163.前世で遊んでいた自分
異性と裸同然の格好でベッドを共にした。なぜそうなったのかまったく記憶にないのだが、言い訳ができる立場でもないだろう。
「誠に申し訳ありませんでした!!」
なので状況を認識した瞬間、即座に謝罪した。ベッドから飛び降りて、床に頭を打ちつけながら誠心誠意謝り倒す。
人生初の土下座だった。しかもジャンピング土下座である。こういうシーンはギャグかと思っていたけど、同じ立場になって理解した。これは本気の謝罪なのである。
「あははっ。まさかこんなにきれいな土下座を見られるなんて思わなかったなぁ」
ケラケラと笑ったのは葵さんだった。今は笑ってくれる方がありがたい。
「ちょ、ちょっと何よこの状況は? え? え? も、もしかしてあたし達……っ」
逆に俺と同じくらい動揺しているのが木之下さんだった。申し訳ないとは思いつつも、同じ気持ちだという親近感で少しだけ安心する。
でも、昨晩の俺の行動によっては被害者と加害者の関係になってしまう。記憶がない以上、俺からは何も弁明できない。
酔っぱらって記憶がないのは言い訳にならない。ただ、彼女達の沙汰を待つことしか俺にはできなかった。
「安心して瞳子ちゃん。私達何もされていないんだから。俊成くんも顔を上げて。まずは朝ご飯食べましょうよ」
救いを求めて言われた通りに顔を上げた。そこには下着姿の葵さんがいて、俺は再びガンッと床に額を打ちつけたのだった。
※ ※ ※
昨晩、俺は酔い潰れたらしい。
葵さんのご厚意により、彼女の自宅で休ませてもらうことになったようだ。自宅兼スナックだったので、運ぶのはそこまで大変ではなかったとのことだ。
一応どうするかと尋ねられたそうなのだけど「あー」とか「うー」としか返事がなかったので、休ませるしかないと判断したようだ。
それから、服を着たまま寝かせるわけにもいかないからと、葵さんが俺と木之下さんの服を脱がせたらしい。そのまま同じベッドに押し込んで、自分も眠いからと布団に潜り込んだのが事の顛末だった。
「なんてことをするのよ葵! 普通お、同じベッドなんて……あ、あり得ないでしょ!!」
木之下さんが自身のイメージをぶち壊す勢いで吼えた。
俺も黙ってはいるけど、彼女と同じ思いだ。下手をすれば社会的に死にかねなかったのだ。せめて誤解されないようにできなかったのか。この際、床に転がしてくれても構わなかったのに。
「まあまあ、お互いいい歳なんだから同じベッドで寝るくらいいいじゃない。それよりも朝ごはん冷めるから、早く食べちゃってよ」
葵さんは荒ぶる木之下さん相手だろうがどこ吹く風だった。「早く食べてくれないと片付かないでしょー」と逆に叱っている始末。これは何を言っても無駄だな、と黙って諦めた。
現在、俺達は食卓を囲んで、葵さんが作ってくれた朝ご飯を食べている。もちろん服は着ている。
「俊成くんも固まってないで、手と口を動かしてね」
「あ、ああ。すみません……」
「ふふっ、すみませんだって。私達同級生だったんだから、そんなにかしこまらなくてもいいのに」
俺は完全に気後れしていた。
葵さんの住居にお邪魔させてもらっているってだけでも大事なのに、美女二人と朝食を共にしているのだ。いい歳して本当に恥ずかしいのだが、ものすっごく緊張していた。
昨晩は酒の力があったから話せていたけれど、相手は学生時代のマドンナである。こうして同じ食卓にいるのが、夢を見ているんじゃないかと思えてならない。
それほどに、住む世界が違う人だったのだ。
「こんな状況で、普通に食事できるわけがないじゃない……っ」
木之下さんが俺をチラチラ見ながら小さく零した。俺も共感を示して大きく頷く。
しかし、二人掛かりでも葵さん一人に敵わない。優しく微笑まれただけで言う通りにしなきゃという気にさせられる。
まずは朝ごはんを食べ切らないと、言葉一つさえ通してはくれない雰囲気だった。
「二人とも、今日仕事は?」
食事を終えて、片付けを済ませた葵さんに尋ねられた。
「今日は休みよ」
「俺も、休日なので」
木之下さんと相談して、互いに次の日が休日の時を狙ってディナーを予定したのだ。別にその後に何か期待したわけではなかったけれど、状況を考えればこれでよかったのだろう。
「そっか。もしよかったらこれから遊びに行かない? 私はもっと俊成くんと話したいし、以前から機会があれば瞳子ちゃんといっしょにどこかへ行けたらと思っていたの」
「「えっ!?」」
俺と木之下さんは顔を見合わせる。
宮坂葵と再会しただけでも驚きだったのに、まさかこんな風に遊びに誘われるだなんて思ってもみなかった。こういう時ってどう返事すればいいんだ? 歳ばかりとって経験がないと、こんなところでさえつまずいてしまう。
「もしかして、今日は何か予定があった?」
笑顔から一転、葵さんは不安げな表情を浮かべた。
「い、いや……別に特別予定とかはないけど……」
「あたしも……。別に、行ってもいいわよ……」
恐る恐るといった風に、互いの出方をうかがいながら言葉を合わせる。
そんな不器用な接し方が、なぜかひどく安心できた。葵さんも安堵するかのように息をついて、実は俺達と同じ気持ちだったのではと勝手ながら共感した。
※ ※ ※
遊びに行くというのは、本当に言葉通りの意味だった。
「ねえ瞳子ちゃん。ちょっとこれ着て見せてよ」
「あ、葵っ。こんな派手なのをどこから持ってきたのよっ」
ショッピングしたり。
「俊成くん、唐揚げにレモンかけてあげるね」
「あっ、ちょ待っ……ああっ」
ランチをしたり。
「あの爆発シーンがよかったよね!」
「確かにすごかった。俺も手に汗握ったよ」
「二人ともそればっかりね。あの映画の良いところは他にもあるでしょ」
「たとえば?」
「えっと、その、最後のキスシーンとか……」
「瞳子ちゃんは乙女だねぇ」
「そこが木之下さんのかわいいところですね」
「もうっ! そんな温かい目で見ないでっ」
映画を観て感想を語り合ったりした。
特別なことは何もなくて。高校生のデートと言っても通じるのではなかろうか。いや、そんな青春を送ったことがないから若者がどういう遊びをしているのかわからないんだけども。
本当に、俺達はただ普通に遊んだ。
けれど、そういう普通のことを、俺はずっと求めていたのではなかろうか。
普通におしゃべりして、普通にバカやって、普通に笑い合う。普通と言われる人々が当たり前のように享受しているものに、俺は憧れていた。
なぜ青春時代にそれができなかったのか……。いくら後悔しても取り戻せない。そういう時間があることを、いい歳になってから知った。
「あー、楽しかったー。二人とも、今日は付き合わせちゃってごめんね」
だから、まるで青春のような時間を過ごさせてくれた葵さんに、感謝せずにはいられなかった。
「こちらこそ。葵さんのおかげで青春を取り戻せた気になれたよ」
「ふふっ、青春って。俊成くんは学生時代楽しい思い出ばかりだったかな?」
「そんなことはないよ。あまり目立たない奴だったし、自分から面白いことをやろうって気概もなかった。残念ながら学生時代は灰色の青春だったね」
頭をかきながら、なんてこともないかのように言った。
大した思い出もない過去を語るのが嫌いだった。自分がつまらない人間だと知られるのが恥だと思っていたから。
だけど、今はそれすら笑いながら話せる気がした。おっさんになって感覚が鈍ったのか、彼女達の前だから話しやすいのか。
どちらにしても、良い変化に思えた。
「……あたしも、楽しかったわ」
木之下さんが地面を見つめながら、ぽつりと言った。
「葵と高木さんといっしょにいて、本当に楽しかった……。こんな風に遊んだこと、なかったから……」
まるで独り言のような呟き。そこには大きな感情が込められているように思えて、俺は返す言葉に迷った。
「だったら、また三人で遊びにいこうよ!」
「え?」
葵さんが木之下さんの手を取って、ニッコリと笑いかける。
「今日楽しかったんだよね? この年になって、またいっしょにいたいって思える人がいるのはすごいと思うの。私はこの縁を大切にしたいな……。俊成くんはどうかな?」
いきなり俺に振ってくる葵さん。
驚きながらも、自分の気持ちを口にした。
「俺も、また二人といっしょに遊びたい……と思ってる」
「じゃあ決まりねっ」
葵さんが手を叩いてそう宣言した。
「……」
顔が熱くなる。無言でいたけれど、心の中では快哉を上げていた。
「……」
木之下さんも顔を赤くして黙っていた。こっちをチラチラとうかがってくる目は、彼女も喜んでいるのだと思いたかった。
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