おめでとう!

nobuo

🌸🌸🌸🌸🌸

「おめでとう!」


 校舎の昇降口から外に出た途端、青い空の下、七分咲きの桜並木が広がる景色に大勢の人々が並び立ち、一斉にお祝いの声と拍手が私を迎えた。


「あ、ありが、と…!」


 一瞬驚いたもののすぐにみんなの顔を見渡し、私は感激でいっぱいになった胸を押さえ、精いっぱいの笑顔でお礼を言う。


「おめでとう、明花さやかさん。とうとう中学も卒業なのね」

裕子ゆうこ先生、今まで本当にありがとうございました。この御恩は一生忘れませっ…!」


 最後まできちんと言えず、ぐすぐすと泣き出した私を、やはり目に涙を溜めた裕子先生が優しく宥めるように抱き締めてくれた。


「おやおや、二人とも泣き虫ですねぇ。そんなことではもう一人・・・・の卒業生に笑われてしまいますよ」


 ぼろぼろと涙をこぼして別れを惜しむ私たちに、胸に花飾りをつけた校長先生が困ったように笑いながら近づいてきた。


川田かわたさん。卒業おめでとう」

「ありがとうございます。今までお世話になりました!」


 差し出された校長先生の手を握って感謝を告げると、彼もまた眦を光らせた。


「さあ、みんなで最後の仕上げをしようか!」


 大きな声でそう告げたのは、私の家とは同じ隣組の木村きむらさん。彼はとっくに六十を過ぎているが、野良仕事で鍛えられた体躯は筋肉ムキムキで、未だ若手のリーダーの座についている。


「あたしゃこれ・・のために今日の仕事はぜーんぶほっぽって来たんだよ!」

「あらやだ、みんなそうよぅ。こんな大切な日だもの、葬式だって待ってもらうわよー」


 卒業証書の入れられた円筒を手に持ち、楽しそうに談笑するおばさんたちの後について私も移動する。集落の住民のほとんどが集まったせいかワイワイガヤガヤと賑やかで、耳を欹てると、交わされるのはこれまでに何度も聞いた思い出話ばかりだ。


 小さな分校の敷地は狭く、私たちはすぐに目的の場所である校舎の裏側に到着した。すると前もって準備がしてあったようで、いくつかのバケツの形をした缶と、たくさんの刷毛が置かれている。


「さあさ、歴代の卒業生の皆さん……と、それ以外の方々。今日でこの○○小学校△△分校は閉校します。来週には取り壊し作業が始まっから、みんなで最後のお別れをしましょう!」


 汚れてもいいようになのか、古いジャンパーと作業ズボン姿の村長が、両手を拡声器のように口元に当て、大きな声でこれからの手順を説明し出した。


「まずは小さい子供と、梅田うめだんとこの婆ちゃんとか志馬しめんとこの爺さんみたいに、腰が曲がって上に手が伸びねぇ人からな!」


 そう言うと、付き添い付きで前に出てきた未就学の子供二人と腰の曲がった年寄りたちに、毛先にたっぷりと白いペンキを含ませた刷毛を手渡した。


「婆ちゃん、なんでも好きに書いていいんだかんね」

「あいよ」


 好きに書いていいと言われた年寄りたちは、年季の入った飴色の校舎の外壁に、ホラーチックな振るえる白文字で『ありがと』や『オメデトウ』と書いた。

 その次に前に出てきたのは私を含めた女性陣。刷毛の先にペンキを付けると、顔ほどの高さに文字を書いてゆく。


「デコボコしてて書きにくいわねぇ」

「小さく書くからよ。でっかく書けばいい感じに書けるから」


 まるでお絵かきをする幼児のように、みんな童心に戻って楽し気に文字を綴った。


「次は男衆な。オバチャンらが遠慮してこじんまりと書いたから、書くとこはいっぱいあるで、大きく書いてくれ」

「いやあ、あたしらか弱い・・・からねぇ。刷毛が重くて書けなかったんだよ」

「箸より重いモン持ったことねぇからなぁ」

「「「嘘つけ!」」」

「い~から、早く書け。ペンキが固まっちまうぞ」


 オバチャンらとオジサンたちの漫才のような掛け合いに、みんながどっと笑う。そんな騒がしい彼らを余所に、刷毛を手にした村長が男性陣を促しつつ、まだ何も書かれていない場所に、達筆に感謝の言葉を書いた。


「ああ? 祝うって示偏しめすへんだっけか? 衣偏ころもへんだっけか?」

口偏くちへんじゃなかあ?」

「馬鹿か。めでたいのに呪うつもりか!」


 男性陣によって高い位置にも文字が書かれ、最後に村長が左端に日付を入れた。

 漸く集まった全員が刷毛を下ろすと、みんなで揃って少し離れ、校舎の壁を見上げる。

 目の前には、校舎の外壁という名の色紙に、白いペンキで思い思いに書いた大きな寄せ書き。お祝いの言葉だったり感謝の言葉だったりと様々だけど、みんながそれぞれの気持ちで書き綴った、飾り気のない真心だ。

 風に散った桜の花びらが、紙吹雪のようにひらひらと舞い落ちてきて、いい感じに仕上がった。


「できたなぁ…」

「ええ、いい出来栄えですな…」


 誰もが感慨深く寄せ書きを見つめる中、校長先生が一枚の紙を持ってみんなの前に一歩進み出た。そして———

 

「卒業証書、○○小学校△△分校殿! あなたは創立以降、雨の日も風の日も変わらず生徒たちを迎え、その成長を温かく見守り続けてくださった! あなたの元で学び巣立った歴代の生徒たち、そして本日卒業を迎えた最後の生徒と共に、あなたに感謝の意を表し、長き勤めの卒業をここに証します。

 玲和□年、三月二十一日。○○小学校△△分校校長、田沼たぬま 茂聡しげさと!」


 校長先生の声にみんなが啜り泣く中、代表して木村さんが前へ出て卒業証書を受け取った。それと同時に割れんばかりの拍手が鳴り響き、みんなが口々におめでとう! と校舎にお祝いの言葉を掛けた。

 その後、村長がガムテープで校舎に卒業証書を張り付け、みんなで集合写真を撮った。

 もちろん、本日のもう一人の主役である私を真ん中にして。

 そして十分に別れを告げたみんなが満足げに帰り始めた後ろで、私は寄せ書きの写真をスマホに収めた。


 春から内地の高校へ通う私は、春休みのうちに寮へと引っ越す。きっとこれからはなかなか帰っては来られないだろうし、高校、大学を卒業しても故郷に戻る可能性は低い。

 だからこそ、ツラい時とか寂しい時にこの写真を見て心を宥める日があるかもしれない。


 そしていつか結婚して子供ができたら、今日の話をしてあげよう。この写真を見せ、書かれた不細工な文字を懐かしく読み返しながら。

 


 


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