俺は親が子を利用することは、七つの大罪に加えてもよいくらいだと思っている。
だがそれと同じくらい、子が親を殺すことは罪深いことだと考える。
親を殺す子がいたのなら、俺はそいつを許さない」
「へえ。なら、九つの大罪にしてもらえよ」
ハインは答えない。ふたりの視線が交錯する。
その時、男女の子供が走ってきた。子供たちはいぬだ、いぬだとリタに近寄り、無遠慮になでまわす。リタは少し不服そうにうなるが、子供たちはどこ吹く風。
「このあたりにも畑があったな。農奴の子か」
ルオッサは犬歯をみせて舌打ちをした。ルオッサにとって、あれくらいの子供は獣も同然。獣も同然のガキを見るのは不快だった。度しがたい愚劣さに虫唾が走る。どうせ隣のコボルトは、真実の獣を見ず、絵に描いた天使のような子供を、成人を小さくしたものを救いたいのだろう。
そう、心のなかで毒づいていると、子供のうち、少女の方が少年を殴った。理由はリタを独占したいというどうでもよいもの。これだから、とルオッサはハインを見る。
だが。
ハインはそんな獣たちを眺めて、満足そうにほほえんで、目を閉じた。
次にはリタが大きく吠えて、子供たちはけんかのことを忘れてしまった。そして気の早い白い蝶を追って、もう振り返ることはない。
ルオッサは歯ぎしりした。憎悪の瞳をハインに向けるが、次の瞬間には喉で笑った。
面白い。頭上を見上げ、幹に唾を吐いた。最後にひとつはいいものをくれたな。
リタはハインに駆け寄って、「ハイン、峠を越えたら宿を取ろうよ」と心配する。
「遊んでいたみたいだが、休憩はいいのか」
「ハインこそ。わたしは仮眠とれたけど、ハインは一睡もしてないんじゃない」
「問題ない。ルオッサ、行くぞ」
ルオッサは見上げるのをやめて立ちあがった。まだ寒い季節の折、花は忘れることなく花弁を開く。ルオッサの背を、桃色の花びらが押す。
かつて勇名を馳せた男が、剣を捨てた時に植えた無数のひとつ。戦後、領土に突きたった無数の剣、無数の墓標の代わりに、平和の花が咲き乱れるようにと願って。
口を利くものが忘れようとも、桜は忘れない。
そのはかない祈りを、口を利くものたちの夢を。
――The little, little wish will be gone around.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます