私の中のわたし
梨花
長生きなんかしたくない
出来れば100歳までは生きたいね
なんて言う人が結構いる。
「長生きしたいですか」
と私。
「まだまだやりたい事がいっぱいあるからね。長生きしたくない?」
「全然。出来れば、明日にでも死んでいいくらいです。」
「なんで!まだ若いのに。羨ましいくらいなのに」
そう言っていたOさんは、昨年78歳で亡くなられた。
希望を持っている人に限って、道半ばになってしまう。
私のように特に希望のない人間は、長生きする意味がないのだ。
経済的に余裕がないため、生きてる限り、働き続けなければならない。
持ち家がないので、住宅ローン並みの家賃を払い続けなければならない。
毎月、毎月、今月の支払いは出来るだろうかと思うだけで、
動悸が激しくなる。
子供はいる。
2人とも独立し、家庭を持っている。
母親としての責任も終わった。
昨年、今年と、それぞれに孫も産まれた。
孫の成長が楽しみとも、あまり思わない。
孫に何かしてやろうにもお金がない。
日々生きていくだけで精一杯だ。
昨年、娘に孫が産まれた時も、愛知県まで行く新幹線代は、
カードで分割払い。
10か月かけて払った。
そんな生活だから、長生きすればするだけ、しんどくなる。
楽しいことより、苦しいことの方が多くなりそうだ。
一生働き続けるのかと思うと、涙さえ出て来る。
昼間は、外回りの営業の仕事をしているが、
今年は、冬用のズボンを買えなかった。
夏用の薄い黒のズボンで冬を過ごした。
夏用を履いているからと入店を断られることもないし、
誰も見てはいないのだが、下着1枚買えない状況だ。
靴もくたびれてきた。
しかし、買う余裕はない。
経済的不安は、精神を蝕む。
笑顔を奪う。
働けど働けど、我が暮らし楽にならざり、だ。
私の人生って、何だったのだろうと。
苦しみばかりの人生だったわけじゃない。
ささやかでも、幸せを感じることや、嬉しいこと、楽しいこともあったんだ。
そう、あったんだ。
一人で生きると決めてから、もう20年が過ぎた。
一人で生きる自由さと心地よさに、当初は嬉しいばかりだった。
しかし、20年…
歳はとる。
その間に子供たちは、結婚し、独立していった。
母を引き取るつもりだったが、姉が引き取った。
その方が、結果的に良かった。
本当の一人になった。
一人で生きるということは、一人で死ぬ覚悟を持つということだと
最近、つくづく思う。
覚悟は出来ている。
同居人がいないのだから、具合が悪くなっても、
誰も介抱もしないし、救急に電話もしない。
息絶えても、すぐに誰かが気づくことはない。
それでいい。
母もそう言っていたな。
母は、約30年一人暮らししていたが、最後の8年は、姉一家と同居した。
一人で死んで、誰にも迷惑はかけんと言っていた。
その域に私も入ったということか。
新型コロナウイルスの蔓延で、益々一人暮らしは厳しいと感じる。
いや、死んでも構わないんだが、
陽性者となって、隔離となっても
誰かに食事や買い物を頼めないだろう。
だから辛いというのではない。
いつか訪れる日のために、出来るだけ子供たちに迷惑をかけないように、
いや、迷惑はかける、少しでもそれを減らすように
日々、断捨離に務めねば。
若い時は、生きていれば、楽しいことや、嬉しいことが待っているから
と思えたが、
歳をとると、楽しいことや嬉しいことはほとんどないと思う。
ゴールに向かっていくしかないのだから
事故や災害で、突然命を奪われた人や
生きたくても生きられない人からすれば、何を言っているんだと思われるだろう。
出来ることなら、代わってあげたいくらいだ。
人の世は、上手くいかないものだ。
人は、何かのために産まれてくる。
その何かを果たすまでは、死ねないのかも知れない。
その何か
死ぬその時まで分からないのだろうが…
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