153.夢への道筋
我らが一年A組の江戸時代喫茶で、大柄で強面な男が威圧感を放っていた。
「おーい森田。ここはただの文化祭の喫茶店なんだから、そんなしかめっ面しなくてもいいぞ」
「俺は普通の顔してるつもりなんすけど……」
そう言って森田は眉間にしわを寄せる。中学生とは思えないほどの深いしわが刻まれた。
顔と体格が中学生離れしていようとも、森田は年相応のメンタルの持ち主だ。
他の客から恐れの視線を向けられているのも居心地悪いだろう。さっさと席へと案内してやることにした。
「た、高木くぅーんっ!」
森田と品川ちゃんを席に案内してメニュー表を渡す。二人が注文を考えている隙に、望月さんが離れたところからこっちに来いと大きく手招きしてきた。小声なのに俺にしっかり聞こえるという、器用な声の張り方だった。
「どうしたの望月さん?」
「どうしたの? じゃないですよっ! 高木くんはあの怪物みたいな人と知り合いなんですか!?」
「あれか? 高木の怖~い先輩か? 先輩の言うことには逆らえないのか? この店のスイーツを全部食わせろって命令されたのか!?」
なんか、望月さんと下柳が森田にものすごくビビッていた。うちの学校って森田みたいな強面っていないもんね。
免疫がないなら仕方ないか。俺は先輩として森田のフォローすることにした。
「森田は怪物じゃないし怖い先輩でもないぞ。俺のかわいい中学の後輩だ」
「「あれが中学生っ!?」」
望月さんと下柳が目を剥いた。ちょっと驚きすぎだぞ。森田に聞こえたらどうすんだ。あいつあれでもナイーブなんだからな。
「見て見て耕介くん! 着物だよ! 和装だよ! す、素晴らしすぎる……っ」
森田の肩をバシバシ叩きながら、品川ちゃんが目を輝かせていた。ものすごーくキラッキラしていて、江戸時代喫茶をやってよかったと思わせてくれる。
「あっちのちっちゃい子は何者なんだ? あんな危険なことして……。止めた方がいいんじゃないか?」
森田をバシバシ叩く品川ちゃんが、猛獣と無邪気に戯れているようにでも見えているのだろう。下柳が助けに入るべきかどうかと迷っている素振りを見せる。
「心配いらないって。あの二人は恋人だからな」
「「あの二人が恋人!?」」
望月さんと下柳が目玉を飛び出す勢いで驚いた。いやまあ……二人の関係性を知らなかったら驚いても無理ないか。
外見だけじゃあ森田と品川ちゃんの組み合わせって想像できなくても無理はないと思う。修羅場を潜り抜けて来た番長と無害な文学少女に見えているんだろうし。
「あの、すんません」
森田が小さく手を挙げる。それに望月さんと下柳がビクゥッ! と肩を跳ねさせながら応じる。
「もしかして、俺ら迷惑でしたか?」
「そそそそ、そんなことないっす!」
下柳が九十度のお辞儀を見せてくれた。だから相手は年下なんだってば。森田も下柳の腰の低さにやりにくそうに見える。
「く、くく……。耕介くんが怖い顔してるからだよ」
「笑うなよ秋葉。俺はそんな顔してるつもりねえんだから」
森田が唇を尖らせてそっぽを向いた。そんな反応を面白がる品川ちゃんは彼氏の頬を突っつく。微笑ましい空気が、二人の間に流れていた。
なんというかまあ……君らイチャイチャするようになったなぁ。
先輩として感慨深いものがある。ほのぼのと森田と品川ちゃんを眺めていたら、美穂ちゃんがそんな二人に近づいた。
「二人とも、注文は私が受けるから言って」
「あ、はい、すんません赤城先輩。じゃあ俺は『旅のお供に三色団子』ってのにします」
「私は『看板娘の真心が入ったあんみつ』にします。……このメニュー表、誰が考えたんですか?」
「企業秘密」
美穂ちゃんは手早く森田と品川ちゃんから注文を聞き出していた。戻る途中でギロリと睨まれる。
「知ってる顔を見てはしゃぐのもいいけれど、他のお客さんもいるんだから仕事はちゃんとして。ルーカスのがんばりを見習うべき」
「「す、すんません……」」
俺と下柳は即座に謝った。別に下柳は謝る必要なかったのに、美穂ちゃんの迫力にビビッて思わず謝っちゃったんだろうな。
美穂ちゃんに言われてクリスの方を見てみれば、あっちへこっちへと忙しそうにしていた。それでも笑顔を絶やさずにいるものだから、この中で一番の接客をしていると言っても過言じゃなかった。
「お、俺もがんばらなきゃだ。クリスティーナちゃんばっかりに頼っていられねえ」
「そうだな。みんながんばってんだ。全力で楽しむためにも全力で取り組もう」
自由時間まであと少しだ。気を抜かずにがんばろう。
クラスのみんなで模擬店を成功できるようにがんばった。とても良い汗をかけて最高にハイって気分を味わった。
※ ※ ※
最初の労働時間が終わった。
着替えてもいいのだが、また夕方にシフトが入っているのでこのままの格好でいることにする。歩いているだけで宣伝にもなるしいいだろう。
「残り数秒。このまま時間が過ぎれば判定負け。その窮地で、高木さんは相手が守りに入ったのを冷静に見定めて……こう、ぐっと投げて逆転の一本勝ちをしたんすよ」
「おおっ! 逆転勝利って熱いじゃねえか!」
「はい。めちゃくちゃ熱かったっす!」
下柳と森田が盛り上がっている。最初ビビッていたのが嘘だったみたいに打ち解けていた。
森田は礼儀正しくていい奴だからな。下柳もそういう人柄を感じ取ったのだろう。
まあ、話題が俺の柔道部でのエピソードってのが恥ずかしいんだけども。でも下柳の森田に対する苦手意識はなくなっているのなら話のネタくらいにはなってやろうじゃないか。
「森田くんって見た目よりも礼儀正しい男の子ですよね。最初は怖かったですけど、話してみると優しい子って印象に変わりましたよ」
「まあ俺の後輩だからな」
「別に高木くんが教育したわけじゃないでしょうに」
望月さんが笑う。割と冗談でもないんだけどね。
「あ、あの……高木先輩。ちょっと、いいっすか?」
「ん、どうしたの品川ちゃん?」
「ちょっと二人きりで……話がしたいんですけど……」
珍しく口をもごもごさせて何やら言いにくそうにしている品川ちゃん。隣にいた望月さんがすーっと俺から距離をとった。
「高木くん……。まさか彼氏持ちの後輩を誘惑したんですか?」
「誘惑って……冗談きついよ望月さん」
望月さんは疑いの眼差しをやめなかった。……あれ、冗談言ってるんだよね?
「いえいえ誘惑だなんてそんな……。高木先輩は男らしくて格好良くて強くて優しくて女の子を大切にできる誠意のある人ですけれど……。私を誘惑することは絶対にあり得ません!」
品川ちゃんは顔を真っ赤にしながら言い切った。先輩をおだてているつもりなのか、ものすごく背中がかゆくなることを言われてしまった。
「高木くんって後輩に慕われているんですね」
うん。そういうことは疑いの眼差しを向けるのをやめてから言ってほしかったよ。
とりあえず品川ちゃんが俺と二人きりで話がしたいようだったので、あまり人のいない場所……は文化祭当日では見つけられそうになかったから廊下の隅に移動した。
「あの、この前に出した新人賞の原稿なんですけど」
「う、うん」
品川ちゃんはプロの漫画家を目指している。
そのための第一歩として、某新人賞に応募していたのだった。夢が叶うかどうかの発表に、聞いているだけの俺は緊張していた。
「大賞は取れませんでしたが、担当さんがつくことになったんですよ!」
「え、担当!?」
俺は漫画業界に詳しいわけじゃないけれど、担当がつくってかなりすごいことじゃなかろうか。
「すごいぞ品川ちゃん! おめでとう! ……いや、まだおめでとうには早いのか? まあいいや。おめでとう品川ちゃん!」
「ありがとうございます高木先輩!」
俺達は笑い合ってハイタッチをする。
もちろんこれで品川ちゃんの夢が叶ったわけじゃない。むしろこれからが本番だ。
でも、ちゃんと自分の足で夢への第一歩を踏み出したのだ。
口ばかりで何もしない人が多いことを、俺は知っている。前世では俺もその一人だったから。
だからこそ自分で夢を描き、それを叶えるための道筋を考えて、しっかりと実行する。それが難しいことだと知っているからこそ、品川ちゃんが本当にすごいと思うのだ。
「品川ちゃん、本当にすごいよ……」
目頭が熱くなる。年を取ると涙もろくなっていけねえや。……今は俺も若者なんだけどな。
そう、俺もまだ若者なんだ。
品川ちゃんとは一つしか違わない。俺だって彼女のように早く動き始めたかった。早く行動しているはずだった。
「早く、決着つけないとな……」
「高木先輩?」
「悪い。なんでもないぞ。よし、もう一回ハイタッチしとこうか。イエーイ!」
「イエーイ!」
パチンッ! と大きな音が鳴った。嬉しいというパワーが溢れているのか、品川ちゃんの力は強かった。
将来のことを考えるのも、葵と瞳子のことが大前提にある。
漠然とした幸せではどうやって掴めばいいかもわからない。未来図を形にし、品川ちゃんのように歩き始めたい。
朧げにだけれど、やってみたいことはある。でも、まずは葵と瞳子の関係をはっきりさせるのが最優先だった。
──などと考えていたからか。この後に訪れる衝撃を無防備に受けてしまったのだ。
「トシくーん♪」
突如、背中に幸せな感触が広がって、俺は自分が夢の世界に旅立ったのかと錯覚してしまったのであった。
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