TETSU短編集

TETSU

彼女の罪について

   Cによる提出文書


 彼女の罪は私の罪であるということを、はっきりと申し上げましょう。

 彼女は——男子児童に対して性的暴行を加えたとされ、法律による刑罰と、それ以上に世俗的不文律による刑罰に課せられている、皆さんがよくご存知の、哀れな女性です。——その彼女は私の姪であり、私が唯一愛することのできた女性でもあります。

 この文書を書き綴るのは彼女の名誉を守るためでもなければ、ましてや彼女の異常性を露わにしてことさら貶めようとするためでもなく、自らの罪をひた隠してのうのうと暮らすことの能わないが故でございます。

私と彼女の持つ情欲はその性質こそ違えども、共に異常であるという点においてはなんら変わりありません。その異常性が法に触れるか否か。つまるところ私と彼女の違いはその一点のみであるのです。


 私と彼女との奇妙な関係性についてよりも先に、私の異常性について記す必要があるでしょう。これは彼女との関係が私にとっていかに特別なものであったか、ひいては私の罪を理解してもらうために非常に重要なことであるので、どうか目を通していただきたく思います。

 私がいわゆる無性愛者であるのだと自覚したのは大学三年の秋頃でした。当時交際していた女性とは関係も良好でしたので、もちろん性交もしてみようと試みてはいました。しかしどうしても私はその女性に性的興奮を覚えることができずにいたのです。もちろん私はその女性のことが嫌いであるわけではありません。その勤勉さは尊敬に値しますし、趣味も似通っていて、これだけ素晴らしい女性と巡り合える幸運な人生を度々神に感謝したほどです。また、私が人並みに性欲を持ち合わせていないということはありません。恥ずかしながら、中学に上がる頃から現在に至るまで何度自らを慰めたかということは数えきれません。本当に、ただその女性との行為がどうしても上手くいかなかっただけなのです。さらに、実のところその女性の他にも何度か同じことがありました。しかし私の方がその相手に対して少なからず不満を抱いていたので、そのせいで興奮もしないのだろうと思えたのです。ですので、大学三年の秋頃にその女性と別れた当時はしばらく食事が喉を通らなくなりました。「あなたはあたしを愛してくれないのね」と別れ際に言われる悪夢には未だにうなされます。それで私は他人を本当の意味で愛することができないのだと信じるようになりましたし、今となってもその考えは全く変わっていません。


 そんな中、大学四年の梅雨、紫陽花が綺麗に咲く頃に、父親から私に一本の電話がかけられました。今さらですが、私は大学に通うにあたって一人暮らしをしていたのです。その電話の内容は、私の姪がその家庭の諸々の事情によって一度私の住んでいた地域に訪れることになったから、私の家で面倒をみてほしい、というものでした。諸々の事情については敢えてここに記すことも無いでしょう。私は内心億劫でありましたが、仕送りを送ってもらっている手前断ることもできないので、渋々承諾しました。その後、前期の試験がひと段落つき、蝉や小僧がけたたましくなる節に、私と彼女は出会ったのです。

 彼女は私の半分くらいの年齢であるので、その当時はまだ幼い少女でありました。詳しく覚えてはいませんが、その次か、またその次の年で学生服に身を包むようになるくらいであったと思われます。話で聞いていたよりもずっと幼く見える彼女が妙にうやうやしい態度で頭を下げるのに違和感を覚えながらも、基本的に私は彼女を歓迎していました。大学院に進もうとしている私にとって大学四年の夏は時間が有り余ってしょうがなかったので、丁度良い刺激になるだろうというくらいにしか思っていなかったのです。彼女の方も初めのうちは遠慮がちでしたが、一週間もすると慣れてきたのか段々と態度がくだけて年相応にかわいらしく振舞うようになりました。彼女の眼差しからは尊敬のこもった好意が伝わりましたが、私はさしてそれを問題にしませんでした。年頃の少女が年上の男性に魅力を感じるというのも別段珍しいことではございませんし、なにしろ彼女が何に特別な好意を抱くのか、短い付き合いながらよく知っていたからです。


 こんなことがありました。


 彼女は私の家に厄介になったその日に、ある漫画に出てくる登場人物の男の子のフィギュアを棚の上に置いても良いかと尋ねてきて私はそれに了承したのですが、そのフィギュアが棚の上に置いてあるのは食事の時くらいで、あとは四六時中、寝るときも彼女はそのフィギュアを大層大事そうに抱えていました。ある日、私は軽い冗談のつもりでそのフィギュアを隠してみたのです。彼女がそれに気づくとその顔がみるみる青ざめて「どこ、どこ」と涙ぐむので、見かねて隠していた場所から取ってきたところ、即座に私からそれを取り上げて、「大丈夫? 怪我はしていないかしら」と隅々まで調べておりました。それでどこにも傷が無いのを確認すると、安心しきったように腰を抜かして、「こんなこと、これっきりにしてください」と私に懇願したのです。フィギュアを慈しむ彼女の目は私のよく知っているもので、私に対して女性が向けるそれと同じ澱みを溜めていました。このとき私は初めて、彼女がそのフィギュアに恋をしているのだと知ったのです。

 これで私が彼女の眼差しについて特に厄介なことにはならないだろうと高をくくっていた理由が皆さんにもお判りいただけたかと思います。しかしながらこの後、その認識を改めざるを得ない出来事が起こるのです。もうお気づきであるかもしれないのですが、この出来事というのが、私の罪に深く関わるものでございます。

 思い返してみればその晩の彼女はどこか変であったのです。日がな一日そわそわしておりました上に、その夜には例のフィギュアをベッドに持っていかず、棚の上にも置かず、持ってきた鞄の中に突っ込んでいるなんて、それまでの彼女の様子からは想像もつかないことでした。私はその日少し疲れていたこともあって、特に気に留めることもなくいつものように布団を敷いてそこに寝転がりました。電気を消して少し経ち、鈴虫の鳴く声が目立ってきた折に、彼女はもぞもぞと私寝ている布団の中へ入り込んで来ました。念を押しておきたいのですが、このとき、私はこの事を僥倖なぞとは一切考えておりませんでしたし、火照って息の荒くなった彼女に湧くような情欲などはなから持ち合わせておりません。むしろ、これはいけない、と直感した私は彼女の両肩に手をかけ、「よせ、落ち着け!」と申しました。彼女はそれで一瞬怯みましたが、すぐに目を逸らしたかと思うと、肩にかけている私の手の甲をちろちろと、まるで犬猫のするように嘗めた上、さらに頬ずりをし始めました。「兄さんの手はルビイやサファイアなんかよりもずっとお綺麗で、あたしの理想の色つやをしておりますの。嗚呼、彼のように綺麗なおててだわ。ねえ兄さん、お願いですから、もう少しこうさせてください。他にやましいことは一切しません。もう少し、このおててを愛でさせてくれるだけで良いのです」と、彼女は全然止めようと致しません。しかし私はこのとき、下手に叱りつけるよりもこのままにしておいた方が良いのかもしれん、それにきっと人恋しい年ごろなのだろう、などと思って彼女のしたいようにさせてやりました。彼女の口の中は体温以上に温かく湿っていて、舌はときに優しく、ときに絡めるように、私の指を、掌を弄びました。彼女があんまり熱心に嘗めるので、「どうだ」と尋ねると彼女は、「少ししょっぱいわ」とはにかんでおりました。

 その日以来、彼女はたびたび私の手を嘗めさせてくれないかと頼むようになりました。それを断って彼女の機嫌を損ね、あらぬことを彼女の親に吹き込まれても厄介なので私の方でもそれを拒むことはありませんでした。そのうち、彼女に自分の手を嘗めさせているときに何やら胸がざわつくようになるのを感じました。夜の部屋という淫靡な空間で初めて感じるその感覚こそが愛であるのだと私は今でも信じています。私は確かに、彼女を通じて愛というものを学んだのです。

 結局、彼女が元の家に帰るまでその関係は続きました。しかしそれは、彼女が帰ってからその関係が続くことがなかったことを意味します。彼女は別れ際、私に「今度も会ってくれますか」と尋ねました。うん、とも、いや、とも私はすぐに答えることができませんでした。それを見て彼女はひどく悲しそうな顔をして、「そう、そうなのね。兄さんもそうなのだわ」と言ったきり、涙をこらえて背を向けてしましました。これが、私の持つ彼女についての最後の記憶でございます。


 随分と長くなってしまいましたがご容赦ください。つまるところ、私が罪の意識を感じているのは、このときに直ぐ「うん」と答えてやれなかったことであるのです。彼女の性質と私の性質は互いに、互いを補完し合うようなものであったと思われます。しかし私はくだらない俗世の厄介事に発展しないよう、保身のために彼女の申し出を受け入れることができなかったのです。


 彼女が少年に対して具体的にどういう行為をはたらいたのか、私にとっては想像に難くありません。彼女の情欲を受け止めることのできる、私という器はあろうことかその役割を放棄したのです。剣を鞘に納めなかったことで誰かが怪我をしたところで、その剣が罰を受ける道理などございません。罰せられるべきは、剣を鞘に納めておかなかった私の方であるのは、明々白々のことと存じます。


 世に受け入れる性質の情欲を偶然にもお持ちの方々が、この文書をお読みになり、そしてどうかその怒りの矛先を私の方へと変えてくださいますよう、私はただ祈るばかりでございます。

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