166.彼女達は最後の準備に挑む

 十二月の早朝。私は珍しくランニングをしていた。


「はっ、はっ、はっ、はぁ……」


 白い息が吐いては消えていく。それほどの距離ではないはずなのに、私は早くも息を切らせていた。

 体力がないのは昔から変わらないなぁ。息をするのも苦しくなってきたけれど、走るのをやめなかった。

 クリスマスイブ。今日はトシくんとデートをする日だ。

 ──そして、彼が私か瞳子ちゃん、どちらか一人を選ぶ日でもある。


「はぁ……はぁ……。ふぅ、もう少しだけがんばろう」


 体が重い。走るペースが落ちていく。それでも、もう少し続けようと自分を叱咤する。

 考えないようにしても頭に過ってしまう。トシくんの返事によって未来が大きく変わってしまうから。どうしたって想像せずにはいられなかった。

 答えがどちらにしても、円満な結末は望めない。それがわかっていながらも、あのままの関係をよしとしなかったのは私自身だ。

 ずっと三人でいっしょにいられたら……。こんなに嬉しいことはないと思う。

 でも、私と瞳子ちゃんがよくても、きっとトシくんは後悔してしまう。

 トシくんなら笑顔でいてくれるかもしれない。だけど、ふとした時にきっと考える。自分が優柔不断な態度を取ったせいで私達に苦労をかけてしまったと。ううん、それどころか不幸にさせてしまったと思い悩むかもしれない。

 彼はそういう人だから。三人でいっしょにいるのは楽しいけれど、それがずっとということになれば、どこかで絶対に破綻してしまう。

 だって、私と瞳子ちゃんは世界で一番トシくんが大好きなんだから。気持ちは共有できても、譲り合いはできない。トシくんは世界に一人しかいないのだから。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 足が止まってしまう。呼吸するだけで苦しい。肺が痛かった。

 けれど、頭は冴えてきた。


「はぁ……はぁ……。これくらい、瞳子ちゃんならちょっとしたジョギング程度の運動なんだろうな」


 再び足を動かす。

 ゆっくり歩いて帰路に就く。呼吸を整えながら、今日のデートに思いを巡らせる。

 どんな服を着るか。どんなメイクをするか。初めにどんな言葉をかけようか。

 デートが決まってからずっと考えてきた。考えずにはいられなかった。考えないようにする方が大変だった。

 最高のデートにしたいから。トシくんの答えがどうなるにせよ、最高の私を彼の記憶に残してほしかったから。


「……負けないよ瞳子ちゃん。絶対に譲れない気持ちだからね」


 木之下瞳子。私の一番の友達。親友であり、ライバルの彼女。

 強くて、美しくて、賢くて……そして、とても脆い女の子。

 彼女は私にとって大切な存在だ。でもこればかりは譲れない。譲ろうとしてはならない。

 それは私のためであり、何よりもここで引き下がるのは瞳子ちゃんに失礼だ。

 胸の鼓動が激しくなっている。なのに呼吸は落ち着いてきて、頭は冷静だった。

 家に帰ったら、まずはシャワーを浴びよう。そして、時間までに準備を整えるんだ。私自身を仕上げてみせるのだ。

 これが私達の最後のデートだから。最高で最強の私を見せつけてやる。気合いは充分だった。



  ※ ※ ※



 十二月の早朝。


「もう、朝なのね……」


 あたしはベッドから起き上がった。結局、一睡もできなかった。

 今日はクリスマスイブ。そして、俊成と最後のデートになるかもしれない日……。

 大事な日を控えていたのに、目をつぶっても眠れる気がしない。どうしても今日という日の結末を想像してしまうから。


「俊成……」


 俊成は、どんな答えを出したのだろう?

 クリスマスまでに答えを出すと言っていた。彼の本気が伝わってきて、ついにその時がきたのかと思った。

 ついこの間学校の終業式が終わった。それまで俊成の様子を観察していたけれど、あたしか葵、心がどちらに傾いたのかがわからなかった。


「やっぱり葵かしら……」


 葵はかわいい。男子からの人気が高いことは別クラスにいても伝わってくるし、俊成も葵の女性的な魅力に惹かれているのは隠し切れていない。

 それだけじゃなく、葵は器用で要領が良くて、何よりリーダーシップに優れていた。

 葵がやろうと言えばなんでも上手くいった。あたし達三人で何かを決める時、率先して方向性を決めるのはほとんど葵の役割になっていた。


「それが俊成の決めたことなら。それが幸せな結末になるのなら、あたしは応援するわ……」


 俊成と葵はお似合いだと思う。今まで一番近い場所にいたあたしだからこそ、そう断言できる。


「でも……」


 それでも……それでもまだチャンスがあるのなら。あたしは諦めたくない。簡単に諦められるような弱い気持ちじゃないから。

 あたしは俊成のことが好き。大好きでも足りないほど、彼への好意が大きくなっている。自分でも持て余してしまうほどに、気持ちが大きく育っていた。

 俊成がいたからこそ、あたしは自分を好きでいられた。髪や目の色を変に思う人はいたけれど、彼が綺麗だと言ってくれたから、自信を持っていられた。

 そして葵も。彼女の存在があたしを強くしてくれたと思う。

 葵がいなければ、あたしはここまでがんばれなかっただろう。彼女に負けないために、あたしは強く美しくなれるように努力した。

 俊成に振り向いてもらいたい。葵に認めてもらいたい。今日は、あたしの願望の結末が明らかになる日だ。


「……いつまでも寝ていられないわね」


 ベッドから飛び起きる。鏡を見ないうちから血色が良くなっていると断言できた。ちょっとくらいの寝不足が、あたしのこの想いを止められるはずがないのよ!


「よしっ。がんばれあたし!」


 さあ、準備を始めよう。答えの出る今日という日を後悔で終わらせないために。

 今日は何があったとしても、精一杯の美しさを見せ続ける。あたしの決意、そのすべてを出し尽くしてやろうじゃない!


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